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雨の日に8
紅鳶に抱えられて家まで戻ってきたアオキは、すぐに風呂場へと連れていかれた。
彼は手早く湯船に湯を溜めると、汚れた着物を脱ぐように命じてくる。
いつになく口数の少ない紅鳶に、アオキは少しビクビクとしながら汚れた帯に手をかけた。
背後から聞こえる衣擦れの音に彼も衣服を脱いでいる気配はするが、何となく振り向けない。
やっぱり怒っているだろうか。
もたもたとしながら帯を解くと、着物の隙間から滑り出た何かが床の上にどさっと落ちる。
それは舛花の前で紅鳶がねじ込んできた帯封付きの札束だった。
ギョッとして慌てて拾うと、汚れてしまっていないか確認する。
幸い少し泥はついてしまっているが大きな汚れはないようだ。
ホッとするとアオキは思い切って後ろを振り返った。
「あの、…これお返しします。少し汚れてしまって…すみません…」
札束を差し出すと項垂れる。
叱られるのは覚悟の上だった。
だってアオキが紅鳶との約束を破らなければ、舛花にあんなこともされなかっただろうし、紅鳶に余計な手間をかけさせることもなかったはず。
すると、ぬっと伸びてきた腕に引き寄せられてアオキはあっという間に紅鳶の腕の中に捕えられてしまった。
厚い胸板と腕に挟まれて心臓が跳ね上がる。
抱擁なんて何度もされているのにいつまでたっても慣れないものだ。
「ビクビクするな、初めほど怒ってはいない。それにもう罰は与えたつもりだ」
紅鳶は至って穏やかな口調でそう言うと、アオキを宥めるように額に唇を落とした。
じんと胸が熱くなる。
紅鳶の男ぶりの良さを噛みしめるとアオキはそっと頷いた。
「…はい」
「それよりもお前が他の男のことを心配する方が許せなかったな」
紅鳶はそう言うと、息苦しいくらい強く抱きしめてきた。
「そんな…俺は紅鳶様以外目に入ってませんよ」
「お前は優しくて綺麗だ。いつかこの腕をすり抜けて何処か違う男の元に行ってしまいそうで怖い」
二人で暮らし始めてから、彼は時々こうして不安を口にする事がある。
紅鳶以外の男の元へ行くなんてそんな事絶対にあり得ないのにだ。
でもアオキはそれがとても嬉しかった。
不謹慎かもしれないが、アオキに対して紅鳶がそこまで依存してくれている事がとても嬉しいのだ。
宥めるように背中に手を回すと、紅鳶が甘えるようにアオキの首元に鼻先を擦り付けてきた。
「アオキ、これは俺がずっと思っていた事なんだが…来週からお前も一緒に出勤してもらいたい」
「え?」
「思っていたよりやる事が多くてな。簡単な雑務だがアオキが手伝ってくれてら助かる。それに今回みたいに俺がいない間お前が外で誰かに襲われてやしないか心配しなくてすむだろう?」
紅鳶はそう言うと悪戯っぽく目を細めた。
アオキは信じられない気持ちで目を瞬かせた。
正直アオキは今まで娼妓以外の事をしっかりとやった事がない。
義両親に売られ、淫花廓 で水上げされてからは、この世界のルールとここで生き残るための性技と知識だけを身につけた。
しかしたとえどんなに売れっ子で一番手の経験があったとしても、その世界から足を洗ってしまえば娼妓の技や知識など何の役にも立たない。
アオキ自身得意な事などは殆どないに等しいが、次期楼主として励む紅鳶の何かしらの役に立ちたいとずっと思っていた。
私生活のサポートはもちろんだが、もっと明確に役に立つ事ができたらいいなとずっと思っていたのだ。
だから少し驚きはしたが、その提案はアオキにとっては願ってもない話だった。
「あの…いいんですか?俺も…役に立てるんですか…?」
アオキは恐る恐る訊ねた。
「あぁ、当然だろ。何より、お前がそばにいると俺の心持ちが違う。ただし、行きは一緒だが帰りは先に帰れ。心配しなくていい、男衆にしっかりと送らせるつもりだ」
「そんな…俺も一緒に最後まで働きます」
アオキが顔を上げて訴えると、紅鳶がほんの少し困ったように、しかし照れ臭そうに瞳を細めた。
「お前の待つ明かりの灯った家に帰る楽しみを奪わないでくれ」
途端にアオキの頬が熱くなり、真っ赤になっていくのがわかる。
あぁ、この人は何回アオキの心臓を壊せば気がすむのだろうか。
今まで生きてきた中で、これほど幸せを感じたことはなかった。
施設から義両親に引き取られ、初めて家族ができた時も嬉しかったが、今はそれ以上の喜びに溢れている。
こうやって紅鳶と一緒になれた事が本当に奇跡のようだと思った。
肉厚の唇がそっと近づき、アオキの震える下唇を甘く食む。
薄く開いた唇に紅鳶のそれが重なると、あっという間に互いを蕩かせる濃厚なキスへと変わっっていった。
この人が、世界で一番大事だ。
ずっと、ずっとそばにいて、どんな時も必ずこの人を支えてみせる。
そしてこの人と一生を共にするのだ。
「それより何か忘れてないか。さっき俺が言った事を覚えていないとは言わせないぞ?」
濃厚なキスが解かれ、低い声で囁かれたアオキは真っ赤になると頷いた。
快楽に素直な身体はすぐに熱くなり、欲しい場所がジンジンと疼き始める。
「まずは俺以外の男が触った場所を洗ってやる。隅々ましっかりとな」
独占欲に満ちたセリフに頭の中がとろりと熔ける。
外は雨。
今日はきっと眠れそうにない。
end.
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