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【7】「お前と話していると時々頭痛がする」

芸術と言い切るならば厚顔さが際立つ作品を鑑賞後、本屋との境目に併設されている グッズ販売コーナーで男が「目の保養になるね」とラッセンのポストカードを手に取った。 男の左頬はほんの少しだけ赤味が残っている。 平手打ちの跡だ。 後悔はしていないがかなり罪悪感は有る。 男が何時までも錦を離さないので思わず引っ叩いてしまったのだ。 これは自衛だ。 だから、男だって自業自得だと理解してるので怒っていないじゃないか。 と、錦は罪悪感を跳ね除けようと屁理屈をこねる。 「錦くーん、無視したら泣いちゃうよ。」 「…。」 「何だいまだ怒ってるの?二人きりなら抱っこしても良い?」 「怒ってない。」 「やったー、錦君が口をきいてくれたぞ。」 矢張り馬鹿だ。 錦はポストカードの横に並んだマガジンラックから無料配布の冊子を取り上げ捲る。 縮小された【聖衣剥奪】を眺めていると男も横から覗き込んできた。 「エル・グレコ好きなの?」 嫌いではないが好きと言われるほどの情熱はない。 「「これは見たことのある絵だ」と言うだけで特別な感情はない。 教科書にレオナルド・ダヴィンチとエル・グレコの受胎告知が載せられているが、エル・グレコの方が好みだった。その程度だ。」 受胎告知ならば、バルトロメ・エステバン・ムリーリョかフランチェコアルバーニの描いた絵が一番好みだ。 前者は、慈愛に満ちた眼差しでマリアをみつめる跪いた神の使いと、戸惑い伏せ目勝ちに受胎告知を受けるマリアの表情が良い。 淡く温かな色使いも好みだ。 後者は深く暗い色合いでありながら静謐な空間に差し込む光とともに告知を受ける神々しさが良い。 「カラヴァッジオも良いな。明暗によるコントラストと厳かな雰囲気が好きだ。」 男はうんうんと頷き、「カラヴァッジオは僕も好きだ。個人的にはジョルジョ・ヴァザーリかパオロ・デ・マティスの受胎告知がだんとつ好き。」と言った。 そして「ロベルト・カンピンのガブリエルからの告知を聞いてるのかどうか分からないマリアも面白いけどティントレットも面白くて好きだね。 あんな天使の大群を引き連れてあの勢いで告知なんてされた日には、僕がマリアなら告知よりあの登場の仕方に襲撃されたと勘違いして驚くね。 現代ならハリウッド映画みたいに窓をたたき割って登場するタイプだね。ふふ、はははは。」とふざけた感想を述べる。 「お前の様な性格のマリアなど存在して堪るか。」 「えー錦君がマリアでも襲撃されたと思うって。寧ろ君なら女の部屋にアポイント無しで押しかけてくるなって怒って平手打ちするだろ。」 性別どころか人種に時代背景文化を綺麗に無視して男は何を想像したのか、噴き出す。 「ティントレットに謝れ。」 「行き成り天使が入口から団子のように固まってあの勢いで受胎告知にくるんだよ? あのお使いは珍しく体育会系だね。天使も良く見たらアクロバティックな動きをしてるのが何匹か居るね。 あれ動画にしたら絶対回転し乍ら飛び込んでくるな。」 「匹とか言うな。お前と話していると時々頭痛がする。」 冊子をラックに戻し、展示用だろうか一冊だけ置かれたフィレンツェ派の代表的画家と題された画集を捲る。 表紙のヴィーナスの誕生を見て予想は出来たが、サンドロ・ボッティチェリの絵画が取り上げられている。 『ヴィーナスの誕生』と来れば代表である『春』や『パラスとケンタウロス』が続く。 やや退屈な気持ちでページを捲る。

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