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【15】「何てことをするんだケダモノめ」「何かエッチで良いねっ」
展示用の電子ピアノに群がる3人の少年が、奇声に近い笑い声をあげながら鍵盤を叩き目的無く音を出し遊んでいる。
「見ろ。二足歩行している。…何と言う名前の動物なのだろう。」
「…脊索動物門哺乳綱霊長目ヒト科ヒト属だよ錦君。皆元気だねぇ。」
「霊長目真猿亜目ヒト上科ヒト科のアウストラロピテクスか。つまりは猿人だ。」
「ホモ・サピエンス・サピエンスでしょ。」
それは現代人の学名だ。
あれはそこまで進化していないので、猿に近い。
男は呑気に笑うが笑い事ではない。
さらに日焼けした少年が一人加わったので、何処から走って来たのか辿ってみれば彼らの保護者らしき人物を発見した。
楽器店と隣のショップを隔てる通路端に設置してある トイレ前の踊り場で30代くらいの女性が三人楽しそうに話している。
一人は赤ん坊を腕に抱いていた。
「何を考えてるんだ。鍵盤に垢が付くとか傷がつくとか…っおい。拳で鍵盤を叩いた。 何てことをするんだケダモノめ。」
「何かエッチで良いねっ!錦君今度僕にケダモノめって言ってよ。」
警備員か店員はいないのだろうか。
男の言葉を無視し視線を彷徨わせ探してはみるが、それらしき姿は見当たらない。
この店の警備体制と接客はどうなっているんだ。
保護者らしき女は子供によく似た阿呆面で歓談中だ。
笑い声をあげている顔が特に似ている。
期待するだけ無駄だろう。
「――成長段階で人間に近い形へ進化すると考えてはいたが、二十数年程度では無理か。」
歯を見せ大きな口を開き笑う女を見て溜息まじりに腕を組む。
「ぶはっ!君は面白い事を真顔で言うね。」
「物言わず抵抗すらできない楽器に対する蛮行だ。もはや進化など待つ必要はない。 あの4匹は死んだ方が良い。死ぬべきだ。 俺が殺すのでお前は死体処理をしてくれ。」
殺意が芽生えた。
漲っていたと言っても過言ではない。あの阿呆面は見るに堪えない。
「あのねぇ、君は良いけど僕の年齢だとテレビに顔が出ちゃうでしょ。」
「確かに、誘拐だけでなく死体遺棄罪まで追加されるな。俺が悪かった。 お前は此処に居ろ、顔が割れたら困るだろう。俺がアレを黙らせてくる。5分で充分だ。」
薄情けに限りなく近いささやかな気遣いだ。
夏休み初日の錦であれば
「誘拐に死体遺棄罪が追加されるだけだろう。もうすでに犯罪を犯しているんだ。 一つ増えた所でどうした。やれ。」
位は言った。
しかしこの状況では正犯は錦だとしても男は幇助行為を行ったとして結局は共犯者になる。
「どちらにせよ、罪が追加されるのか。許せ誘拐犯。」
ピアノは鳴りやまない。
それどころか激しさを増している。
よしやろう、いまやろう。
勢いのまま足を勧めようとしたら、上腕を掴まれる。
「こらこら待ちなさい。」
後ろから抱きかかえるようにして止められ錦は不服の表情で男を見上げる。
「しかし下手だねぇ。」
「下手以前に猿がピアノを弾けると思うのか。お前は馬鹿だ。」
「君ね名誉棄損で訴えられるぞ。」
「お前が馬鹿なのは紛れもない事実だ。」
「僕の事じゃない。」
驚いたことに、名誉棄損とやらは男ではなく子供に対してらしい。
理性無き振る舞いをする馬鹿どもなど擁護の必要も無いし何より反論の余地などない。
「あれに人権を認めるなど意外にも奇特だな。」
ただ男の優しさを踏み躙るのは流石に躊躇う。
「…猿同レベルの低能なクソガキ共がピアノなど弾けると思うのか。」
直接的な表現が差別的表現だと受け止められるのならば 婉曲的な言葉を選ぶ。
一応人間扱いしているので問題ないはずだ。
「君は時々口が悪くなるね。」
正式名称で言い直せば問題ないと思ったのだが、駄目なのだろうか。
「…嫌か?」
――流石に男が不愉快に思うのなら、少しだけ改めても良い。
男の為ではない。
錦自身の今後の為だ。
人間関係において不要な波風を立てる態度は改めた方が良い。
断じて男に嫌厭される事を危惧したわけではない。
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