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【23】「ねぇ、僕にも思い出を頂戴。」

「僕にもピアノ聴かせてよ。」 「目立つだろうが。お前は捕まりたいのか。」 現時点でこれだけ目立てば今更なのだが抵抗がある。 男が瞬きをする。 照明を映し濃い茶色の瞳が煌めく。 ――容姿だけでも目立つのだが言動がさらに注目を集めている有様だ。 心配するだけ無駄だ。 「君の立場だと僕が捕まった方が有り難いんじゃないの?」 「…それは…」 しかし此処で錦がピアノを弾けば、 もしも男が逮捕された時に彼にとって有利な証言証拠になるかもしれない。 それでも誘拐には変わりないのだから、彼が犯罪者である事実は覆らない。 ――…俺は何を考えているのだろう。 彼が誘拐犯でなければだなんて。 犯罪者にしなければ、夏が終わっても側にいられるかもしれないだなんて。 どうかしている。 「ねぇ、僕にも思い出を頂戴。」 願われた事に衝撃を受ける。 穿たれた、と言っても良い。 「僕だけに頂戴よ。」 青い空の下始めて写真を撮った向日葵畑での笑顔を思い出した。 夕焼けの美しい海で夏の思い出と貝殻を差し出した声の優しさに胸が軋む。 男が口にする思いで作りは何時だって錦自身の記憶に対してで、男個人の記憶に対するものはごくわずかだった。 錦と共有するのではなく、男だけの物として望まれたのは初めてではないか。 「――発表会で他の子供にも聞かせたなら僕にもサラバンド聴かせてよ。」 「如何いう理屈だ。」 ここまで望まれると逆に演奏し難い。 照れと男に対する恥じらいだ。 ――ピアノ位弾けば良い。 これ位の望みなら簡単ではないか。 きっと、何年経とうと名前も知らない男と過ごしたこの夏休みを錦は忘れないだろう。 男の声も笑顔も手の温かさも忘れない。 男にもしも欠片でも錦の記憶を残せるなら――それならば、ピアノ演奏などささやか過ぎる望みではないか。 「そういえば準優秀賞の小林君は何を引いたの?」 無言の錦に男は話題を変える。 「メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調。凄く良かった。あの時俺は恍惚感を味わった。」 「恍惚…?」 「そうだ。」 「…錦君が…」 「そうだが?」 「恍惚を」 「俺だって恍惚感位味わう。」 男は錦の顔を見て、一つ頷く。 何かを決意したようなやたら凛々しい表情だった。

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