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アオキ30
「見てごらんよ、この無様な姿を」
アオキの前に放られた紅鳶に向かって般若が顎をしゃくる。
「客も取らず、昼間っから酒に溺れて暴れるなんてゆうずい邸の一番手が聞いて呆れるよ」
まさかそんなはずはない。
アオキは半信半疑の眼差しで目の前の男を見つめた。
初めて出逢った時の凜とした姿、圧倒的なオーラ、ゆうずい邸で一番手を張るに相応しい威厳のある立ち振る舞いや仕草。
そんなものがすっかり刮げ落ちているが確かに男は紅鳶だった。
顔色がひどく悪い。
それに、顔の所々に痣のようなものが見受けられる。
生気の宿っていない瞳は何も映していないかのように暗く、覇気を全く感じない。
やはりどこか具合が悪いのではないだろうか。
アオキは心配になった。
きっとそうだ。
それか、逆恨みをした誰かに意図的にこうされたのかもしれない。
紅鳶は一番手だ。
落ちこぼれだったアオキを叱り、指導し、ここにいる意味を教えてくれた人。
そんな彼が、いつかのアオキのように自ら投げやりになるなんて絶対に有り得ないのだ。
思わず紅鳶の元へ駆け寄ろうとすると、誰かに腕を掴まれた。
振り向くと怪士の巨大な手がアオキを行かせまいと阻止している。
「離してください」
キッと怪士を睨むと、般若が静かに窘めてきた。
「それ以上近づくんじゃないよ、今は大人しくしておいで」
アオキは悔しげに唇を噛み締めた。
好きな人が目の前で苦しんでいるというのに自分は何もしてあげることができない。
触れるどころか、そばに近づくことさえも許されないのだ。
具体的に自分に何ができるかはわからない。
それでもそばに寄り添ってあげたい、彼を陥れようとするものから守ってあげたい、傷つける人は誰であろうと許さない。
しかし、その一つたりともアオキは彼にしてあげることができないのだ。
自分の無力さに涙が滲む。
揺れる視界の先でやつれた紅鳶の姿を必死に捉えることしかできないのだ。
「ったく、上客怒らせたかと思えば今度は自暴自棄か。どうしようもねぇな紅鳶」
楼主はこめかみを押さえると、深く溜息を吐いた。
煙管の柄の部分で紅鳶の顎をしゃくると、乱れた髪の隙間から覇気のない顔が覗く。
その表情を見て、楼主が冷ややかな眼差しとともに鼻先で笑った。
「あんだけ色々突っかかってきたくせにこのザマか、情けねぇ。まぁいい、ちょうど良かった。そんな落ちぶれたてめぇにも身請けの話が数件上がってるところだ。自分の仕事をきっちりと思い出すことができねぇなら、俺が適当に見繕って身請けの話を進めてやる」
楼主の非情な言葉にアオキは目を見開いた。
そんな事をしたら、それこそ本当に紅鳶に会えなくなる。
それに、まだ紅鳶に同意の意思があるならまだしも、何の承諾もなく身請けの話を進めるなんてあまりにも身勝手だ。
「待ってください!そんな…勝手に身請けを進めるなんて酷すぎます!!」
アオキは思わず前のめりになって楼主に訴えた。
抑える怪士の手が腕にきつく食い込む。
「アオキ、お前も大概にしとけよ。それ以上こいつに構うな、自分のやるべき事に集中しろ。そいつができねぇならてめぇの身請け の話も俺が勝手に進める」
楼主の言葉に胸を抉られるような気持ちになった。
どうやっても引き裂くつもりなのだ、この男は。
と同時に怒りがふつふつと込み上げてくる。
モノ扱いされることは仕方がないことだとどこかで諦めていた。
娼妓は借金を返すためだけにここにいるのであって、そこに余計な感情は要らないのだと必死に言い聞かせてきた。
しかし身請けの話まで勝手に決めようとしてしまう楼主のやり口は人道的ではない。
今まで一番手として努力してきた紅鳶さえも無下に扱えるほど自分の損得しか考えていないのかと思うと、もう我慢の限界だった。
「紅鳶様も俺もモノじゃありません!!」
珍しく怒りを露わにするアオキに一瞬動きを止めたものの、楼主は微塵も表情を変えず淡々と告げてきた。
「お前は商品だ。この淫花廓にいる限り、それ以上でもそれ以下でもねぇ。わかったらさっさと持ち場へ戻れ。客をとって寝てこい」
さらに非情で酷薄な言葉を投げかけられてアオキはショックのあまり瞠目した。
こんなにも情け容赦のない鬼のような男だったのか、この男は。
「っ、…あなたはひどいです」
精一杯の恨みを視線に込めて枯野の男を睨みつける。
すると楼主はフッと笑うとアオキに背を向けてポツリとこぼした。
「あぁ、そうだな」
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