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第11話

 アザミの白い腹部が波打った。  こんな状況であるのに、彼の動作はすべて官能的で、アザミを犯す男たちの興奮を駆り立てる。  ガシャン、と鉄格子が鳴った。無意識に腕を振っていたのだった。  なにもできない……なにをすることもゆるされていない己に腹が立ち、無力感に打ちのめされた。  しかし、項垂れることもできない。  アザミが男衆と交わっている姿をすべてこの目に映すことが、怪士(あやかし)に課せられた罰であるからだ。    初めてアザミを見たのは、もう10年以上前のことである。  ほっそりとした頼りない体つきの少年が、池に落ちそうになったところをたすけた。  咄嗟に掴んだ腕の頼りなさに、怪士は驚いた。  怪士はそれまで、色々な格闘技を齧り、その中でもボクシングに魅せられ、練習に励んでいた。  自分の周囲には鍛え上げた体を持つ男たちが多かったので、これほどに細い腕を、怪士は知らない。  己のちからで掴んでは折れてしまいそうで……怪士はできる限りそっと、少年の体を抱き止め、慎重に石の上に座らせた。  少年は発熱していた。右手の甲に傷があり、それが化膿しているのだった。    痛いだろうに彼は、そんな素振りを見せずに……大人を呼びに行こうとした怪士を止め、 「気軽に触るな!」  と怪士を叱ったのだ。    その、気高くも寂しい、うつくしい瞳に。  怪士は見惚れた。  それと同時に、己が恥ずかしくなった。  怪士は当時、やってもいない暴力事件をでっちあげられ、ボクシング界を放逐されたばかりで……それに追い打ちをかけるように女手一つで育ててくれた母親が心臓の病に倒れ、そんな己の境遇に腐っているところであった。  まだ十代後半の時分で、稼ぐにしても暴力沙汰を起こすような人間を雇ってくれるところもなく、途方に暮れてると、背の高い男がふらりと現われた。 「おまえのその腕、俺が買ってやるよ。俺のために働きな」  そう言って怪士を拾ってくれたのは、淫花廓(いんかかく)の楼主であった。  怪士は言われるがままに書類に署名し、母親の治療費はこの楼主から借金することとなった。  与えられた役割は、男衆、と呼ばれるものだった。  淫花廓のために、個を殺し、影で働く存在。 「しずい邸の男娼に危険は付き物だ。おまえに貸した金は、おまえの腕っぷしを見込んでの先行投資だ。おまえの腕で、ここの男娼をまもってやんな」  煙管(キセル)を吹かしながら、着流し姿の楼主がそう言った。  怪士は黙って頭を下げたが、内心では自暴自棄であった。  ボクシングを奪われ、母親は病に倒れ、自分には多額の借金しかない。  どうせ淫花廓でも、都合よく使われ、死ぬまでここで働かせられるのだろう。  その証拠に、怪士の首の後ろには、逃亡防止用のマイクロチップが埋め込まれている。  このマイクロチップについては、 「この場所をまもるためのものだ」  との説明がなされた。 「淫花廓は特殊な場所でな。世俗とは隔絶され、ここのルールに則って存在する、言ってみりゃあ桃源郷だよ。誰にでも開かれる場所であっちゃならねぇ。わかるか? 秘められた場所であることに価値があるんだ。そのために必要なのが、徹底した管理だよ。それ故の担保だ。おまえがここを去るときには、秘密保持の契約書へのサインと引き換えに外してやるから、安心しな」  建前だ、と怪士は思った。  どうせ、ここから出ることもできずに、こき使われるだけで一生を終える羽目になるのだろう。    もうそれでいいか、という諦観が、胸に広がる。  ボクシングも、母親も、自分自身も、もうどうでもいいか。  そう、思っていたのに。  いま怪士の目の前では、自分よりも年下の少年が、細い体を抱きしめるようにして、ひとりで痛みに耐えているのだった。  