7 / 22

第6話

 煙管(キセル)の先から煙をくゆらせた男が、少年の全身に視線を走らせ、品定めをしている。  少年は全裸で楼主の前に立っているのだった。 「なるほどなぁ」  すり……と顎を懐手した指先でこすって、男がひとつ頷いた。 「随分と小綺麗になったじゃねぇか。さすが、般若(はんにゃ)のお墨付きなだけあるな。髪はそのまま伸ばせ。おまえにはそっちの方が似合う」 「……はい」 「もういいぜ。服を着ろ」  顎をしゃくられ、少年は床に落としていた浴衣を纏った。    この淫花廓に来て、和服の着方を覚えた。帯も、自分で結べる。  これまで無縁だったテーブルマナー、お茶の淹れ方、花の活け方も学んだ。しずい邸の男娼は、淫花廓の敷地から外出や外泊することはゆるされていないとのことだったが、ここを訪れる客は上流階級の人間が多いため、それ相応の振る舞いを覚えなければならないと言われ、叩き込まれたのだった。  少年が浴衣を着るのを眺めていた楼主が、とん、と煙管の灰をガラスの灰皿に落とし、唇から煙を吐いた。 「体の方も仕上がってきたと(おきな)から聞いている。水揚げの前に、おまえの名前を考えねぇとなぁ」 「名前、ですか?」 「しずい邸の男娼には、花の名前をつけるのが決まりだ。好きな花があれば言え。それをおまえの名前にしてやる」  花の名前などロクに知らない少年は、お任せします、と言いかけた唇を、途中で噤んだ。  右手の甲に、左の指の腹で触れる。  ふた月ほど前にできた傷は、もはや跡形もなかった。    結局、膿んだ傷は淫花廓お抱えの医師に診てもらい、抗生剤と塗り薬を処方された。三日の静養を言い渡され、少年は大人しく床についた。無茶をして働けない期間が延びる方が自身にとってマイナスだと気付いたからだった。  医師の薬はよく効いて、傷は速やかに治った。  しかし……あの青年の唇が触れた個所には、いつまでも熱がこもっているような気がして、ふとした折に少年の右手は、じんじんと疼いた。  あれから、男衆を見かけると、じっくりと観察する癖がついた。  同じ面を着け、同じ黒衣を纏い、髪を剃り上げた没個性の男衆であっても、当然のことながら体格や声、気性などは違っていた。  男衆の中にあのときの青年が居ないか、無意識に少年は探したが、見つからなかった。そういえば剃髪前の見習いだと言っていたなと思い出す。    彼の唇に吸い出された小さな棘……。  それがまだ、少年の中に埋まっているようで。  もう一度、吸ってはくれないかと、思った。  あの、唇で……。 「とげ……」 「なんだって?」 「……棘の、ある花が、いいです」  少年がそう言うと、楼主の眉がひょいと上がり、唇の端が皮肉げに歪んだ。 「はっ。いっちょ前に刺してぇ相手でも居んのかよ。棘、ねぇ。まぁおまえには似合いか。なよなよした花は合いそうにねぇからな」  楼主が、ふぅ、と紫煙を吐き出し、年齢のまったく読めない双眸を細めた。 「アザミだ」  低く、そう呟いて。  楼主が頷いた。 「よし。おまえは今日からアザミだ。棘だらけの野花。おまえにぴったりじゃねぇか」    男が、そう宣った瞬間から。  少年の名は、アザミとなった。  アザミが入廓すると、すぐに固定客がついた。  客に対して従順に、淑やかに振舞う男娼が多い中で、アザミの奔放で高飛車な態度はある一定の客に受け、アザミは数年で人気男娼として扱われるようになった。  稼ぎに比例して、自室も広くなった。上層階の、眺めの良い部屋に移ったのだ。  眺め、と言っても淫花廓の敷地以外のものが見えるわけではない。  淫花廓は、アザミの居るしずい邸と、川を挟んだ対岸にあるゆうずい邸の二つが中心に据えられている。  アザミの部屋からは格子越しに、この川と、ゆうずい邸が少しだけ見えた。  ゆうずい邸にも男娼は居るようだが、彼らはアザミたちとはまったく違う立場のようで、接触は固く禁じられている。  その姿どころか声すらも聞いたことがないため、ゆうずい邸の男娼の存在そのものが不確かであった。  アザミは水音を立てて流れる川面を見ながら、赤い着物をまとい、身支度を整えた。  楼主に伸ばせと言われた髪は、背中の半ば辺りまであり、それを器用に結い上げてしゃらりと音の鳴るかんざしでまとめた。 「アザミさま。時間です」    部屋の扉の向こうから、低い声がかかった。  迎えの男衆が来たのだ。  アザミは姿見で一度全身を確認してから、部屋を出た。  廊下では、黒衣の怪士(あやかし)面の男が、ひっそりと控えている。男にちらと目を向けて、おや、とアザミは思った。  今日の怪士はまた、一段と逞しい男だ。上背もあり、首すらも太くがっしりとしていた。 「おまえ」  アザミは怪士の前で足を止め、細い指を男の顎下に引っかけて、能面の顔を上げさせた。 「数年前に、池に落ちかけた僕をたすけた男だね?」  顔は面に隠れて見えない。髪も、剃髪されており、背格好も当時からは変わっている。  けれど、半ば確信を持ってアザミはそう問いかけた。  男は、はいともいいえとも言わずに、沈黙を貫いた。  男衆と男娼の間で、プライヴェートな会話は禁じられている。  だからこの場合は、この怪士の態度の方が正解であった。  返答を期待したアザミは、自嘲に唇を歪めた。  