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第18話

 2週間もすると、普通に歩いても痛みもなくなり、医師からはもう大丈夫だろうとの診断をもらった。  ただし、捻挫は癖になることもあるため、足首のストレッチなどは行うこと、ハイヒールは当分やめておくこと、と付け足される。  ストレッチはともかく、ハイヒールを履くことは今後はないだろう。アザミはもう、男娼ではなくなったのだから……。    足の完治とともに、アザミは居室を移る手筈になっていた……が、なぜかいま、アザミは蜂巣(ハチス)に居る。  楼主より、アザミの新たな部屋の手配がまだ出来ていないとの話があり、連絡があるまでは蜂巣で待機しろと言われたのだった。 「これまでの働きに報いて、俺からのご褒美だ。3日は好きに使っていいぞ。せいぜい蜜月を堪能しな」  煙管を唇に挟んだ男は、皮肉気な笑みとともに、アザミへとそんな言葉をかけてきた。    なにが蜜月だ、とアザミは陰鬱な気分で思う。  自分を抱かない男と、セックスをするためだけに建てられた部屋で、どんなふうに過ごせと言うのだ。  アザミは十字の格子が嵌まっている丸窓を背に、蜂巣のドアを潜って中へ入ってきた巨躯の男を見た。  アザミがいま着ている赤い打掛は、男娼のときに最も評判が良かったものだ。  この一枚だけを、アザミはしずい邸のかつての自分の部屋から持ち出してきた。    怪士(あやかし)がアザミを抱かないのは、アザミの体が汚れているからだ。  客だけでなく、男衆たちとも交わったアザミなど、拒まれて当然だった。  アザミの足首は快癒してしまった。怪我が良くなるまで、という言い訳はもう使えない。  だから怪士が、引導を渡しやすいように……薄汚い男娼は要らないと言いやすいように……、一番、男娼らしいアザミの衣装を、敢えて身に纏ってきたのだった。  アザミは入り口に立つ男へと、ほとんど睨むような強さの視線を送った。  緊張に震えそうになる手を誤魔化すために、腕を組んで。  顎を反らせて、高慢な微笑を浮べる。 「そこで止まれ」  アザミは、フローリングの床へ上がって来ようとした男を、傲慢な口調で制した。  怪士が能面越しにアザミを見つめてくる。  裸足の足で、磨き抜かれた板張りを踏んで、アザミは薄絹の天蓋が付いたベッドへと歩み寄った。    歩きながら、帯をほどく。    はらり、と開いた打掛から腕を抜き、肩から落とした。緋襦袢も同じように、脱ぎ捨てて。  アザミは、ベッドへと片膝を乗り上げた。  下着は、着けていなかった。  無毛の股間を見せつけるようにして、腰を軽く突き出す。 「おまえに僕を抱く気がないなら、いますぐ出て行け」  怪士の背後の扉を指で示して、アザミは居丈高にそう命じた。  男は、茫然としたように立ち尽くしている。  動かないその体に、じわじわと、落胆が這い上がってくる。  仕方ない。  この男がアザミを抱けないのは、この男の(とが)ではない。  怪士は、アザミのために淫花廓(ここ)へ戻ってきてくれた。それだけで、充分だ。充分だと、思うべきだ。  アザミは、睫毛にまとわりつく感傷を、瞬きで振り払って。  くすり、と小さく笑った。 「僕の身請けをしたいと言ったおまえの愛は、ただの同情だよ。レイプされた僕を、憐れんだだけだ。勘違いだったと、おまえ自身もわかっただろう? 淫花廓(ここ)を出て行きたいなら、止めないよ。楼主には僕から言っておいてあげる」    アザミは犬を追い払うように、そろえた指先をひらりと振って、膝をベッドから下ろした。  最後まで、『アザミ』らしく振舞えた、と思えた。  後は、この男が出て行くのを待てばいい。  入り口に背を向けて、アザミは床に広がっている襦袢を拾うため、足を踏み出した。 「怪士。さようなら」  別れの言葉を、そう、舌の上に乗せようとした、その時だった。  ゴトリ、となにかが床に落ちる音が耳に届くと同時に。  背後から、ものすごいちからで抱きしめられた。  え、と思う間もなく、強引に顎を捉えられ、振り向かされる。  その不自由な体勢のまま、唇を塞がれた。  なにが起こったかわからない。     アザミは目を見開いた。    怪士が。  アザミの体に両腕を回して……。  キスを、している。  いつの間にか、その顔から能面はなくなっていた。  露わになった、厚めの唇が。  アザミのそれを、ぴったりと塞いでいた。  その口づけは、狂暴であった。  アザミのそれよりも大きな舌が、口内を暴れまわり、アザミの舌を絡めとったかと思うと強いちからで唾液ごと(すす)られる。  濡れた音がひっきりなしに響き、呼吸すらままならなかった。 「ふ……あ、ん、んんーっ、んぁっ」  口の深い部分までを舐め回されて、アザミは流れてくる男の唾液を何度も嚥下する。  その、上下に動く喉仏すら愛撫するかのように、怪士の太い指がアザミの首を這った。  息苦しくて。  目の端に涙が滲んだ。  けれど、口づけをやめてほしくなかった。  アザミは必死に口を開け、男の舌を受け入れ、アザミからも積極的に貪った。  どれだけの間、そうしていたのだろう。  アザミの唇がじんじんと痺れだした頃。  ようやく、口づけがほどけた。  唾液でぬらぬらと光る男の唇が、ゆっくりと遠ざかる。  強引な角度で振り向かされていた首が痛んで、アザミは、男の腕の中で体ごとくるりと回った。  