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第9話
座敷牢、とは、私設の軟禁施設のことを指す。
古来より、遊郭にはこの座敷牢と呼ばれる場所が存在した。それは現代の遊郭、淫花廓 においても同様である。
アザミはいま、その座敷牢に居た。
天井から吊られた縄で、両手の自由は奪われている。
着衣は、ここに入れられるときにすべて剥ぎ取られた。
淫花廓の人気男娼が、全裸で、手首を縛られているのだった。
ふぅ、と唇から紫煙を吐き出した男が、低い天井を仰いだ。
座敷牢に窓はないが、漂った煙は壁際の一か所へと吸い込まれていくので、換気設備は整っているのだろう。
「まったく。困ったことをしてくれたじゃねぇか、アザミ」
少しも困っていないような口ぶりで、楼主がそう言った。
鉄格子越しに男に睨まれ、アザミは裸の体を隠すでもなく、背後の壁にもたれて笑った。いまさら、羞恥心などは持ち合わせていなかったし、手首の縄はさほどの長さはなく、床に座ると両腕を上げっ放しになるため、立っているほうが楽だったのだ。
「見張りを置くなんて、ずいぶんと暇なんですね、男衆は」
アザミが怪士 の面の男を部屋へ入れたあの場面を、偶然目撃されたとは考えにくい。
アザミの素行を危ぶんだこの男が、男衆に見張りを命じていたのだ。
アザミのその指摘を、楼主が鼻で笑った。
「俺が言ったわけじゃねぇよ。翁 がな、念のためと言ってな。なぁ、アザミ。おまえはよく稼いでくれている。そんなおまえに仕置きをしなきゃならねぇのは、俺でも気が引けるんだよ」
「ふふ……どの口がそんなことを」
「アザミ。俺は、おまえの言葉を信じる。よく考えて答えろよ」
楼主が、煙管から唇を離し、まっすぐにアザミを射た。
「どっちから誘ったんだ」
男のその問いかけに、アザミは涙袋を押し上げるようにして目を撓 めた。
くくっ、と込み上げる可笑しさに肩が揺れる。
「僕だよ。クスリを盛られてラリってるときに、緊急措置であの男衆が僕を抱いたから……一度も二度も同じだと思って。なんせ、僕のお客は腹のたるんだ親父ばかりだからね。たまには若いペニスも欲しくなる」
「あの男衆に、特別な感情でもあったのか?」
「まさか」
ホクロのある口元を歪めて、アザミは傲慢な微笑を浮かべた。
「あのペニスの大きさは気に入ってるけど……。純朴なあれを揶揄 って遊んでただけですよ」
男娼らしいアザミの言い分をどうとったのか、楼主が天井を仰いで煙を吐いた。
「アザミ。あの男から誘われたことにしておけ。それなら、罰金だけで許してやる。おまえから手ぇ付けたなら、罰金の額が跳ね上がるだけじゃねぇ。このまま折檻だ。1週間は、見世 に立てねぇぞ。おまえの借金はまた膨らむことになる」
アザミは悠然と微笑んだまま、楼主へと告げた。
「僕が、誘ったんですよ。あれは僕に脅されただけ。男衆は男娼を傷つけられないからね。それを逆手に取って、僕があれに跨っただけの話だよ」
「それで、いいんだな?」
「僕は、事実しか言っていない」
「よくわかった」
楼主が、二度、てのひらを打ち鳴らした。
扉が開いて、薄暗い部屋に揃いの能面を付けた男たちがぞろぞろと入って来た。
彼らに囲まれるようにして歩いてくるのは、巨躯の男で……アザミと口づけをした、あの怪士 であった。
足を引きずるような歩き方から、すでに折檻を受けた後であることが察せられた。
アザミは努めて平静な顔で、その様を眺めた。
怪士が、座敷牢に閉じ込められているアザミを見て、その逞しい肩を強張らせるのがわかった。
バカな男だ、と思う。
アザミのせいで罰を受けたのに、まだアザミの心配をするのか。
滑稽さに、笑いが込み上げてきて、アザミは唇を歪めた。
「アザミ。おまえはこの男を特別に思っていないと、そう言ったな?」
朗とした楼主の声が、部屋に響いた。
アザミは笑みを刻んだままで頷いた。
「僕は誰のことも、特別になんて思わない」
「ではそれを証明しろ」
楼主の命令に、小首を傾げて。
「証明?」
