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【3】「お前の破滅は望まない。」
「おぉっ、お風呂上がりの良い匂いがするね。」
後頭部を撫で指で髪を梳く。
男はこめかみに鼻先を埋め香りを吸う。
「犬か貴様。」
それらしく犬のような名前で呼んでやろうかと口を開きかけた時、 男が錦の耳に聞いたことも無い言語を吹き込む。
「何語だそれは?和訳しろ。」
「夜明けまでに私の名前を明らかに出来たら、私の命を捧げよう」
「あぁ、何だ。トゥーランドットか。」
男が口にしたのは第二幕の終盤だ。
謎解きが出来なければ死刑、解ければ姫を花嫁に出来る。
謎解きは出来たが、婚姻を拒む姫に今度は王子が逆に名前を当ててみろと謎解きを持ちかけるのだ。
夜明けまでに謎が解ければ、王子は姫に命を与えると宣言する。
最終的に夜明けに勝利をした王子が、――一度はどこかで聞いたことが有るだろう―― ベルベットを思わせる極上のテノールでかの有名なアリアを歌うのだ。
男は悪ふざけが好きだ。
時々何処までが冗談でどこまでが本気か分からない時が有る。
(そういう時は、錦にとって都合の良い方で判断することにした)
「折角だ。誰も寝てはならぬを歌ってみてくれ。」
メロディーつきで歌ってくれたら、歌詞は覚えてるので意味は分かる。 男は囁くように歌う。
何時もより深く、 耳に心地よい。
「ma il mio mistero …ですが、私の秘密は私の胸に隠してあります。」
「528ヘルツ…」
ポツリとつぶやく。
いわゆる愛の周波だ。
極上のテノールとまではいわないが錦にとっては、この声が最も心地よい。
『誰も私の名前を知ることはないでしょう
いいえ
夜が明ければ貴方に口付て教えましょう
この口付が沈黙を破り私は貴方を手に入れる』
ブラウン管では姫を抱きしめる王子がいる。
腰に添えられていた手が背中へと這い上がる。
「貴方の唇に私の秘密を」囁く男の唇に指先をあてた。
「お前の破滅は望まない。」
続く筈の王子の言葉を男が口にする前に否定する。
唇に言葉を乗せ、男の首に腕を回す。
背を撫でられ、抱きしめられた。
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