泣き言も言わずに。  たすけを求めることもなく……。  自分の足だけで、立とうとしているのだ。  怪士は己を()じた。  自己憐憫に浸り、投げやりになっていた己を羞じた。  確かに、ボクシングは出来なくなった。  母親の病は深刻だ。  けれど自分にだって、少年と同じく己で立てる足があるではないか。  少年よりもずっとずっと逞しい腕があるではないか。   (ここの男娼をまもってやんな)  楼主の言葉が耳の奥に甦る。  男娼を……行く行くは(くるわ)に立つことになるだろう、この少年を。  まもることができる立場なのだ、と。    怪士はそれを、噛み締めるようにして自覚した。  少年の手の甲にできた傷を丁寧に洗い流しながら、怪士はその傷の横に、棘が埋まっていることに気づいた。  爪を短く処理した己の武骨な手では、上手く棘が摘まめなくて……怪士は、痛がる彼の手を、掴んで。  忠誠を誓う下僕のように。  手の甲へと、唇を付けて少年の肌を吸った。  こんなに綺麗な手を傷つけた、その木片を憎むような気持ちが涌いてきて、自分でもその衝動に驚いた。    少年は、気丈だった。  部屋へ送ると言った怪士の言葉を、必要ない、と撥ねつけた。  熱でふらふらになりながらも、なお怪士の腕を拒む少年を、半ば強引に抱き上げて連れ帰ろうとしたそのとき、先輩の男衆が走り寄って来て、面を着けていないことを叱責される。  能面に馴染みがないため、つい被るのを忘れており、素直に謝罪した。  しかし、腕の中の少年が心配で、できることなら自分が部屋まで送って行きたい、と思った。  けれど男衆に「面が優先だ」とあっさりと一蹴され、怪士は後ろ髪を引かれる思いで、少年を男へと託したのだった。  少年の名がアザミであると知ったのは、それから数か月後のことであった。  怪士は、これまでの自分を棄て、男衆の一員として髪を剃り、黒装束を纏い、淫花廓のために働いた。  男娼と男衆はみだりに会話してはならぬ。  個人的なことを語ってはならぬ。  男娼は商品であり、男衆はこの商品をまもるように努めること。  それらは絶対的なルールとして、淫花廓の中に厳然と在った。  男衆は、すべての男娼を平等に扱う。  しかし怪士にとっては、その決まりを遵守するのは難しいことであった。  初めて出会ったときから、アザミに対して特別な思い入れがあるからだ。  言うなればアザミは恩人だった。  自暴自棄になっていた自分を、立ち直らせてくれた恩人。  その彼が、誰にも寄り掛からずに、いつもひとりで立っている気がして……。  怪士は、知らず知らずのうちにアザミを目で追いかける癖がついてしまっていたのだった。    ある日のことだった。  蜂巣(ハチス)の中から、不穏な気配が漂ってきて、それは無視できる類のものではなく、怪士は誰のゆるしも得ないままに乱入した。    そこでは……。  客の男が、アザミの首を絞めていた。  目の前が怒りで真っ赤になった。  ボクシングをしていたときは、一般人には決して振るってはならぬと言われていたこぶしを、アザミをまもるために客へとぶつけた。 「アザミさま! アザミさま!」  動揺しきった声でアザミの名を呼びながら、細い手首を(いまし)めていた縄をほどく。 「楼主と(おきな)を呼んできます。アザミさま。大丈夫ですかっ」  怪士の問いかけに、アザミは、裸体を苦し気に悶えさせ……するり、と怪士の体を撫でたかと思うと、その手を怪士の下半身へと伸ばして、 「ちょうだい。これ、僕に、ちょうだい……」  と朦朧とした口調でそう言った。  薬物を使用されたのだろう、まともではない目つきで、ペニスへと奉仕するアザミを見て……。  怪士の胸は、切なくよじれた。  アザミが可愛そうで、綺麗で……、この腕に思い切り抱きしめたくなる衝動を、怪士は必死に抑え込む。  