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アオキ21

着物を落とした肢体がまだ明るい陽の差す蜂巣の部屋に浮かぶ。 情欲に満ちた淫靡な誘い。 しかし、アオキの身体は不思議と清潔感があり谷川の清澄な水のような雰囲気を纏っていた。 少し前、紅鳶はしずい邸の人気娼妓であるアザミに接触していた。 美しく妖艶なアザミは、見るものを強烈に惹き寄せる圧倒的な婀娜(あだ)っぽさを持っていた。 その蠱惑的なアザミの魅力は、今まで何人もの美男美女を見てきた紅鳶さえも目を奪われてしまったほどだった。 しかし、アオキはアザミとは全く逆だ。 美しいというカテゴリーでは一緒ではあるが、アザミのような匂いたつような色気は持ち合わせていないし、妖艶さもない。 しかし、そのアオキの肉体は今の紅鳶にとって色情を煽る引き金のようになっていた。 肉体が交じり合う遊郭において、男娼の中には客に恋心を抱き思慕の情に絆されて身を崩していく者も少なくはない。 逆に、客の方が男娼に心酔してしまうことも多く、特に紅鳶のような人気男娼になると客の方から言い寄られることが多かった。 「貴方が忘れられない」「好きになってしまった」は日常茶飯事。 中にはあまりの恋慕の強さに「一緒に死んで欲しい」と心中を願ってくる客もいたりする。 幸い遇らう術は嫌という程学ばされているため、大体の客は上手く丸め込んでいる。 こんな体を売ってる人間を本気で好きになる奴の気がしれない。 笑顔で優しく客を宥めるていたが、紅鳶の心の内は全く冷めきったものだった。 そもそも紅鳶は人を好きになったことがない。 そんな余裕など今までの人生において一瞬たりともなかったからだ。 紅鳶の両親は、紅鳶がまだ物心つかないうちに離婚した。 母親は紅鳶と四つ上の兄になる幼い子ども二人を置いて家を出て行った。 それから父親と兄と三人の生活が始まった。 しかし、三人での生活が始まって間もなく父親が帰って来なくなった。 どうやら父親は別に家庭を作っていたらしい。 それから兄と二人、親のいない家で何とか毎日を生きる日々。 生活は貧困で、家に電気がつかない日もあれば食事もまともに摂れない日もあった。 それでも何とか中学を卒業し、高校生になったある日更なる不幸が訪れた。 柄の悪い男が数人家に押しかけて来て、借用書を突きつけて来たのだ。 その借主の欄には父親の名前があった。 押し付けられた金額は紅鳶が一生働いても返しきれないほどの高額なものだった。 「君たちのお父さんは悪い人だ。借りた金も返さずに逃げたんだからな」 悪質な手口で金を貸す金融会社、いわゆるヤミ金から多額の金を借りた父親は、その殆どを返済せずに逃走したという。 紅鳶は怒り狂い抗議した。 早くから見放され兄と二人必死になって生きて来たというのに、勝手に作った借金まで背負わされてあんなのは父親でもなんでもない。 しかし、そこに突きつけられたのは血の繋がりという忌々しいものだった。 悔しかった、自分の無力さが。 そして憎らしかった、父親が。 自分たちを見捨てたくせに、借金まで背負わせた父親を死ぬほど憎んだ。 それから、紅鳶は通っていた高校を中退しアルバイトを始めた。 兄と二人、昼夜を問わず、休みも睡眠時間も削り必死になって働いた。 しかし、苦労して稼いだ金の殆どは借金の取り立てに取り上げられそれも利息の一部にしかならない。 それでも働き、働き、とにかく働いた。 そうして再び不幸が訪れた。 働き詰めだった兄がついに倒れたのだ。 病院で検査の結果を聞いた紅鳶は絶望した。 兄は原因不明の難病とされる病魔に侵されていたのだった。 医者には治る見込みはないと言われたが、紅鳶は決して信じなかった。 兄はたった一人の家族であり大切な兄弟だ。 散々苦労をしたが、兄が居たから生きてこれた。 兄を失うわけにはいかない。 それから紅鳶は自らこの淫花廓を訪れた。 楼主に頼み込み、ヤミ金への借金の肩代わりと引き換えに一番手となって、楼主の手足となり死ぬまで働く事を約束した。 紅鳶の座敷上での稼ぎは肩代わりしてもらった借金の返済に充てられるが、それ以外での働きは兄の治療費に充てられるようになっている。 金だ。 とにかく金がいる。 金があれば、金さえ手に入れれば病から兄を救う事ができるのだ。 アオキの再教育を引き受けたのも元々は金が目当てだった。 しかしあの日、楼主の部屋で屈辱に顔を歪めていたアオキの表情に、紅鳶は生まれて初めて心を奪われてしまったのだ。 憂いを含んだその表情は儚げで、今にも消えてなくなりそうなほどか細く感じた。 きっと今まで、ひっそりと隅の方で生きてきたに違いない。 けれどそのアオキの諦観に沈んだ表情が、他人に対して無頓着だった紅鳶の何かを突き動かしたのだった。

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