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第3話
不満も不安も無い毎日だったが、ある日ネットで【哲学的ゾンビ】という概念を知り、怖ろしくなった。
友人達との会話が決められた台本をなぞっているだけの様な気がしたのだ。
一軍は一軍らしく、二軍は二軍らしく、三軍は三軍らしく振舞っているだけ。
俺は俺という役を演じているだけ。
そんな欺瞞に満ちた教室の中で、一つだけキラリと光る存在があった。
一番親しいサトルでもなく、クラス一可愛いアヤカでもない。
クラスの底辺に身を置き“ゾンビ”と蔑称で呼ばれる聡介だった。
聡介は教室の“バグ”のような存在だ。
三軍にすら入ることができない冴えない男で、いつも一人で絵を描いている。
長い前髪で目元を隠し、細長い身体を丸めてゾンビのようにゆらゆらと歩く。
それだけならただの暗いヤツで済むのだが、絵を描く姿が妙にイキイキとしていて目を引いた。
不気味な彼は誰にも声を掛けられることも無く、居ないものとして扱われていたが、いつしか優斗は彼を目で追うようになっていた。
彼だけが、何故か“本物”に見えた。
「……なあ」
人の少ない放課後の教室。
すぐ側に佇む優斗に呼ばれても、聡介は見向きもせず一心不乱に何かを描いている。
「おい、無視すんなよ」
ようやく聡介が顔を上げた。
「……もしかして、俺に言ってる?」
聡介は信じられない、という表情でぼそりと応えた。
「他に誰がいんだよ」
「そ、そうだよな……何か用?」
自分から声を掛けた優斗だが、何か用、と問われて困惑した。
用なんて無かった。引き寄せられて思わず声を掛けてしまったのだ。
カーストトップが、底辺の男に何の用だというんだ。
この状況は“正しくない”と理解は出来たが、優斗は話したい衝動を抑える事ができなかった。
「用は、無いけどさ……いつも何描いてんの?見せてよ」
優斗が毅然とした態度で聡介が隠したノートを指差すと、聡介はかぶりを振ってそれを拒否した。
「キ、キモイから見せられないっ!」
「いいじゃん、減るもんじゃなし。萌えキャラでも描いてんの?」
「違うって……あっ!」
無理矢理奪い取り、パラパラとページをめくる。
聡介が描いていたのは様々なゾンビだった。
肋骨を露出させた男、両目と鼻が抉られた女、顔半分が無い子供、手足の無い老婆など人間の形を留めているものから、おおよそ人間には見えないクリーチャーに分類される物まで様々。
どれもこれもが寒気がするほどグロテスクに、そして細密に描かれていた。
「すっげぇ……」
一軍が底辺を賞賛するのは正しくない。
こんな気持ちの悪いものを美しいと感じることは正しくない。
もっと見たい、話したいと思うのは正しくない。
頭では分かっていたが抗えない。
「他には無いの?もっと見せてよ」
優斗の言葉に聡介は困惑する。
「……気持ち悪くないの?」
「……気持ち悪いけど、綺麗だ。こんな絵を描けるなんてお前凄いよ。いつから描いてんの?」
模写?オリジナル?
ゾンビが好きなの?
こんな風に質問攻めをするのは、自分の役にそぐわない。
だが、質問を投げ掛ける度に顔から緊張が消えていく聡介を見ていたら、自分の役柄なんてどうでもよくなった。
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