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第6話
インターフォンが鳴り響いたのは、外も真っ暗になった頃だった。
帰ってすぐ不貞寝をしていた夕也は、何度も激しく押され続けるチャイムに眉を顰めながら起き上った。
蛍光塗料で光る時計は、午後九時を指していた。帰ったのは三時頃だったから、かなり寝ていたことになる。
ベッドから這い出て、よろよろと玄関へ向かう。なおもチャイムは鳴り響いていた。こんな迷惑な鳴らし方をするのは、きっと塚田だ。飲み会を途中で抜けてきたのだろうか。
「っさいな!聞こえてんだよ!」
かすれた声で怒鳴りながら玄関を開くと、予想外の人物がそこにいた。
「夕也さん!大丈夫?」
「は、あ…?」
眉を八の字にした筒井がおろおろとした様子で立っていた。夕也は混乱した頭でその端正な顔を見上げた。
「……なにしてんの?」
思わず出たのは、間抜けな声だった。
「だって夕也さん風邪だって言うから。ほら、おかゆセット!」
がさり、と音を立てながら、筒井は右腕を掲げた。そこには夕也の部屋からもっとも近いスーパーのマスコットキャラが描かれたビニールがぶら下がっている。
「俺、風邪なんてひいてないけど…」
困惑顔で呟きながら、夕也は思い出した。塚田に送った欠席メールに風邪だと書いたのだった。
「えっ?嘘なの?」
「あ、うん…」
驚いた様子の筒井に、夕也は気まずげに頷いた。
それきり沈黙が下りた。筒井の顔を見るのが嫌で仮病を使ったのだ。それなのに、筒井は今ここにいる。夕也を心配して来てくれた。嬉しさと苦さが混ざって、俯くしかできなかった。
そのまま筒井を招くことも追い返すこともできないままでいると、ぽつりと呟きが聞こえた。
「……夕也さん、俺のこと、嫌い?」
「え?」
耳を疑って、顔を上げる。そして、夕也は目を瞠った。
そこにある筒井の表情は、今まで見たこともない、苦しそうなものだった。いつものふんわりとした笑顔など欠片も見当たらない。悲しそうに顰められた眉は普段の甘い幼さを払拭し、夕也よりもずっと大人に見えた。
その切なそうな顔は、見ている方が泣きたくなるほどで。
「お前…何て顔してんだよ」
「……俺、どんな顔してるの」
「どんなって…な、泣くなよ」
涙が零れているわけではないが、そんな言葉が夕也の口から突いて出た。
筒井は否定せずに、ぎゅっと手を握り締めた。静寂の中、ビニール袋がカサリと音を立てる。
「泣きたくもなるよ。夕也さんに嫌われたら……」
顔を逸らして唇を噛み締めた筒井に、夕也は慌てて否定した。先ほどの質問は表情に気を取られてしまっていたのだ。
「嫌いなわけないだろ!なんだよ、なんでいきなりそんなこと」
荒げた夕也の言葉に筒井は視線を夕也に戻したが、その表情はまだ暗い。
「だって、俺を泊めたくなかったんでしょ?仮病まで使って…」
「え…あ……」
そうだった。この前、飲み会の後に家に泊めてやると約束した。それを反故にしたいため、筒井を家に泊めたくないために仮病を使ったと筒井は誤解しているのだ。
「そんなに嫌われてたって気付かなかった。――俺、鈍いから」
「違うっ!違う、そういうんじゃなくて、お前を泊めたくないから仮病使ったわけじゃない!嫌いじゃないって言ってるだろ!」
好きだから、仮病を使ったのだ。
「ほんとに?」
「俺は嫌いだったら嫌いってはっきり言う!」
筒井の顔に、いつもの柔らかさが戻ってきた。夕也の言葉を信じてくれたのか、少し嬉しそうに顔が緩んでくる。
「夕也さん、俺のこと嫌いじゃない?好き?」
そう訊いてくる筒井にこそ、夕也は尋ねたかった。
嫌われていると思い込んで泣きそうな顔をし、そうじゃないとわかるやにこやかに微笑む。
筒井が夕也のことを好いていることは嫌というほど知っているが、ここまでの反応を見せられると、そういう風に、夕也が筒井を想うように、筒井も夕也を好きなんじゃないかという期待が、瞬く間に胸を占めていく。
「好きだよ。すげー好き……」
ありったけの思いを込めた言葉は、すごく小さかったが、筒井は最上級の笑顔を見せた。
「じゃあなんで仮病使ったの?」
ごく当たり前の疑問に、夕也は意を決して息を吐いた。
言い訳は山ほど思いつく。レポートが終わってなかったからだとか、金がなかったからだとか。しかし、夕也はもう洗いざらいぶちまけてしまおうと決めた。
流石に筒井の目を見たまま言う勇気はなく、夕也は軽く下を向き、ぼそぼそと告げた。
「お前が好きだから行きたくなかった」
「え?なんで…」
「お前に気がある子に、仲人になって欲しいって頼まれたんだ。でも俺はそんなのしたくなかった。お前のことが好きだから、どの女にも渡したくなかった。お前が誰かと付き合うのなんて、俺は辛くて耐えられない」
――言ってしまった。
いくら鈍いと自覚している筒井も、この『好き』を友情と取りはしないだろう。
バクバクと鳴る心臓を落ち着けようと、夕也は深く深呼吸した。
筒井は何も言わない。
何も言ってくれない。
そのまま沈黙が続いて、夕也は俄かに後悔した。
先ほどまで淡く抱いていた期待がガラガラと崩れていく。
言うんじゃなかった。言うんじゃなかった。なんで、筒井も、とかおめでたい期待を持ったのだろう。これではもう、傍にもいれない。
夕也は顔を上げないまま、急いで扉を閉めようとした。しかし、それより早く筒井の手が扉をつかみ、無理やり中に入り込んできた。
狭い玄関、二人の距離はぐっと近づいた。筒井の背後で玄関の扉がばたんと閉まる。
「夕也さん」
真摯な声に、夕也は顔を上げた。筒井がまっすぐにこちらを見ている。再び、淡い期待が胸に宿る。
あの告白を聞いて、逃げずにこうやって押し入ってくるということはもしや、と。
「夕也さん、俺に彼女ができるのが嫌なの?」
「…い、今、そう言っただろうがっ」
「なんで?」
再び期待が消えていく。鈍いにもほどがあった。あんなに勇気を振り絞って言ったのに、筒井には夕也の気持ちは通じてなかったようだ。
期待して、突き落とされて、また期待して、突き落とされて。自分が勝手に思い込んでいるのが悪いのだろうが、気持ちのアップダウンに夕也は疲れた。筒井が鈍すぎるということも原因の一つだ。
ふ、と息を吐いた拍子に、ぼろりと涙が零れ落ちた。
「夕也さん!?」
筒井が驚いている。夕也はぼろぼろと泣きながら、なんだか笑いだしたい気分になった。
「お前に彼女ができたら、俺はお前の傍にいられないだろう!だから嫌だっつってんだろさっきからッ!ちなみに今泣いてるのは、お前が俺の気持ちをまったく理解してくれないからだッ!」
掠れた声で怒鳴りつける。筒井はおろおろとしながら、夕也の肩を掴んだ。
「な、なんで?俺、彼女ができても夕也さんと一緒にいるよ!」
その言葉に、夕也は一瞬固まった。ついで、笑いがこみ上げてくる。
悲しくも、これではっきりした。期待はやはり夕也の願望でしかなかった。『彼女ができても』。彼女を作らないという選択肢を切り捨てた言葉だ。男の夕也を恋人のポジションになど、欠片も考えていないわけだ。
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