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アオキ31
暗くなった夜空を稲光が走っている。
朝から降りだしていた雨足はいつの間にか土砂降りに変わっていた。
吹く風も強く、廊下の窓にはひっきりなしに雨粒が叩きつけられている。
楼主の部屋を追い出されしずい邸に戻る道中、アオキは絶望に打ち拉 がれていた。
今度こそ本当に紅鳶と会う事ができなくなってしまったからだ。
楼主に噛みついたことはもちろんだが、アオキの紅鳶に対する気持ちも知られてしまった。
禁忌である恋心。
本来しずい邸の男娼がゆうずい邸の男娼に想いを寄せるなんて事あってはならないのだ。
その上、紅鳶にも身請けの話が上がっていると言っていた。
楼主がもし本気でその話のどれかを引き受けてしまったら、彼は淫花廓 を去る事になるだろう。
いや、その前にアオキの方が先が追い出されるかもしれない。
こんな事ならまだ座敷牢行きの方がマシだった。
罰を受けさえすればまだ淫花廓にいる事ができる。
同じ敷地内で働く男娼同士という事だけがアオキと紅鳶を繋ぐものなのに、それを断ち切られたらそれこそ本当におしまいなのだ。
アオキは深くため息を吐くと、横殴りの雨が降る窓の外を眺めた。
営業の始まったしずい邸の張見世が遠くでオレンジ色の光をぼんやりと灯している。
どんなに天候が悪くても、ここはいつだって客が沸く。
客と娼妓だったら良かったのに。
アオキはそっと思った。
自分が客だったら毎日でも通う。
彼を買う事がどんなに大変でも、紅鳶に会う為なら死ぬ気で稼ぐだろう。
一目だけ。
その姿を一目だけ見れたら良いと思っていた。
そうすればきっと諦められる。
またしずい邸の娼妓に戻れると思っていたはずなのに。
姿を見たら声が聞きたくなった。
視線を絡めて、言葉を交わして、触れて欲しくてたまらなくなった。
アオキの眼から涙が一粒零れ落ちる。
その涙は誰にも知られる事なく、静かにひっそりと流れていった。
あと僅かでしずい邸の寮に着くという所で、前を歩いていた男衆が足を止める。
何事かと見ると、廊下の窓ガラスが一枚破れているようだった。
この強い風と雨の影響だろうか。
破れた場所からひっきりなしに雨風が入り込んできて床をびしょびしょに濡らしている。
「離れていて下さい。片付けます」
男衆が静かに告げてくる。
「あの、俺…着替えてすぐに見世に戻ります」
早く一人になりたいアオキはガラスを片付ける男衆に告げると、寮へ続く道筋をとぼとぼと歩き出した。
自室に戻りのろのろと着物に着替えていると、突然眩しいほどの稲光とともに大きな雷鳴が響いた。
天井にある蛍光灯が二、三度明滅して真っ暗になる。
落雷による停電だろうか。
部屋から出て張見世のある方を見ると、どこもかしこも電気が消えていた。
ここはセキュリティの厳しい淫花廓。
一見すると昔ながらの楼閣を思わせる時代的な造りをしているが、その裏には強固なセキュリティが張られ男娼や男衆、客たちでさえも監視下に入っている。
すぐに灯りが戻るかと思ったが電気はなかなか戻らず、蝋燭の小さな灯りがポツポツと灯り出した。
蜂巣の中にいる客たちにはあまり関係ないかもしれないが…
アオキはふと思った。
これは、チャンスかもしれない。
この暗闇にもしも上手く紛れることができたら、ゆうずい邸の、紅鳶の元へ行けるかもしれない。
幸い、今は監視の目もない。
その上停電とこの大雨だ。
たとえアオキがいなくなった事がバレてもいくらか時間を稼げるだろう。
それまでに何とか紅鳶に会えれば…
迷っているひまはない。
男娼の安全と逃亡防止のための設備が完備されている以上、ここがいつまでも停電したままとはとても思えない。
アオキは鮮やかな打ち掛けを脱ぎ捨てると、襦袢のまま寮を抜けだした。
外に飛び出すと横殴りの雨が叩きつける中ゆうずい邸に向かって走り出す。
とにかく紅鳶に会いたい。
アオキはただただ、その一心だけで走っていた。
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