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【3】「一人は、とても寂しい。」
一緒に食事をする事も手を繋いで出掛ける事も、髪の毛を優しく梳かれる事も、 大事に胸元に抱き込まれることも、 夕焼けを見る事も、夜遅くまで星を見る事も闇夜に弾ける花火を見る事も、 夜眠るとき朝起きるとき名前を呼ばれることも。
他にも数え切れないほどの新しい記憶を、多くの初めてを男に与えられた。
何もかも、初めての経験なのに。
大事に少しずつ菓子を食べる様に、男との時間を過ごしたいのに。
あっけないほど早く夜が訪れる。
男と過ごす時間を長く感じれるなら長く感じたいのだが…。
体感時間が長く感じるどころかあっという間に時間が過ぎるのはどういうことだ。
脳の情報処理速度と矛盾している。
「あのさ、楽しい事に夢中になればあっという間に時間が過ぎる感 覚が有るだろう?体感時間が変わるからさ。 要するに君は僕と過ごす時間が楽しくて、僕と遊ぶことに没頭して時間を忘れて過ごしているから 、あっと言う間に夜が来ると感じると言うわけだ。 心理的時間と物理的時間の不一致だね。簡単な事さ。 何が君をそんなに悩ませているんだい?」
リビングルームに掛けられたカレンダーを見ながら一週間、二週間と日数を数えて 朝比奈がどう動くか、始めはずっと考えていた。
父と母がどのように、錦が居なくなったことを「処理」するのか興味があった。
それなのに。
夏休みの終わりをカウントダウンしはじめていた。
男と過ごす残り時間ばかりを考えている。
そして、朝目が覚めると酷く憂鬱になるのだ。
「…錦君、大丈夫?目が凄く潤んでるけど。え?ごめん僕何か酷いこと言った?」
「無神経男め大嫌いだ。」
小さく呟く言葉に男が耳聡く反応をする。
「ごめんって。」
「上辺だけの謝罪など不要だ。」
「難しい子だなぁ。」
どうしよう。
夏休みが終わる。
夏休みが終われば、この男との生活も終わる。
男が錦の側からいなくなる。
当り前のように手を繋いで歩くことも、抱きしめられる事も、大事に扱われることも、 この笑顔を声を温かな体温を感じる事も、終わってしまう。
時間が早く流れていく。
早く夏休みが終わるようで、言葉には表せない焦燥にきゅっと唇をかむ。
男と過ごした温かな時間と待ち受ける未来への冷たい帰り道を脳内で反芻する。
あの家に戻った時、今までのように振うなど 出来る筈はない。
一人は、とても寂しい。
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