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【7】「不思議な気持ちで眺める」
「料理出来る男ってポイント高いでしょ。惚れた?」
「惚れるものか。態々作ったのか。」
そんな手間をかけてまで食べたいものなのだろうか。
「ケーキ屋さん何処にあるか知らないし、 こんな暑い日に買って来たら戻ってくるまでの間に溶けそうじゃないか。 もうこれ作った方が早いよね。」
「一種類だけで良いのでは。」
手間をかけて複数のケーキを作る必要があるのか。
食に楽しみを求めない錦には理解できない。
「手間じゃないよ。ケーキ生地を型に流すときに、プレーン状態の生地に 南瓜とかチョコレートとか順番に混ぜて味を変えていけば良いだけの話じゃないか。」
因みにケーキの型はクッキングシートとアルミ箔を使用したらしい。
充分手間をかけているし、どう考えても面倒くさい。
「そうしたら適当な大きさでいくつかケーキ作れるじゃん。簡単さ。」
――簡単、なのだろうか?
錦がやれと言われたら、同レベルの物を作る自信がない。
まず、型を作る段階で失敗しそうだ。
何でもそつ無く熟すとよく言われるが、そうでもない。
裁縫や調理は苦手だし 手先はどちらかと言えば不器用だ。
手間などかけていないと言うが、クオリティの高い仕上がりに何だか腹が立った。
「どれが良い?それとも一口ずつ食べる?」
「お前が作ったんだ。お前が食べたいものを選べ。」
「基本的に僕好き嫌いないんだよね。君が食べれないのを教えて。僕がそれを食べるから。ね?」
有無を言わせぬ押しの強さで錦にケーキを勧めてくる。
桃のケーキは駄目だ。
錦は基本的に糖度の高い果物は好まない。
それに薬との相互作用に関わらず、――食べてはいけないわけではないが―― 感染症の問題で皮の薄い果物も出来るだけ避けろと医師には言われている。
男曰く桃は缶詰を使用しているらしい。
缶詰なら問題ないが、ムースに生クリームが使用されていた為選択肢から外した。
ヨーグルトケーキはグレープフルーツを使用しているので論外だ。
ならば、残りは南瓜かショコラケーキとなる。
「オレンジはドライフルーツか?」
ドライフルーツなら食べる事は出来ない。
「生だよ。 皮ごと擦り下したのと刻んだの練り込んでるの。」
国産無農薬のオレンジを使用していると男は加えた。
グレープフルーツを筆頭に免疫抑制剤と相互作用を引き起こす可能性がある柑橘類は避けろと言われたが、 檸檬やオレンジは問題がない。
(しかし口にするのに抵抗が有るので普段は出来るだけ食べないようにはしている。)
これなら口にしても問題ないだろう。が、何だか甘そうだ。
「これとかお勧め。」
迷っていると、ケーキサーバーでショコラケーキを取り上げて勧めて来た。
砂糖が塗されているわけでもクリームが添えられているわけでもない。
スポンジにチョコレートを溶かし込み練り込んだオレンジと併せて 焼き上げた実にシンプルなものだ。
「甘くないのか。」
「甘さ控えめで作ったんだ。ビターチョコレート使ってるから少し苦味が有る位だよ。」
勧められるがままにショコラケーキにフォークを沈めればほとんど抵抗なく、形が崩れた。
生地の密度から硬さがあると思ったが、意外にも柔らかい。
「硬いのかと思った。」
「ケーク・オ・ショコラにしたんだ。君はガト―ショコラとか食感が苦手そうだよね。 次のお勧めは南瓜のケーキかな。キャラメルソースも、ほろ苦いと思う。」
口に入れた瞬間、カカオの風味に続きオレンジの香りが鼻を抜ける。
「――美味しい。」
ポツリとつぶやく。
巷で良く聞く「ホッとする味」など意味不明の感想と思ったが、何となく理解できた。
きっとこのケーキみたいな味の事を言うのだ。
口辺りが軽く、食べやすい。
チョコレートの味わいも濃厚さはないがカカオの風味が効いていてコクがある。
「甘いけど、あまり甘くない。」
美味しい。
二口目をフォークで崩して食べる。
オレンジは仄かに香る程度で味自体は薄い。
香付けに使用したのだろうか。
男が笑顔で南瓜のケーキを取り上げ錦に差し出す。
ショコラケーキ以上に簡単にフォークが入った。
口の中で溶けると思う程に柔らかく、殆ど噛まなくても舌の上で崩れた。
南瓜の濃厚な甘さがあるが、後味はしつこくない。
砂糖の甘さではない。南瓜そのものの甘さだ。
キャラメルソースも甘さと程よい苦味があり美味しかった。
「じゃぁ僕がこれ貰うね。」
錦が口にしない桃のムースケーキを皿に乗せ嬉しそうに口に運んだ。
アンティーク調のインテリア小物と見紛いそうなケーキと、優し気な男の容姿を見て 彼自身が先ほど言った「ケーキと組み合わせると可愛い」の意味が少しだけわかった。
可憐な少女に綺麗な人形を持たせているようなものなのだ。
甘やかな微笑みが滲むように揺らぐ。
「気に入ってくれた?」
「どちらも美味しいと思う。個人的にはチョコレートの方が好みだ。」
ショコラケーキの残りを食べていると男はやけに優しい笑顔を見せてくる。
殆ど甘さは感じられないので食べやすい。
柔らかくしっとりとした食感にスポンジの舌触りも良く好みに合う。
二口、三口程度で食べられる大きさも丁度良い。
「これは、好きかもしれない。大きさも丁度良い。」
「本当?嬉しい。今度はブラウニー作ってみるね。甘くなくて、重くないやつ。 そうだシフォンケーキとか好きかな?食べてみたいものとかないの? マフィンとかはどうだろう?お菓子じゃないけどケークサレも良いかも。パイは好き?」
何故、こんなに楽しそうなのだろうか。
ぱっと顔を輝かせはしゃいだ表情になる男を不思議な気持ちで眺める。
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