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【2】「素晴らしいぞ誘拐犯」

「一日で最高気温を記録する時間帯は14時。今から出かけると地獄だぞ。」 等と口にするが心はもうすでに決まっていた。 夕方からでも良いと思うのだが、男は炎天下の中出かけたいらしい。 いつ購入したのか不明だが――何処からともなく取り出した麦わら帽 子を錦に被せ「夏だから熱いのは当たり前。行き先は変わり映えしないけど 部屋の中で腐っているよりはずっと良い。」と笑う。 「車の中は冷房効いてるし、自販機くらいは何処にでもある。 ジュース買ってあげるから出かけるよ。それに、思い出作りに外出は必須だ。」 それを言われると錦は逆らえない。 正直男と過ごすならこの部屋の中でも良いのだが始めて一緒に出掛けた日、疲れも時間も忘れる位に楽しかった事を思い出す。 男は錦にとても優しく、それが純粋に嬉しいと素直な気持ちで男の手を握り返した。 海や夕焼も一人で見る時とは違う景色に見えた。 帰りたくないと、駄々を捏ねた程男との外出時間を終わらせるのが名残惜しかった。 「分かった。出かけよう。」 麦わら帽子を両手で持ちソファから立ち上がった。 男がにやにやと笑うのが癪だが、思い出作りに外出は必須なら仕方がない。 思い出を作っても、夏休みが終れば男は側にはいないのだが、 このまま夏休みを終えれば後悔しそうだから大人しく言うことを聞くことにする。 外へ出ると海から吹き上げてくる冷たい風が肌を冷やす。 標高が高く常に風が吹き付けてくる場所に別荘が有る為、冷房を殆ど使用しなくても快適に過ごせるほどに涼しい。 ――ただ、季節は夏であることは変わりない。日差しが強すぎる。 屋根付きのガレージに駐車していたとしても、真夏の空気を閉じ込めた車内は熱く蒸している。 冷房が効くのは少し時間がかかりそうだ。 窓を開けて海風を招きながら、発信した車の中から遠ざかる別荘を眺めた。 観光する場所はなく自然と 変わり映えしない行き先となるが、それでも浮つくのだから錦にとって男は矢張り特別なのだ。 基本的に一人で過ごすことが多い錦の休日に入り込んだこの異物は、 いっそ感動的な程の鮮やかな色彩を添え続けた。 同じ場所時間でも共に過ごす相手により、随分と華やかに楽しい物へと変わると男と過ごして初めて知った。 きっとこの手の感動は何処にでも転がっている当り前の事なのだ。 しかし錦にとっては当り前ではない。 だから、こんなにも尊いのだ。 「素晴らしいぞ誘拐犯。」 「何だい急に。僕が素晴らしいのはいつもの事だろう?」 半ば呆れた様な表情を見せた男にこそ呆れたが、彼は何に関して錦が褒めているのかは理解していないしする気も無いだろう。 そういう性格なので仕方がない。 そうでなければ、錦の様な我儘紙一重の頑固で堅物な子供など許容できないだろう。 男はウフフと笑い「錦君がご機嫌だと僕も嬉しい。」と白い歯を見せた。 普段愛想の欠片も無い仏頂面が定評の錦だが、男の目からも分かりやすいほどに機嫌良く見えるらしい。 図星だ。 内面を覗かれたのが何だか恥ずかしい。 一定速度で転じ続ける景色は見慣れたものだ。 行き先までかかる時間も知り尽くしている。 それでも初めて出かける様に胸が躍る。 男の言う様に浮かれていたのは事実だ。 我ながら現金な物だ。

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