アザミは訝し気に問い直した。
「男衆全員と、交われ」
素っ気ない口調で、楼主が言い捨てた。
動揺したのは、アザミではなかった。
「楼主さまっ!」
悲痛な声で叫んだのは、あの怪士であった。
床に膝を付いて恭順の姿勢で控えていた怪士が、猛然と立ち上がって楼主へと駆け寄ろうとするのを、周囲の男衆が抑え込む。
「控えろ。おまえの出る幕じゃねぇよ。おまえはここの見張りだ。アザミが全員と交わるのを確認したら、俺に報告に来い。いいな?」
感情を見せない声音でそう言った楼主が、軽く顎をしゃくった。
「連れて来い」
男のその命に、部屋の一番隅で待機していた翁面が静かな動作で外へと出て行き、数分も待たずに戻ってきた。
翁はひとりではなかった。
彼の背後には、すらりとした肢体の男が同行していた。
男は、白地にレンガ色の鳶 の柄の入った襦袢を着崩しただらしない恰好をしていたが、どうしようもなく目を惹きつけられるような、強烈な引力があった。
少し長めの髪も、気怠げな双眸も、男らしく整った顔も、どれもが魅力に満ち溢れていて……アザミですら、一瞬目を奪われた。
男の方も、全裸のアザミを見て、その目がわずかに丸くなった。
「また、悪趣味なことしてるな」
甘くなめらかな声が男の唇から漏れる。
楼主が喉奥をくつくつと鳴らして笑った。
「アザミ。こいつはゆうずい邸の紅鳶 だ」
楼主のざっくりとした説明に、アザミは驚いてまじまじと男……紅鳶を見た。
一度も会ったことのない、ゆうずい邸の男娼。
本当に実在していたのか……。
それにしても、圧倒的な雄の気配だ。ゆうずい邸の男娼は、アザミたちしずい邸の男娼とは立場が違うとは小耳に挟んだことがあるが……なるほど、彼らは客を抱く立場として存在するのだろう。雌であるしずい邸の男娼にはない色香に、アザミはそのことを悟った。
「紅鳶は見届け人だ。アザミの管理はおまえがしろ。壊れねぇ程度に折檻してやってくれ」
「壊れない程度に、ね」
「アザミはまだまだ稼げるからな」
「相変わらず、ひとをひととも思っていない言い草だ」
紅鳶が侮蔑の色を交えて吐き捨てた。
それを上回る嘲笑を楼主が浮かべて、淫花廓に君臨するものに相応しい酷薄さで、宣 った。
「男娼は商品だ。ひとじゃねぇ」
言葉と同時に、楼主が紅鳶へなにかを投げた。
カシャン、と音を立てて男がキャッチしたそれは、牢の鍵だった。
紅鳶は肩を竦め、鍵に付いている輪っかを指に引っ掛けてくるりと回し、
「一巡だな?」
と確認する。
「ああ。そこのでけぇのを除いた男衆、一巡だ。報告はそいつにさせろ」
顎で男衆たちに抑え込まれた怪士を示すと、楼主は踵を返した。
裾を揺らした着流しの、その枯野色をアザミは目で追った。
「アザミ」
部屋を出る直前に、楼主が一度、振り向いて。
「セーフワードは有効にしてやる」
と、告げた。
温情のつもりか、とアザミは唇の端で笑った。
それとも、アザミがたすけを求める姿を、酒肴にでもするつもりなのか。
アザミがこの折檻を途中で投げ出したら、残りの罪は、怪士が背負うことになる。
怪士から働く場所を奪うな、と言ったのは、楼主だった。
それは取りも直さず、この男を馘首 にするということだ。
そんなことは、させない。
ふふ……とアザミは微笑みながら、楼主を見た。
「僕は、しずい邸の男娼だよ。相手が誰でも楽しむし、楽しませてあげる」
楼主が肩を竦め、ひらりと手を振ると、静かに部屋を出て行った。
アザミは格子の向こう側の男衆たちへと、視線を流した。
「おいで。可愛がってあげるよ」
アザミの声を合図にしたように、紅鳶が鉄格子に掛けられた南京錠をがちゃりと開いた。
屈強な体つきの男たちが、そこを潜り、アザミに近付いてくる。
紅鳶が壁にもたれかかり、腕を組んで傍観の体勢に入るのが見えた。
その隣で……茫然としたように床に膝を付いている怪士の顔には、アザミは敢えて目線を向けなかった……。
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