34 / 90

【18】「蛇の様に二つの手が素肌を這い上がってくる」

「面倒だなぁ、お子様の君でもわかりやすい形容にしようか。 でも僕は手のかかる子も好きなので悲観しなくても良い。」 「…悲観などしていないし面倒臭いのはお前の頭だ。」 立ったまま鍵盤に触れようとしたとき、男の手が双肩を包む。 「君の髪はC8の高音域で奏でたメロディーを思わせる。モーツァルトの『きらきら星変奏曲』を高音域で弾いたイメージだ。」 「如何いう例えだそれは」 右肩から重力が無くなり背後から伸びた男の指が鍵盤を軽く叩く。 高い音がぽーんと鳴った。 「艶々でサラサラしているから、88鍵のピアノの音域で例えるならC4からC8あたり。軽やかでキラキラなイメージ。」 簡単に言えば、右側の鍵盤の高音域と言いたいらしい。 男にとってその音がキラキラとしたイメ―ジなのだ。 感覚的に言いたいことは理解できたがどういう例えなんだ。 「成程。全く意味が分からない。」 ではもっと分かりやすく。 小さく「あっ」と声が漏れ唇を閉ざした。男の吐息が触れた。 鼻先を髪の毛に埋める様にして男が屈んだのだ。 「優雅なのに鋭く冷たい君の物静かな佇まいは、銀のナイフの様に美しい。 スクリャービンの神秘性のあるピアノ演奏のようだ。」 密着しているからか体温の上昇か二人の間に漂う空気が密度を深める。 男の温もりが錦へと移る。 肩に顔を乗せる様に男がすりよる。 鍵盤にかかる錦の両腕を男の指が這う。 ゆっくりと蛇の様に二つの手が素肌を這い上がってくる。 「アレク…サンドル・スクリャービン…好きなのか?」 こくりと唾液を飲み、肩越しに振り向くと――当り前のことなのだが――ずいぶんと近い場所に顔が有り驚いた。 「好きだよ。」 男は目を合わせたまま魅惑的な声で囁く。 目の前に在る唇が、笑う。 やけに艶めかしい笑みだった。 見てはいけないものを見てしまった気持ちになり、慌てて目をそらす。 「まってくれ――人が、見て…」 肘から肩へたどり着いた両手がゆっくりと交差しその熱の動きに息をのむ。 「君は本当に綺麗な眼をしてる。」 猫の子を愛でる手つきで、右手は錦を抱いたまま左手が喉元から頤を撫でる。 吐息を震わせ指の行き先に従い男に見せる様に仰け反る。 瞼が熱くて目を開いていること自体が辛い。 「…ん…駄目」 小さく呟き拒絶するが、男は「ほら見せて。」と笑いながら錦の頤に指を添え顔を覗き込む。 ――別荘でのやりとりを再現したかのように思えた。 この男は支配する側なのだと強く感じる。

ともだちにシェアしよう!