はぁはぁと呼吸が弾んでいる。  忙しなく上下するアザミの胸は、黒衣を纏った肉体に密着していた。  アザミが背の高い怪士を見上げるために仰のくと、男もまた、アザミをじっと見下ろしていた。  濃く、くっきりとした顔立ちと、男らしいラインを描くその眉尻にある、少しの傷痕。  アザミよりも幾ばくか年嵩の男は、熱っぽい瞳にアザミを映していた。 「あなたの足が、治るまで……我慢しておりました」  面越しではない、クリアな低音で、怪士が囁く。 「嘘だ……」  男の目を凝視したままで、アザミが首を横に振った。 「足なんて、最初の一週間で、ほとんど治っていた」 「いいえ、アザミさま。医師の判断があるまでは、治っていないのと同じことです」  頑なな口調で、そう言って。  怪士が、苦い笑いを浮かべた。  目尻にくしゃりと寄る笑い皺を、アザミは初めてのように目にした。 「あなたと同じ布団に入って……我慢なんてできない。怪我をしているあなたに構わず、きっと、乱暴に抱いてしまう。だから、お断りしていました」 「……僕は、乱暴にされたかった」 「いいえ、アザミさま。俺とあなたでは、体格が違いすぎる。あなたを壊してしまうかもしれない。あなたを抱けば、俺は溺れる。あなたが怪我人だからと、手加減はできない。あなたを好きに抱けると思うと……理性が、焼き切れてしまう。だから、あなたの怪我が治るまではと、己を律しておりました」  訥々と話す男の言葉の内容は、熱烈な告白であった。  これまで彼は、男衆と男娼という禁忌の関係の中でアザミに組み敷かれ。  自分からは決して動かず。  アザミが腰を振って好きに貪るだけの性交を行っていた。  けれどアザミが、男娼ではなくなり。  アザミと怪士の関係も変わった。  双方の想いを閉じ込める檻は、もう消え失せたのだった。   怪士が上体を少し屈ませて。  アザミの腰を抱き寄せた。  そして。 「ずっと、あなたを抱きたかった……」  少し掠れた声が、耳に吹き込まれて。  アザミの腰が、ぞくりと震えた。    アザミは唇を噛んで、ゆるく握ったこぶしで男の胸をドンと叩く。 「……憐れみじゃないって、証明できるかい?」  怪士を睨み上げて、そう問うと、笑い皺を刻んだままの顔が、こくりと頷いて。  自身の腰を、ごり……とアザミに押し付けてきた。  男のそこは、硬く張りつめており、逞しいペニスの形が、黒衣越しに浮かび上がっている。 「同情で……こんな浅ましい劣情は抱きません。愛してます、アザミさま……」    怪士の唇が、また下りてきて。  アザミの唇を吸った。  ちゅ、ちゅ、と音を立てるキスの合間に、怪士の腕がアザミを抱き上げてきて。  アザミはベッドまでの数歩を、怪士とともに移動した。    丁寧な動作で、アザミはゆっくりとマットレスの上に横たえられる。  アザミの長い髪がシーツの上に広がった。  全裸のアザミは、少し慌ただしい手付きで黒衣を脱いでゆく怪士を見上げる。    逞しい上腕、綺麗に割れた腹筋、筋肉の浮いた太腿……そして、太くそそり立つ男根。  アザミは怪士へと白い腕を差し伸べ、 「おいで」  と誘った。  飢えた獣のような顔つきの男が、アザミを見下ろして、ごくりと喉を鳴らした。  しかし、ベッドに膝立ちのままで、彼はこれ以上近付いて来ようとしない。  アザミはムッと眉を寄せて、片肘を付いて上体を起こした。 「いまさら、怖気付くんじゃないよ。それともやっぱり、汚い僕が嫌になったかい?」  叱る声音でそう言うと、怪士が首を横に振る。 「いいえ……いいえ、アザミさま。あなたが、うつくしすぎて……壊しやしないかと、心配になりました」 「ふっ、ふふっ……」  感嘆混じりの男の言葉に、アザミは声を漏らして笑ってしまう。  左手で怪士の腕を掴み、右手で厚い胸板を押して、アザミはその巨躯をベッドに押し倒した。  そして、男の腰を跨いで今度はアザミが上になり、男を見下ろした。 「おまえはさっき、手加減ができない、と言ったけれど……『アザミ』相手に、よくもそんな大口を叩けたね。手加減は不要だと、教えてあげよう」  アザミは軽く腰を捻って後ろに回した手で、怪士の勃起した怒張をまさぐった。指を絡めて、ぬちぬちと扱き始める。  アザミがこれまで相手をした誰よりも大きなそのペニスを目にして、後孔が切なく疼いた。  赤黒い亀頭部分の先端からは、先走りがぬるぬると溢れて、アザミの指を濡らす。 「ふふ……もうガチガチだ。一度、手でイっとくかい? それとも、口でしてあげようか?」    空いた方の手で髪を掻き上げ、怪士に見えるように口を開けて、赤い舌を見せつけるように、べ、と出したアザミの両腕を、男が唐突に掴んできた。 「アザミさまっ」  押し殺した呻き声で名を呼ばれ、アザミの乗っていた男の下腹部にちからが込められる。  瞬きひとつする暇もなく、アザミは、え?と思ったときにはもう、体勢を入れ替えられ、ベッドに押し倒されていた。  アザミの細い体に、男が()し掛かってくる。 「今日は、俺の好きに抱かせてください。あなたを、全身で愛したい」  そう言った男の目に、明らかな興奮の色を見つけ。  アザミは唇をほろこばせた。  すんなりと伸びた足を、男の太ももへとすり……とこすりつけて。 「お手並み拝見といこうじゃないか」    アザミは、妖艶に笑って、男を誘ったのだった。      

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