男衆と男娼の性的な接触はゆるされていない。  けれど、アザミを拒むなんて、できるはずがなかった。     アザミの赤い唇から、吐息のような声が、漏れた。 「僕を、たすけて……」  その言葉を耳にしたとき。  アザミを救うためにこそ、自分は男衆としてここに居るのだ、と。  怪士は、強烈な自覚に打たれたのだった。    怪士はその後、アザミへとセーフワードを登録するように迫った。とんでもない越権行為である。楼主に知られれば折檻されるかもしれない、己の分を弁えない行動であった。  しかし、アザミ自身が大切にしていないアザミを。  自分が、まもりたかった。  一度アザミと交わって以降、アザミが戯れのように怪士に触れてくるようになった。  唇に、妖艶な笑みを浮かべて。目で、指で、舌で、……体で。怪士を誘ってくる。  遊びだろうか。気まぐれだろうか。  アザミのようなうつくしい人間が、怪士を求めているなどと、愚かな勘違いはしていない。己は男衆なのだ、と己を戒めることも忘れていない。  けれどアザミは、悠々とその垣根を越えて、怪士を誘ってくる。  アザミの真意は定かではなかったが、アザミの誘惑を跳ねのけるなんて芸当が、できるはずもなく、怪士はなし崩しに二度三度とアザミを抱いてしまった。  あの日。  池に落ちかけた少年の、頼りない腕の感触を、てのひらが覚えている。  ちからを込めて握れば、折れてしまいそうな体を。  傷つけないように。  損なわないように。  宝物のようにやわらかく、丁寧に。  誰よりも、大切に。  ……抱きしめて、みたかった。    それなのに。    怪士は悔恨に唇を噛みしめた。  鉄の味が口に広がり、歯で唇が傷ついたことを知る。  痛みはなかった。  怪士が誰よりもまもりたかったひとが、いま、鉄格子の向こうで男衆たちに抱かれている。 「あっ、あんっ、やっ、やぁっ」  ペニスにはブジーが挿さったままで、放出できない熱に、アザミが悶えた。  淫花廓の男娼の体を抱いて、一度で満足できなかった男衆が、 「も、もう一度挿れてもいいですか?」  と、恐る恐る紅鳶(べにとび)に尋ねる。  紅鳶が鷹揚に頷くのを、多分、アザミ以上の絶望で以って、怪士は目にした。 「一巡じゃ、ないんですか」  思わず、責める声が漏れた。  ゆうずい邸の男娼は、滴るような男の色香を振りまきながら、どこか憐れむような、蔑むような目で、床に膝を付いている怪士を見下ろしてきた。 「男衆を一巡させるとは聞いたが、ひとり一回だとは聞いていない。それとも、おまえはそう聞いたのか?」  問われて、怪士は押し黙った。    アザミの後孔へと、男衆が二度目の交合を挑みだす。  三人の男に抱かれたアザミの横には、精液の入ったコンドームが、口を縛られた状態で転がってた。  いま、アザミの中に埋め込まれてようとしているペニスには、避妊具は被さってない。  ゴムのない男の欲望の感触に、アザミの眉が悩ましく寄せられた。  そうか、と怪士は悟る。  最初の性交のときにゴムを装着していたのは、人数を確認するためなのだ。  抱かれた、という証拠になるよう、コンドームはああしてゴミ箱には捨てられずに置かれているのだ。  アザミを背後から貫いた男が、アザミの体を上にして布団に寝そべる。  男の手により大きく開かれた足の間に、べつの男衆が体を割り込ませた。  すでにペニスを咥え込んでいるアザミの後孔の入り口へと、もうひとつの欲望がひたりと当てられた。 「ああっ、む、むりっ、にほんは、むりっ」  アザミが首を振って逃れようと体を捩る。  しかし、抱かれることに慣れたアザミの孔は、ひくりひくりと蠢いて。  ずぶ……と突き入れられた牡を、上手く迎え入れた。 「ひぃっ! あっ、あんっ、あっ、あっ、や、やめてっ」  甲高い叫び声は、濡れた嬌声であった。  