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第4話

「ようゾンビ野郎、またゾンビ描いてるのか?」  朝の始業前、友人たちが席を外した隙に聡介に声を掛ける。 「お、おはよう。優斗君」  君付けはキモイからやめろ、と言うと、聡介はたどたどしく呼び捨てで言い直した。  一言二言他愛も無い会話をして、絵を賞賛する。  戻ってきたサトルから「あんまソンビ君イジめるなよー」と揶揄され「イジめてねーよ」と笑って答えつつ一軍の輪に戻る。  そんな事を繰り返しながら、二人は少しずつお互いを知っていった。  ある秋の日、聡介に適当な映画のDVDを持ってこさせ、放課後に視聴覚室で共に見ることを提案した。  毎日しつこく絡んでくる優斗に誘われた聡介が、二つ返事で了承したことに少し驚いた。  背中を丸めて視聴覚室の内鍵を閉める聡介は、どこか嬉しそうにも見える。  カーテンを閉めた室内で光源はスクリーンだけ。  映画は未知のウイルスで人間がゾンビになってしまうという定番の物だ。  二人きりの密室で、優斗は言うか言うまいか思い悩んでいた。 ――誰にも言えずにいる悩みを、聡介に話してみたい。聡介は困惑するだろうか、それとも俺を馬鹿にするだろうか。俺のことを変人だと吹聴するか……それは無いな、聡介の方がよっぽど変人だし、こいつに耳を傾ける人間は居ない。そんなことより、今、俺はこいつに聴いて欲しい。  しばらくして、優斗は唐突に胸中を打ち明け始めた。  スクリーンに目を向けたまま問いかける。 「聡介、哲学的ゾンビって知ってる?」  聡介は律儀にも身体ごとこちらに向けた。 「……聞いたことあるけど、それがどうした?」 「見た目や振舞いは普通の人間なのに“私”っていう“意識”が無いんだ……怖いだろ」  哲学的ゾンビとは、物理的化学的電気的反応としては、普通の人間と全く同じであるが、意識(クオリア)を全く持っていない人間と定義される。  ホラー映画に出てくる腐敗したゾンビとは違う。  哲学的ゾンビの姿は人間と遜色なく、言葉を話し喜怒哀楽を表現するので、普通の人間と区別はつかない。ただ、その中に意識が存在しない。精巧に組み上げられたプログラムをなぞるだけの存在なのだ。  意識という目に見えないものが確認できない以上、哲学的ゾンビの存在は立証できない。が、同時に【哲学的ゾンビは存在しない】という立証もできないのだ。  駅のホームで隣に立つ人間も、毎日顔を合わせる友人も、哲学的ゾンビではないと言い切ることはできないのだ。 「まあ怖いけど、だから何?」 「……」 「優斗?どうしたんだよ、話してみろって」 「……みんなゾンビに見えるんだ」 「え?」 「哲学的ゾンビってものを知ってから、みんなゾンビに見える……表面上では今までどおり振舞っているけれど、怖くてたまらない」  みんな、ゾンビに見える。  サトルもアツシもヒロキも、教員も母親も、視界に入る全ての人間が役割を演じる傀儡に見える。  そう思えるほど、周りの人間が優斗の意のままに動くのだ。  昔から人間関係を築くことに苦労はしなかったが、“正しい”選択さえしていれば、未来が予測した通りになっていく事実を怖ろしく感じた。  自分を含めた世界全体が予定調和のうちに進んでいるようだ。  それだけならまだしも、最近では自分自身さえも哲学的ゾンビなのではないかと思えてしまう。  赤い色を見て皆一様に「赤い」と言うが、本当に同じ赤色が見えているかは誰にも分からない。  それと同じように、自身が【己の意識】と認識している物が本当に【意識】と呼べるものなのか誰にも分からない。  自身から湧き出る喜びも、怒りも、悲しみも、楽しみも、本物かどうかは誰にも分からない。 「だけど聡介、お前だけは“本物”に見えるんだよ」  なんでだろうな、と優斗は自嘲気味に笑った。  聡介は目を見開いて驚いている。 「な、なんで?」 「……わかんねぇ」  しばらくの沈黙の後、聡介が口を開いた。  笑うでもなく、呆れるでもなく、少し怒っているようだった。 「優斗はさぁ、世の中を舐めてるよ。世の中そんな思い通りに進むわけ無いだろう? 優斗はいつも“正しい”言葉を選んでるけど、優斗の薄っぺらな正しさをぶつけられたら、相手は同じく薄っぺらな正しさで返すしかなくなる。白々しい会話になるに決まってるじゃないか」  整った顔とコミュ力だけで上位に立てるのは学生までだからな、とトドメを刺された。  普段のオドオドした聡介からは想像もできない力強い物言いに、優斗はポカンとしたあと吹きだした。  イスの上で膝を立て、そこに顔を埋めて大声で笑う。 「アハハッアハハハハッそうだよな!俺、何言ってんだろう!バカみてぇ!」  聡介は真剣な面持ちで、優斗を見つめながら呟いた。 「優斗……辛かったんじゃないか……?」  その言葉に、笑い声を止め顔を上げる。  わなわなと唇を振るわせる優斗の目から、一粒、二粒、涙がこぼれた。  優斗の“正しさ”という鎧が剥がれ落ちていく。  そう、辛かったのだ。  自分自身の存在を肯定できないというのは、とても辛い。  エンドロールが流れる中、聡介は優斗の背中をずっとさすっていた。

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