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アオキ24

久しぶりにアオキが張見世(はりみせ)に姿を見せると、そこにいた娼妓たちの視線が一斉に注がれた。 決して好意的ではない眼差しに居心地の悪さを感じながら、アオキは隅の方に腰を下ろす。 開店前とあって、張見世の中には数十名の娼妓がいた。 その中にはお茶引き仲間の娼妓も数名いて、「久しぶり」の意味も込めてアオキが笑顔を見せようとすると、皆すぐに顔をそらしてしまった。 アオキは溜め息を吐くと、なるべく視線を感じないように格子の外を見つめた。 どうしてこんな風にアオキが冷たい眼差しで見られる羽目になったのかは大体予想がついていた。 それはアオキが再教育を受けている最中、このしずい邸に突如として走った激震のせいだ。 圧倒的な人気を誇っていたアザミ。 長年上位に君臨していた女王が突如としてその座を自ら降りたのだ。 理由や詳細など他の娼妓たちもアオキも聞かされていないのだが、突如として空いたナンバーワンの座は娼妓たちの関心を一身に集めている。 次のになるのは誰か。 その座にのし上がるのは誰か。 ちょうどそのタイミングでアオキが再教育を受けていたものだから、他の娼妓たちから何か裏があるのではないかと疑いの目で見られるのは当然の事だった。 しかし実際はただ捻じ曲がった根性を叩き直されただけであり、アオキ自身そんなつもりで再教育を受けたとは思っていない。 「お茶引きばっかりしてた奴がいきなり再教育って何なわけ?」 「楼主に色目でも使ったんじゃない?あいつ顔だけはいいから」 ひそひそと話しているつもりだろうがアオキの耳にはしっかりと届いている。 しかし、アオキにとってアザミがいなくなろうが次の一番手が誰になろうがそんな事はどうでもよかった。 頭の中は数日前まで寝食を共に過ごしていた紅鳶(べにとび)の事でいっぱいだったからだ。 あの日最後のテストとして月白(げっぱく)と交わっている最中、アオキは倒れてしまった。 連日の激しい情交についに身体が悲鳴を上げたのだ。 月白の手管はその柔らかな雰囲気に似合わず酷いものだった。 途中からの記憶が途切れ途切れになっているが、緊縛から吊るされて容赦なく犯された時は本気で死の恐怖を感じた。 遠くなる意識の中で、紅鳶が仕切りにアオキの名を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、あれは気のせいだろうか。 気がつくとしずい邸に戻っていて、アオキは数日間高熱に(うな)されてしまったのだ。 せめて最後に一言でも言葉を交わしたかった。 紅鳶にお礼も言えないまま、みっともない別れをしてしまった事がずっと心残りになっている。 そしてこうして再教育を終えてみて、アオキは既に自分が途方もなく彼に惹かれている事に気付いてしまっていた。 決して惹かれてはいけない相手。 ゆうずい邸の一番手である紅鳶をアオキは好きになってしまったのだ。 「マツバ」 不意に格子の外から優しく娼妓を呼ぶ声が響く。 格子の外には、上質なスーツに身を包んだ端正な顔立ちの男が優しげに微笑みながらこちらを見ていた。 アオキの斜め前に座っていたマツバツバキの表情が一瞬にして綻ぶ。 「西園寺様」 頬を紅潮させて、瞳を潤ませるマツバのそれは愛しいものへ向けられる眼差しだ。 そして、西園寺と呼ばれた客もまた同じ眼差しでマツバを見ている。 羨ましい。 アオキが会いたい人物は決してあの門からは現れない。 それどころか、もう二度と会えないのではないだろうか。 ゆうずい邸としずい邸の間にはどうやっても越えられない壁があり、アオキの力ではどうする事もできない。 しかし、会えないと思えば思うほどますます会いたい想いが募っていく。 今頃紅鳶は何をしているだろうか。 アオキはまた深く溜め息を吐いた。 「陰気くさいな。溜め息吐くならもう少しあっちで吐いてくれない?」 暗い顔のアオキに厳しい言葉をかけてきたのはツユクサだった。 「ご、ごめん」 ツユクサは最近しずい邸にやってきた男娼だ。 新人にもかかわらず、覚えはいいし客受けもいいとあってメキメキとその頭角を現している。 ツユクサはつんとした表情で横を向くとサラリとした黒髪を耳にかけた。 他の娼妓より男らしい体躯なのだが、その仕草や表情には色気がある。 次のアザミになるのは彼ではないだろうか、アオキは密かに思っていた。 「あんた、随分色っぽくなったね」 ツユクサの言葉にアオキはキョロキョロとあたりを見回した。 するとツユクサが苛立ちげにため息をつきながらこちらを睨みつけてくる。 「再教育まで受けさせてもらっといて自覚がないとか…ほんとムカつくんだけど」 「あ?え?俺の事?」 「あんた以外に誰がいるわけ?ほんっとムカつくな」 不快感をあらわにされてアオキはごめんと呟いた。 「それで、再教育ってあの人にも何かされたわけ?」 「あの人って……?」 恐る恐る聞き返すと、突然胸倉を掴まれて引き寄せられた。 「にっぶいな!楼主だよ、あの人もあんたに指導したのか聞いてるんだけど」 「し、してないけど……」 アオキが戸惑いながら答えると、ツユクサはすぐに手を離した。 「……あっそ」 冷たく突き放されてアオキは乱れた着物もそのままに呆然としてしまった。 しかしツユクサがそれ以上絡んでくる事はなかった。

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