この男に。  一体なにを求めているというのか……。  これはただの男衆で。  アザミはただの、男娼(しょうひん)であるというだけなのに……。    ***  セーフワード、というものがある。  男娼を守るためのシステムだ。客がいきすぎたプレイをしたり、男娼に害をなそうとした際にあらかじめ設定しておいたこの言葉を口にすると、扉の外に控えた男衆が乱入し、強制的に客を排除することになっている。  しずい邸の男娼の、おそらく全員が決めているであろうセーフワードを、アザミは設定していなかった。  アザミはこれまでひとりで生きてきたし、なにかがあったときに頼れるのは自分だけで……そもそもこの管理された淫花廓の中で危険な目に遭うこと自体がないだろうと、タカを括っていた面もあった。  だからこの日、客に縛られ、鞭を打たれ、首を絞められたとき。  アザミはここに来てから初めて、命の危険を感じたのだった。 「あー、いい、締まるっ。アザミ、アザミ、もっと腰を振れっ」 「ぐっ……ご、ごほっ、や、やめ……」  アザミは必死に首を振って、なんとか男の指をほどいた。  アザミを見下ろしてくるのは常連の、とある輸入業者の社長である中年の男だった。  元々少しSっ気のある男であったが、これほどひどい振る舞いをされたのは初めてだ。  今日は、この蜂巣(ハチス)に入ってきたときから様子がおかしかった。 「ど、どうされたのですか……」  肩を喘がせながら、アザミはそう尋ねた。  アザミを組み敷いている男が、昏い目で笑った。 「は、ははっ。どうした、アザミ。おまえ、感じてないのか?」  男の指が無遠慮に、萎えたままのアザミの性器をこねくり回す。その痛みに、アザミは悲鳴をあげた。 「いいぞ、もっと啼け。ああ、でもどうせ最後だ。おまえも気持ちよくしてやろうな」  男がずるりとアザミの中から出て行った。  アザミはさんざん嬲られてちからの入らない体をベッドの上で動かし、なんとかここから逃れようとした。  背中の後ろで縛られた手が痛い。無理やり貫かれた後孔もずきずきと痛んでいる。  とにかく、この蜂巣から出ることができれば……。    もがくように体を起こそうとしたアザミの足を、戻ってきた男がニヤニヤと笑いながら掴んだ。 「どこへ行くんだ、アザミ。ほぅら、おまえも気持ちよくなれるぞ」    男がてのひらに、さらさらとした白い粉を広げた。  そこにローションをとろりと垂らして混ぜると、たっぷりと指で掬いとり、アザミの後孔へと塗り込もうとする。 「な……、やめろっ」 「うるせぇっ。最後なんだから好きにさせろっ。これで天国に行けるからな、アザミ」 「さ、触るなっ、や、やめっ……」  つぷり、と男の指が孔に入った。  粉末の混ざったローションが、ぬちゅぬちゅと中で広がる。  それを何度も繰り返されて……。    アザミの体が、燃えるように熱くなった。 「は、ははっ。たまらねぇな。いつもお高く止まったその顔が、どろどろになってるの」 「ふぁっ、あっ、あっ、あっ」 「もっと喘げよ。これはな、直腸で吸収するのが一番キクんだよ」 「ああーっ、あっ、あっ、あっ、あっ」 「いいぞ、アザミ。おら、イけっ、イけっ」  男の声が遠い。  目の前が霞んで、部屋の灯りがまぶしかった。  また首を絞められる。  苦しくはない。気持ちいい。気持ちいい。気持ちいい。  もう少しで楽になれる。    天国が。  アザミに。  落ちてくる……。  不意に、鈍い音が響いた。  逞しい男の体が躍動し、アザミの上に乗っていた男が吹っ飛ばされる。 「アザミさま! アザミさま!」  耳触りの良い、低い声がアザミを呼ぶ。  両手が自由になった。縄が解かれたのだ。  体の内側が熱い。早く、太いモノでこすってほしかった。 「楼主と翁を呼んできます。アザミ様。大丈夫ですかっ?」  アザミは、黒衣の男の胸へと両手を這わせた。  そのままするりと腰まで指を滑らせ、男の下腹部を探った。 「ほ、ほしい……。はやく。はやく……」 「アザミさま、いけません」  両肩を掴まれ、引きはがされそうになって、アザミは必死に男に縋り付いた。 「ちょうだい。これ、僕に、ちょうだい……」  潤んだ目で、怪士の能面を見上げ。  アザミは、面の上から男へ口づけた。     耐え難い熱に襲われて、内側がぐずぐずに溶けていた。  後孔に、猛ったペニスを突っ込まれることしか考えられずに。  アザミは、男の引き締まった下腹部へと再度手を伸ばし、そこから大きなペニスを取り出した。  男のそれに、アザミは舌を這わせながら、後孔を自身の指でかき混ぜた。  足りない。指では、足りない。  アザミの口を塞ぐ、この、太い男根でなければ……。 「アザミさま。だめです」  面の男が、腰をまたごうとしたアザミを制止した。  アザミは混濁する意識の中で、子どものように首を振って、男を求めた。  早く、これで中をずぶずぶとこすってほしかった。 「犯して……僕を、犯して……」  自分がなにを言っているのか、わからないままに。  アザミは、衝動に任せて、言葉を発した。 「僕を、たすけて……」  怪士が、小さく息を飲んで。  剛直が、アザミの肉筒を貫いた……。    

ともだちにシェアしよう!