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【12】「遺棄された矜持」

男に足場を崩されていく。 少しずつ追い込まれていく感覚が、たまらなく嫌だった。 『君は自分を粗末にするけれど、それは君を大事にする人間も粗末にすることだ。』 心の奥まで流れ込む言葉が、塞ぎ続ける最奥をこじ開けていく。 自らの意思で遺棄された矜持が亡霊の様に記憶に甦る。 シャツを整え、ぎこちなく傷跡から目を反らした。 ―――この心臓は何の為に此の胸にあるんだ。 木霊す矛盾。 埋め合わせる答えを直ぐに探す。 探さねばならない。 辻褄をあわせなくては空白の解答蘭から空虚が広がり壊れてしまう。 錦を生かす為に埋め込まれた他人の心臓は、少なくとも他の移植希望者の望みを摘み取り手に入れたようなものだ。 それは錦と同様に彼らを大事に思う誰かの希望を土台にしたと言って良い。 この心臓に選ばれた。 候補者の中で福音をもたらされたのは、たった一人だ。 選ばれ与えられた以上は、生き抜かねばなるまい。 残骸になり果てても冷眼を向けられても――死にぞこないと罵られても。 『自分を粗末にすることが正しいとは思えない。』 価値を認められないのに、価値がない事が現実なのに。 しかし、価値を失いながらも得た新たな生を拒むことも忌み嫌う事も許される筈はない。 つまりそれは、価値のない自分の誕生を受け入れてなお祝福せねばならないのだ。 「他者に認めて貰えないと価値がないと思う何て悲劇だね。まぁ、子供なのだからそれは仕方がない。」 空の器を自ら満たすことはできない。 それが出来るのは錦以外の誰かだ。 「煩い男だ。俺の事なんてどうでも良いだろうが。お前にとって大事なのは、身代金が取れるかどうかだろう? 捕らぬ狸の皮算用にならなければ良いな。」 答えが出せないまま、少しづつ削り取られていく。 空白の解答欄を埋める言葉が見つからない。 虚ろが広がり張り巡らせた「自己像」が壊されていく。 壊されて新しく構築しても 己は何者なのかそれがどうしても上手く確立できない。 渦巻き続ける正反対の答えが軋み音を立てながら何方が正解なのか選べと迫ってくる。 正反対の解答でありながらも 、どちらも正解なのだ。 これが、もっとも錦を悩ませた。 与えられた心臓に感謝しながらも、失ったものの大きさに伸し掛かる罪悪感を如何して良いのか分からないのだ。 考えては行き詰まり行き詰る度に徐々に希薄になる父と母の関心に焦燥し、そして道標も出口もない迷路を彷徨い続けた。 それでも手探りで彷徨いながらも思い知ったことはある。 価値がなくなったのだから 弱音を吐く事など許されない。 苦しいと泣く等許されない。 痛いと手を伸ばすなど有り得ない。 人並みに傷付く等、あってはならない。 交わし続ける問答は無謀な戦いに近い。 どうしようもない矛盾が付きまとい、足首を掴んで前へ進むことを阻む。 塵芥を宝であると言い聞かせるような至難をどうしても克服できない。 例えそれを克服できたとしても、今度は正反対の問題にぶつかる。 己を認める事は、価値を持たせることに繋がる。 最も最初に確立された真理。 錦を、錦たらしめるその中核を自ら崩壊させることになる。 敢て浮き上がる肯定から目を反らして、己を路傍の石の如く存在とした。 お手上げ状態と言っても良い。 何方も正しいがどちらかを選べば大きな矛盾が生じる。 危うい均整のなかで見出した暗い道を手探りで歩き、自問自答をして何とか生きてこれた。 それなのに。 混濁の中に放り込んでいたのに男が掻き回し引きずり上げてしまった。 ――その最大の難問と矛盾を飲み下すことだけは出来なかった。 いまでも克服できない正反対の答えを捻じ曲げて絡ませて無理矢理一つに収縮させる。 破綻を修復する為に求めたのは、自己認識ではない。 それを埋め合わせるのが他者から与えられる評価だ。 「君自身が価値を決めれず他人にそれを委ねるなら、僕にもその権利をくれないか?」

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