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アオキ33

「なぁ、紅鳶」 アオキが出て行ったのを見送ると、楼主は背中越しに紅鳶に訊ねてきた。 「てめぇは何の為に此処にいる?何の覚悟を決めて此処に来た?」 伏せていた目蓋が僅かに動く。 楼主にはお見通しだったのだろう。 本当は紅鳶が酔ってなどいない事が。 ゆうずい邸の男娼は、客の前で酔い潰れるなんてみっともない姿を晒さないように酒に対して耐性が強くなるよう鍛えている。 それに加え紅鳶はもともとだ。 どんなに浴びるほど酒を飲んだところで顔色一つ変える事はない。 しかし、結局のところそれが引き金になってしまった。 何もかも忘れる為に煽ったやけ酒で少しも酔えず、それを止めようとしてきた仲間たちに苛立ち暴力をふるってしまったのだ。 とばっちりを受けた男娼たちには悪いことをしたと思っている。 特に必死になって止めようとしてくれた青藍には迷惑をかけてしまった。 しかし、紅鳶の心はもうボロボロだった。 どうしていいかわからないのだ。 この初めて経験する行き場のない感情をどこにどうやって収めればいいのかわからない。 般若の言う通り、自分は情けない男だ。 一番手でもなんでもない。 こんな感情一つに振り回されっぱなしなのだから。 「俺はな…」 マッチを擦る摩擦音の後、楼主は静かに話し始めた。 「さっきも言ったがてめぇら男娼がどこでどんな風に生きようと知ったこっちゃねぇ。どこで生きようが死のうが、幸せになろうが不幸になろうがどうでもいいんだ。ただな…」 足音が近づいてきたかと思うと、乱れた胸倉を掴まれるグッと持ち上げられる。 それまで項垂れていた紅鳶は無理矢理顔を上げさせられた。 「覚悟もなしに淫花廓(ここ)にいるのが目障りで仕方ねぇんだよ」 鋭い眼光に見据えられて紅鳶の口元がひくりと動く。 「勝手に腐って堕ちていくのはかまわねぇ。ただし堕ちるなら一人で落ちろ。あれを巻き込むな。あいつはまだ伸び代がある。やる気になりゃぁ自力でここを出て行けるだろうよ」 的を得たような楼主の言葉に、胸が抉られる。 「な…んの事だ…っ」 誤魔化そうとすると、掴まれた胸倉をますます締め上げられ紅鳶は低く呻いた。 「わからねぇのか?てめぇの中途半端な気持ちでアオキを振り回すなっつってるんだよ」 ハッとして目を見開くと、いつもはどこか一歩引いて傍観しているような男の顔が苦虫を噛み潰したようなものになっている。 … 何となくそんな気がしたが、男のそれは一瞬垣間見えただけで直ぐに元の表情に戻っていった。 掴まれていた胸倉を唐突に離されて、紅鳶は再び床に崩れ落ちる。 楼主は面倒な仕事が一つ終わったかのようにぱんぱんと手を払うと、いつものように抜き入れ手のスタイルになった。 「まぁ、それでも決心がつかなけりゃ大人しく身請けされるこった。商品のてめぇにまだ価値があるうちにな」 稲光が空を一瞬明るくする。 窓を叩く大粒の雨の向こう側には、しずい邸にしかない見世の灯りがぼんやりと見えていた。 今頃アオキはあそこで客に買われ、組み敷かれ、甘い声で鳴いているのだろうか。 紅鳶自ら叩き込んだ性技を駆使して。 低い雷鳴が紅鳶の気持ちを代弁するかのように唸り声を轟かせている。 暫くその様子を見つめていた紅鳶は立ち上がると、何かを決めたように歩き出したのだった。

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