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第2話

 温かい腕。温かい唇。押し倒されて、抱きしめられてキスすると、僕はドキドキした。すぐ真っ赤になる僕に、本番は赤くなるなよ聡、慣れるまで練習しようなって、亮ちゃんはときどき僕にキス。ドキドキ。  でも文化祭は無事終わって、それから僕と亮ちゃんはキスしたことがない。  あの時と同じ、温かい唇だろうか。  それを考えるといつも胸が苦しくて、亮平も同じ気持ちかなと思う。亮ちゃんも思い出したりする?  皆、見てた。あの講堂の暗闇の中で、ライトのハレーションで何も見えない。大勢いるのに二人っきりに思えた。愛してるよって亮ちゃんが言って、それはセリフだ。  僕は赤くならないように頑張ったけど、きっと無理だった。  会場はしいんと静まり返り、亮ちゃんが僕にキスをして、幕が降りると、ものすごい満場の拍手が聞こえた。  その嵐のような大音量の中で、亮平はずっと僕にキスしてて、最後に言った。  いい芝居だったよな。でもお前がジュリエットじゃなくてよかったよ。  だってこれは、実らない悲恋の物語だもんな。そんな悲しい目に、お前を遭わせたくないんだよ。  亮ちゃんはそう言って、僕と亮平のロミオとジュリエットごっこはお終いになった。  僕はめちゃめちゃ悩んだ。なんで亮ちゃんとキスしたいんだろ。  文化祭がずっと終わらなければよかったな。  でも時は止まる訳がなく、亮平も僕もどんどん大人になっていき、亮ちゃんは特にこの三年でものすごく成長した。背もぐんぐん伸びて、顔つきももう子供とは言われない。亮ちゃんのお父さんにそっくりな、きりっと真面目でちょっと怖いぐらいの男前。電車で行き会う女子高生がきゃあきゃあ言うし、おばさんやオネエサンたちもそわそわ見てる。  亮ちゃんが僕のロミオだったのは、あの一ヶ月だけのことだった。  亮ちゃんはもう僕にキスしないし、手も握らない。もちろん抱きしめない。一緒に学校行って、一緒に帰る。お互いの家で勉強する。ときどき出かけることもあるけど、他の友達も一緒に映画とか。  皆でゴハンしても、亮ちゃんは僕の皿から勝手にほうれん草を食べる。実はもう別に嫌いじゃないんだけど、亮ちゃんには言ってない。  亮ちゃんは代わりに僕の好物のニンジンをくれる。好きだから。お前これ好きだろって、それももう言わない。それが子供の頃から当たり前だからだ。  初めて見る奴は必ずびっくりする。それが僕にはなんとなく、めちゃめちゃ恥ずかしいんだけど、亮ちゃんは平気みたいだ。  いつも僕は真っ赤になってニンジンを食べる。亮ちゃんのくれる甘いニンジン。僕はウサギ。  ウサギみたいだなって、亮ちゃんが。それで今年のハロウィンは、ウサギになれよって亮ちゃんは笑ってて、部屋で引っ張り出してきた衣装は、白い長い耳のカチューシャつきの、ひらひらのミニスカートのドレスだった。すごくたくさんレースがついてる。おそろいのニーハイソックスと、白いストラップつきパンプスまである。  なぜか僕の足のサイズにぴったりだった。  なんでかな……。  その衣装と向き合うのにコンセントレーションを高めないと無理で、僕は衣装を見せる亮平の真顔とも向き合えず、亮ちゃんの部屋のいつものコーヒーテーブルで、亮ちゃんママが買っておいてくれたという置き菓子を、ハロウィンらしい蜘蛛の巣デザインの大皿からとって食べていた。  おばさんはいつも仕事で留守だけど、お菓子を置いてってくれる。ポテトチップスとかチョコレートとか、ありきたりのものだけど美味しい、山盛りのお菓子とたっぷりの牛乳。  僕と亮ちゃんが子供の頃から好きだった、幸せの粉がついてるお煎餅(せんべい)も、お菓子盛り合わせの中に埋もれてた。  ああ、これ。ハッピーターンだよ。僕これ好き。亮ちゃんにとられないうちに食べとこう。  僕は顔真っ赤なまま、最後の一個のお菓子を山から掘り出して、セロファンの包みを開き、細長いお煎餅(せんべい)の端っこを口に入れた。コーヒーテーブルの前で三角座り。いつもそこが亮ちゃんの部屋での僕の定位置なんだ。 「聡。それ最後の一個だろ」  僕がかりかり煎餅(せんべい)食べてると、むっとした顔で亮平がそれを指摘した。  最後の一個だけど食べていいかって、聞かないといけなかった?  そんなこと聞いたことないだろ。  チビの頃はいつもそれで喧嘩になって、亮ちゃんは怒るし、僕は泣いた。最後の一個だろ聡。半分こしろよって。  俺ら仲良しだろ。最後の一個のお菓子を分け合って食う仲だ。お前も好きだろうけど、俺も好きなんだよ。自分だけだと思うなって、亮ちゃんはいつもクドクド怒るんで、ハッピーターンぐらいで怒らないでよって、僕は思う。  この時もそうだった。 「半分よこせ」 「もう食べたよ……」  まだ端っこを(かじ)っただけのを、かりかり少しずつ食べながら、僕はもぐもぐ抵抗した。亮平が僕の前に来て、僕が食べてるお煎餅の反対側を齧るのを、真っ赤になって見た。 「やめてよ亮ちゃん」  僕は食べながら言ったけど、言葉になってない。それに早く食べないと、半分以上とられる。  亮ちゃんはいつも優しいけど、ときどき意地悪。この日も意地悪だった。  全国模試の結果が出て、僕らの志望校、亮平はSランク合格圏内だったけど、僕はB判定。かなり頑張ったんだけど、合格確率60%。  いけそう? いけるかな……。僕も亮ちゃんとあと四年、一緒にいたい。 「やめてよ。そこから半分は僕のだろ」  なるべくゆっくり齧りながら、僕はもぐもぐ苦情を言った。甘塩辛い味がする。  亮ちゃんはずるくて、半分を越えてもまだ齧り、僕の唇に唇が触れても、食べるのをやめなかった。お菓子にまぶしてある塩辛い独特の粉が僕の唇についてて、亮ちゃんもそうだったけど、美味いなって言って、亮ちゃんがそれを舐めた。僕もちょっと、思い切って舐めた。  亮ちゃんの唇はやわらかくて、温かくて、ちょっと濡れてた。幸せの粉の味。  この粉、中毒性があって、依存性もある。もう癖になりそう。

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