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【10】「つまりは、恋人です」

店員の笑顔のまま凍り付いた。 頬が引き攣っている。 「まて!此処はせめて親戚とかだろうが、馬鹿じゃないのかお前は。いや馬鹿だった!!」 男を見ていた店員がぎこちなく錦を見下ろす。 しまった、つい本音が口からこぼれ出た。 これでは男の言葉を肯定していると受け止められかねない。 スタッフの思考が停止したようだ。 ついには無言になった。 責任とれ何とかしろ。 男を睨みあげると彼は星でも飛ばせそうなウィンクをした。 なんだ、そのウィンク。 男の目は「僕に任せろ」と語っていた。 余談だが錦はウィンクが出来ない。両目を瞑ってしまう。 「ラヴァー、リィェンレェン、アモーレ、ミコラソン 」 綺麗な発音だった。 柔らかい声が鼓膜を撫でる。 完全に固まった店員に魔法をかける様に「Mon amour」と口ずさみ、唇に指をあて小首をかしげる。 納得のいかない言葉なのだろうか。 「Un amoureux、amorcito」 錦を見据え囁く声は甘くかすれる。 滑らかに発音に不覚にも聞きいってしまった。 この男の声は528Hzだろう。 「mi sol、Geliebter…つまり。」 半ば呆けたように聞き入っていた錦を現実に引き戻すように最悪な言葉を続ける。 「つまりは、恋人です」 「さっきと変わらないじゃないか馬鹿ッ!」 「え~…」 お前は誰の味方だ? 無言になる店員に慌てて弁解をする。 この男に期待をした俺が馬鹿だった。 速攻期待と男の発言を撤回する。 「兄です。この男は兄なんです。俺が生まれてからずっと兄です。兄以外の何物でもありません。兄でなければ何だと言うんだ。」 「何だと言うんだって恋人だってさっき僕説明しただろう?」 必死に弁解しても男がすぐさま台無しにする。 最悪だ。 「お兄ちゃんでも彼氏になれるのかな。ねぇ?」 「何が、「ねぇ?」だ!もっと駄目だ!何故さらに悪くなってるんだ?」 「ほら、お姉さん、見てください。まだおチビさんだけど美人でしょこの子。羨ましいでしょう?あぁ、全世界の嫉妬が怖い!」 「おい貴様俺の年齢を考えろ。」 「愛は性別と年齢を超えるのだよ。」 「超えてはいけない壁を超えるな。」 「確かに君は未だ食べ頃じゃないからね。超えてはいけない壁は超えていないけどいずれは超える べき壁だよ君。」 「まて、俺たちは何の話をしていた?」 何の話をしているのだこの男。 きっと宇宙人を相手に話をしたらこんな感じなのだろう。 将来地球外生物と遭遇した時、この男との経験は役に立つだろう。 話を戻そう。 営業用の笑顔さえ剥がれ落ち「どうぞごゆっくり」などと逃げる様にお辞儀をした女性スタッフを 呼び止める。 「まて、待ってください。この男は貴方の様な女性を揶揄う事が趣味なんです。人生の半分は人の 嫌がらせと駄洒落で出来ているような男なんです。」 「錦君。女の人より僕を見なさいよ。僕の方が美しいだろ。所でなんで弁解するの?」 「何故しないんだお前は。」 「必要あるの?」 「事実ではないのだから当り前だ。あぁっ本当に、馬鹿っ!馬鹿め!この、…おい、何笑ってるんだ。」 怒る錦を見下ろし、ぷくくと頬を膨らまし笑いをかみ殺している。 お前は栗鼠か。 栗鼠の様な面相になった男が錦の頭を数度なでた。 「いやいや、うん。ご機嫌だったり拗ねたり照れたり怒ったり。何というか尊いなぁって思って。 」 意味が分からない。 「分からないなら良いんだ。」 満面の笑顔も見てみたいな。 しんみりと言い男は錦の手を引く。 今度はいつものつなぎ方だ。 指を絡ませるより、手をすっぽりと包まれている方が何だか安心する。 抱きしめられている様な安堵に近い。 絵皿は隣の本屋で済ませた。 自宅用で良いのに綺麗にラッピングをたのみリボン付きのギフトシー ルまで貼りつける。 そして「お詫びだ。これ、君にあげる。」 と小さな手提げ袋に入れたそれを錦に差し出す。 「いや、これはお前が持って居ろ。」 「…え?受け取ってよ。」 男にとっては予想外の答えだったのだ。 「え~貰ってよぉ。」と甘えの混じる情けない声を出す。 「お前が持って居ろ。俺がお前の所に見に行く。だから、お前が持って居ろ。」 夏が終わり、別れた後はきっと見に行くことが出来ない絵皿を男の胸に押しつけた。

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