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第5話

昔、あるところに一人の魔法使いがいた。 彼はとても美しい青年だった。真珠の輝きを思わせる白い肌にサファイアを彷彿とする瞳、彫刻物のように整った鼻梁に、ほんのりと朱色がさした小さな唇。絹を思わせる艶々とした黒髪。誰もが羨む美貌だった。 森に囲まれた小さな村に住む彼は、栽培した薬草で作った薬を村や町で売り、生活していた。幼い頃に死んだ両親の血を色濃く受け継ぎ、医療魔術には長けていた。彼の力で多くの魔法使いが命を救われ、誰からも信頼されていた。 ある日、一人の魔法使いが村に迷い込んできた。 男は左腕に重傷を負っており、這々の体で近くの民家を訪ねた。住人は仰天し、すぐに彼を呼んだ。 彼は魔法と薬で男の傷を癒し、完治するまでの間、男を自宅に住まわせた。 男は自国の軍人だった。隣国のスパイがこの近くの町に潜伏していると聞きつけ、その調査にあたっていたが、敵の罠にはまり深傷を負ったという。彼の献身的な看病により、1週間ほどで左腕は元通りになった。 ふたりは共同生活を経て恋に落ち、彼は男の伴侶となった。 痩せぎすで背の低い自分より遥かに上背で、軍人らしい屈強な体格の男に抱擁されるのが好きだった。精悍な顔、穏やかで低い声、博識さも。何よりも、優しく、暖かく、頼もしく包んでくれるような翡翠色の瞳が愛おしかった。 初恋だったが、同時に最後の恋に落ちた彼にとって、男との生活は何物にも代え難いほどに幸せだった。この幸福が永遠に続いてくれることを切に願いながら、愛に溢れる日々を過ごしていた。 しかし数年後、隣国との戦争が始まると、男は戦地へ赴くことになった。 今の生活が永続してほしいと思いながらも、その覚悟はできていた。それでも男と離れ難く、彼は毎日、男に隠れて涙を流した。出征の日が近づくにつれ、溢れる涙は増えていった。 そしてついに、その日が訪れた。誇り高き軍服に身を包んだ男は、叡智に富んだ穏やかな青年ではなく、勇ましい戦士だった。その姿に惚れ惚れすると同時に、胸がいたく締めつけられた。 けれども今日は男の武運を祈り、笑顔で見送ると決めていた。決して涙は浮かべない、伴侶を困らせることはしないと。 夜明けと同時に、村の駅に兵士の招集地へ向かう汽車が到着した。東雲の淡い光がベールのように辺りを覆う中、彼は男と見つめ合った。 男が優しく笑う。そして彼の両手をやんわりと握り、口を開いた。 「泣かせてばかりで、悪かった」 男は知っていたのだ。 彼が夜な夜なベッドを抜け出し、外で静かに泣いていたことを。男の前では出征を喜んでいたが、本当は寂しくて悲しんでいたことを。 翡翠色の瞳でまっすぐに見つめられながら告げられ、耐えきれず涙が出てしまった。そして、押し殺していた本音がぽろぽろと漏れてしまう。……お願い、行かないで。一緒にいて。貴方がいない生活なんて耐えられない、と。 しかし、男はかぶりを振った。「私はこの国に忠誠を誓う兵士だ。命令には背けない」と、軍人としての道理を口にした。 「だから、君には信じて待っていてほしい」 穏やかな声だった。滲んだ視界に、男の凛々しい表情が映る。それでいて朝日のような優しさと希望を孕んだ微笑を湛え、例の包み込むような眼差しを向けられていた。 その瞳が、何よりも愛おしかった。 汽笛が高らかに鳴り響く。間もなく汽車は出発する。 男は慈しむようにその言葉を囁くと、威風堂々と汽車に乗り込んでいったのだった。 あの日以来ずっと、それを胸に生きてきた。

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