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【16】「なんて大人げないやつだ」
「僕に嫌われるかもしれないって心配した?」
「違うしていない。何故俺がお前の事なんて気にしないといけないんだ。ありえない。」
「この程度じゃ嫌いにならないよ。必死で可愛いな。キスして良い?額と頬なら良いよね?」
なぜそうなるんだ。
「駄目だ良くないセクシュアルハラスメントだ。」
「略しましょうよ錦さん。それに今更じゃない?ここでそんな顔されるともっと困らせたくなる。」
なんて大人げないやつだ。
錦が黙り込むと男は満足したように微笑む。
そしてドップラーのハンガリー田園幻想曲を口ずさみながら少年たちに向かい歩む。
ピアノに近付くと一人の少年が此方を見て隣の毬栗頭の少年を肘でつつく。
不機嫌そうな顔で毬栗頭も錦を見るが、僅かに視線をあげた後に一瞬でヘラりとした笑顔に変わる。
残り三人も気圧されながらもヘラヘラとした笑顔を張り付けすっと後方へ身を引く。
先ほどまで見せていた暴力的な程に無邪気な笑顔ではなく強者に媚び諂う臆病者のそれだ。
彼らの変わり身に虫唾が走る。
言いたいことがあるなら言えば良い。
8つの視線は明らかに男へ向いている。
男の顔がそんなに怖いのだろうか。
黙ってさえいれば、見惚れるような優しい顔をしている。
先程画集で見た宗教画に出てくる天使を思わせる柔和な表情なのだ。
「いやぁ、モーセの気分だ。」
男は解いた手を錦の背に添え、ピアノへと向かう。
子供を立ち退かせた後、そそくさとピアノから離れるのも何となく気が引けた。
玩具を強引に取り上げたのは良いが、その後どうすべきかと言う心境だ。
さてどうしたものか考えていると、男が錦をピアノの前に押し出す。
背後から両肩に手を置き「邪魔者は消えたぞ錦君。」と囁く。
「何がモーセだ。お前の胡散臭さにアホ面さげていた子供でさえ危機感を持ったか。」
「失敬だなぁ。僕は昔から他人に好感を与える外見と定評があるんだよ? 君だよ。君。君は本当に自分の事分かってないね。 君の背後にいる僕を保護者と思い、とっさに縋るようにこっちを見ていたのさ。」
「俺はそんな凶悪な顔はしていない。」
確かに殺意は芽生えたが、顔には出ていないはずだ。
多少出ていたとしても、 展示品の電子ピアノを拳で叩き奇声を上げて騒ぐような無神経な子供が、 同世代の――おまけに初対面だ――子供の機嫌の良し悪しを理由に、己の行動を律するなど考えられない。
彼らはこの男を見て怯んだのだ。
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