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番外編《バレンタイン1》
アオキはカレンダーの前に立つと、じっと一点を睨みつけていた。
【ニ月十四日】
世間ではバレンタインデーというクリスマスに次ぐ一大イベント日である。
アオキは少し前まで娼妓としてこの淫花廓のしずい邸で働いていた。
淫花廓とは現代版の遊郭である。
その設定はかなり徹底されていて、非日常を演出するために外の世界とは完全に隔離された閉鎖空間となっている。
そのため、男娼はおろか訪れる客にも厳しい規約が設けられ、電子機器類はもちろん、客が外から持ち込むものにはその都度チェックが入る。
そしてそれは『物』だけに限る事ではなかった。
ここでは世間がやれクリスマスだのバレンタインだのと騒いでいても一切干渉しない。
そういうものは高級廓としての価値を下げるという楼主の趣旨らしい。
アオキも籠の中の鳥になる前はそれなりにイベントを楽しんだ事もある。
しかしここでは一切誰もその話題に触れないし、そういう雰囲気も全くないため、いつしか世間が騒ぐイベントごとは自分とは全く関係のないものとして考えるようになった。
特にしずい邸の男娼は希少価値が高く贈り物をもらう事の方が当たり前だったため、ますますイベントに対する存在感が薄れていってしまったのだ。
しかし、アオキはもう娼妓ではない。
紅鳶というゆうずい邸で一番手を張っていた元男娼と添い遂げる事ができた。
今は、彼とこの広大な淫花廓の片隅で慎ましくも幸せな生活を送っている。
好きでもない男に媚びてからだを開き、必死に金を稼ぐ日々からも解放された。
つまり自由の身なのである。
しかし今、この『自由』こそがアオキを悩ませる原因となっているのだった。
アオキは紅鳶と一緒ならどこでも暮らしていけると思っている。
同じ敷地内にいながら、絶対に会う事ができない場所にいたあの時に比べたら、どんな場所でも幸せだと思える自信があるからだ。
だが、この長年慣れ親しんだ場所を離れる事は勇気のいるだったりする。
それが例え一時的な外出であっても。
アオキが外に出てみたいと思った理由は、もちろん紅鳶に贈るバレンタインのプレゼントを選びに行くためだった。
この淫花廓にはわざわざ外に出て買い物をする必要がないよう、淫花廓の為に品物を卸す業者が存在する。
品物はカタログからいつでも自由に選べるようになっていて、どれも高級廓に相応しい厳選された逸品ばかりだ。
しかし、アオキは考えた。
それは外出できない男娼や、気に入った男娼に客が贈るための品物であって、自由になったアオキはもうわざわざ淫花廓内で品物を選ぶ必要はないのではないか、と。
世の中は広く、新しいものが次々と生み出されている。
きっとカタログには載ってないものが、外には沢山あるに違いない。
アオキは自分の足で店に赴き、自分の手で紅鳶に相応しいプレゼントを選んでみたいと思ったのだ。
手作りという手ももちろん考えた。
だが、アオキは正直あまりお菓子作りが得意ではない。
そもそも料理自体あまり得意とは言えない。
優しい紅鳶は「お前の作るものならなんでも美味い」と言って、失敗作まで全て平らげてくれている。
しかしどんなに愛情を込めて作ったとしても、美味しくなければ意味がないと思うのだ。
それに、次期楼主候補という立場で毎日くたくたになりながらも、泣きごと一つ言わず頑張っている紅鳶の姿を見ていると、自分も今までできなかった事に挑戦してみようという気になったのだった。
愛する人に隠し事をするのはかなり心苦しい。
しかしきっと紅鳶はアオキが一人で外出すると言ったら心配してついてくるだろう。
そうしたら、あまりプレゼントの意味がなくなってしまう。
だから、紅鳶が留守の間に行って直ぐに帰ってくる必要があるのだ。
しかし、いざ外に出るとなると正直かなり不安だった。
ここには外の情報を得るためのテレビやパソコンなどもないため、アオキが淫花廓に来る前からどんな風に様変わりしているのか全く見当もつかない。
そこでアオキが相談したのが梓だった。
彼はまだ淫花廓に来て日が浅い。
アオキより最近の外の世界の事をよく知っている。
そして、何より信頼できる人物だった。
ありがたい事に、アオキが紅鳶の為に内緒で外に行きたいのだと告げると、梓は快く相談に乗ってくれた。
そして、アオキの希望するものが売ってそうな場所と行き方、そして外に出るために必要な物を一式揃えてくれたのだ。
外に出るならまず着物姿ではまずい。
否応なしに目立ってしまうからだ。
幸い、梓は衣装部屋にも出入りできるためアオキにピッタリの洋服を見繕って持ってきてくれた。
そして「一緒に行けないけど頑張って!」と背中を押してくれたのだ。
正直、直前になってアオキは怖気づいた。
だが、こっそり協力してくれた梓に応援された以上、やっぱり行けなかったなんて情けない事言えるわけがない。
「男ならやってやれだ、アオキ!」
慣れない洋服に身を包んだアオキは最後に気合いを入れると、外に出る覚悟を決めたのだった。
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