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【10】「勘違であれば、どんなに良かったか。」

「それで、何だったんだこのケーキ共は。そんなに食べたかったのか?」 それもあるけど、と男は冷えたダージリンを口に含みフォークを置いた。 「――最近の君、時々思いつめたような顔することが有るから。やっぱり寂しいのかなって。」 大きな半月型の瞳に濃く睫の影が落ちる。 正面から、男が見つめてくる。 美しい男だと改めて思った。 「そんな顔してない」 「そう?じゃぁ、僕の気の所為かな?」 爪先を濡らしながら汗をかいたグラスを撫でる。 この指が、何時も錦の手を取り髪や肌を撫でるのだ。 くらりと眩暈がした。 「君がぼんやりするのは珍しいな。」 男はストローを回し氷の音を楽しみながら、アイスティーを吸い上げる。 「寂しいのかと心配しちゃった。熱さでやられただけかな?」 男の事ばかり考えている自分に我に返る。 「寂しいだって?」 遅れて男の言葉に反応をする。 寂しい? 誘拐されたのに、ニュースにさえならない事が? 朝比奈家が何の反応もしていない事が? 最初から分かり切っていた答えをいまさら白々しく答え合わせすることが? 日が経つにつれ気分が塞ぐ時間が少しだけ増えた。 確かに、寂寥や感傷が無いと言えばうそになる。 最近は寂しいと言うより、過ぎ去る日を惜しんでいるに近い。 終わりを無くすことも夏休みを延々と続けることも出来ないのだから、非生産的にも過去を惜しむばかりだ。 「そう、寂しそうな顔するからどうしようかなって考えてた。お家に帰りたい?」 そうじゃない。 違う。 この男との夏休みが終わることが、憂鬱の原因なのだ。 家になんて帰りたくない。 ずっとこの男の笑顔を見ていたい。 声を聴いていたい。 抱き込まれて名前を呼ばれながら眠りたい。 「違う、お前の勘違いだ。」 この男の側にずっと… 「俺は寂しくない。」 続く言葉を別の言葉にすり替えて本心を塞いだ。 「そう?僕の勘違いか。ならよかった。」 そうだ。 勘違であれば、どんなに良かったか。

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