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第5話

 午前中一コマのみの週末の講義を受け終えた夕也は、同じ学科友達と昼食を済ませた後、特にやることもないのでサークル棟へ向かった。行けばたいてい誰かがいて相手をしてくれるし、今日は飲みの日だから、いつもよりもたくさんいるかもしれない。  二号館の脇を抜け、並木道を進む。と、そこで声をかけられた。 「夕也ぁ!」 「ん?」  振り返れば、松田が短いスカートをひらひらはためかせながら駆け寄ってくる。夕也は立ち止まって彼女を待った。 「よかったぁ~。どうしても飲みの前に話したかったんだ」  追いついた松田はわずかに息を弾ませながら、上目づかいに夕也を覗ってきた。 「なに?サークル部屋で話す?」 「ううん、ここでいいよ。あたし次の講義とってるから」 「そう。で、何?」 「ん、あのね…」  人に聞かれるとまずい話なのか、少しだけ視線を彷徨わせ、周りを確認してから一歩夕也に近づいた。 「今日、二次会からふけない?」 「へ?」 「あたしと、沙希(さき)も一緒に」  ねっ、と首をかしげる松田に、夕也は一瞬ついていけなかった。  沙希、といえば確か、一年女子だ。正直言って、顔ははっきりと覚えていない。話をしたこともないかもしれない。なのに、なぜ。  だが、続いた言葉に一瞬にして理由と魂胆を悟った。 「だからね、夕也は筒井君連れてきてよ」  沙希は筒井狙いなのだ。夕也を味方に引き込んで、あいつを落とす気なのだろう。まず馬を、というやつだ。 目の前が一瞬真っ暗になる。  筒井のことを狙っている女子がサークル内にはたくさんいると知ってはいたが、皆遠巻きに見ているだけだったし、筒井にそれらしいそぶりもなかった。  だから勘違いしていたのだ。ずっとこのままの関係が続くと。筒井はずっと夕也を追いかけてくると。  しかし、彼女ができてしまえばどうだろう。今まで夕也が占めていたポジションを、そいつは根こそぎ奪っていくのだ。一緒に帰ったり、食事をしたり。そして性交渉込みの深い深い間柄になっていくのだ。夕也を差し置いて。  筒井に彼女ができたらだなんて可能性、微塵も考えていなかった。  今まで様子を見ていた沙希は、満を持してモーションに入ったのだろう。  そう、筒井にその気がなくともかわいい女子に言い寄られれば、ころりといってしまうことだって十分にあるのだ。なんせ、夕也に懐いたのも入学した日のたったあれっぽっちのことだけでなのだから。  夕也は必死に平静を装いながら、首を振った。動揺を悟られないよう、努めて平坦な声で。 「いやだよ、めんどくせぇ。だいたい、俺、沙希って子と話したこともないし」 「夕也はあたしとしゃべってればいいよ。沙希は筒井君と同じ学科だから、筒井君に任せてさ」  同じ学科で同じサークル。もしかして、夕也よりもその沙希の方が筒井と過ごす時間が長いのではないか。  夕也は沙希の容姿を必死に思いだそうとした。どうだったか、可愛い子だったか、それとも美人か。なんにせよあんなに人気がある筒井に仕掛けてくるあたり、自分に自信はあるのだろう。  小さな子供のように、いやだいやだと駄々を捏ねたい。筒井は俺のものなんだから、勝手にちょっかいかけるなと、声を大にして言いたい。  ――言えるわけもないのだが。 「…なら、筒井と抜ければいいだろ。俺は行かね」  自分が行かなければ、きっと筒井は行かない。数分前なら自信満々で言えることだが、今はその自信も半減していた。もしも筒井が沙希を選んだら、夕也にはどうしようもないのだ。その可能性もないわけではないのだ。  だから、この言葉は一種の賭けでもあった。  夕也の返事に、松田はむうっと唇を尖らせた。 「夕也が来なかったら筒井君が来るわけないじゃん!ねぇー!お願いだから!」  松田もそう思っていることに少しだけ安堵しながらも、夕也はわずらわしげに手を振った。 「そんなの知らねーよ。俺が行くなって言ってるわけじゃないし。それより講義の時間いいのか?」 「えっ、あ、行かなきゃ!夕也、今日抜けてね、絶対だからね!」  あと三分で講義の始まる時間だ。慌てて駆け出す松田は、一方的に約束を押しつけながら去って行った。  その後ろ姿に、夕也は舌を出した。そして再びサークル棟に向かう。  ひとりでゆっくり歩きながら、夕也はふとひらめいた。いっそのこと、飲みに行かなければいいのではないか。 「そうだ、そうだよ!それなら俺誘われないですむし!あ、や、でも…」  逆に、筒井が一人だと簡単に誘い出せてしまうのではないだろうか。それの方がもっと性質が悪い。夕也はため息を落とした。  これから先、こんな誘いが増えていくのだろう。そのたびに断りきれるとも思えないし、筒井の方からほいほいとついていってしまうことがあるかもしれない。  もう夕也は、筒井を独占していられないのだ。  だんだんと気分が沈んでくる。所詮自分は男で、筒井の隣にずっとい続けることなどできないのだと、わかっていても認めたくなかった。  暗い気分のまま、夕也は足を止めた。こんな気持ちのまま、サークル部屋に行きたくなかった。沙希という子の顔も見たくなかったし、筒井とも会いづらい。 「帰ろう…」  夕也がいないうちに誰かと筒井の仲が発展するかもしれないと思ったが、それを阻止したい気持ちよりも自分が蔑ろにされるかもしれないという恐怖が勝った。  飲みに欠席することはあとで塚田にでもメールを送ればいい。夕也は回れ右をして、家に向かって走って行った。

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