レイプですらもアザミには快感なのだ。    二本の肉棒に中を抉られて、アザミがビクビクと身悶える。ぎゅっと丸まった爪先が、快感の強さを物語っていた。  ずちゅ、ぐちゅ、と濡れた音を立てながら、男たちが腰を使い始める。 「やっ、だ、だめっ、イくっ、イくっ! ま、まえ、取って、外してぇっ」  ブジーにより尿道口を塞がれているアザミは、まだ射精できていないのだった。  全身を薄赤く染めながらすすり泣くアザミは、淫靡でうつくしい。  彼を責める男衆たちに熱がこもるのも無理はなかった。    アザミを貫いている内のひとりが、ちらと顔を紅鳶へ向けた。  紅鳶が軽く頷くと、男の指がアザミの性器に伸ばされる。  ブジーの持ち手に、指先を引っ掛けて。  くりくりと男がそれを回した。 「ああんっ、あっ、あぅっ、やっ、で、でるっ、あっ、あっ」    アザミの肉壷を、ごりゅ、ごりゅ、とペニスが交互に擦りたててゆく。 「ああーっ!」  ビクン!、とアザミの体が強張った。  断続的に跳ねる体を、男たちが征服する。 「あっ、と、止まってっ、止まってぇ……あ、あ、あ、ああああっ」  アザミが達するタイミングで。  ぐちゅっ、とブジーが引き抜かれた。    男たちが同時に呻き声を上げながらアザミの中に逐情した。  アザミのペニスからは、どろり、どろり、と勢いのない白濁が幹を伝って漏れ続けている。塞がれっぱなしだったため、唐突な解放に限界までこみあげた精液が邪魔し合い、勢いよく射精できないのだった。 「……っ、ひっ、あ、あ、あ、……」    息も絶え絶え、という様子のアザミから、男たちが出て行った。  開きっぱなしの孔から、ごぽ、と精液が漏れ出した。 「よし、休憩だ」  淡々とした声が、座敷牢に響く。  紅鳶が、もたれていた壁から背中を離して、南京錠を開けた。  身支度を終えた男衆たちが牢から身を屈めて出てくる。 「次の三人には、明日の朝一で来るように伝えろ」  紅鳶の命令に、翁面の男が「はい」と応じた。  男たちが出て行くと、紅鳶が怪士へと顎をしゃくった。 「風呂に入れてやれ。ひと眠りしたら、食事を摂らせろ。厨房には話をつけてあるはずだ」 「……まだ、するのですか」  怪士の呟きに、紅鳶が心底呆れ果てたと言わんばかりの顔をした。 「まだたったの三人だろう。男娼と男衆が(ねんご)ろになる、ということは、淫花廓(ここ)ではそれほどの重罪だってことだ。これに懲りたら、二度と禁忌を犯すな」 「……残りの罰は、私が受けます。どうか、アザミさまを解放してください」 「バカか貴様は」  白刃をひるがえすような、鋭い声音が突き付けられた。   「罰を受けることは、この男娼自身が望んだことだ。貴様ごときが口を挟むことじゃない。控えろ、と俺は既に貴様に警告している。いいからおまえは黙って自分の仕事をしろ」  叱咤され、怪士はちからなく押し黙った。    怪士は無力で……。  まもりたい、と思ったひとひとり、まもることができないのだった。 「風呂から出たら、ペニスと乳首にこれを塗れ」  無情な命令とともに、ことり、と床に置かれたのは、青磁の容器だった。  アザミが塗られることを嫌がった、あの、蜂蜜色の液体が入ったものだ。    怪士は「はい」と頷いた。  それ以外にできることなど、自分にはなにひとつないのだと、思い知らされた。  怪士はぐったりとしたアザミの体を抱き上げて、座敷牢の外の風呂場まで運んだ。  疲れているアザミの負担にならないよう、できる限り振動を立てずに。  丁寧に。丁重に。  宝物を持つように、運んだ。  こんな気遣いになんの意味があるのだ。    ふと浮かんだ自嘲に、面の下で唇が歪んだ……。  

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