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チャンス
朝、オレはいつもより早く家を出た
いつもは自転車で遠回りして駅に向かうが今日はまっすぐ駅へと向かった
普段翔とは駅のホームで待ち合わせをしている
翔が来ると思って、しばらくホームで待った
何本も電車が来たが翔と一緒に行きたかったから見送った
オレ、翔が痴漢に遭わないようにとか言ってたけどあんなのオレの下心だよな
翔も男だし、いちいちオレに守ってもらわなくたって大丈夫なのは分かってる
だけど男の怒鳴り声に怯えた翔を見て、もっと守ってやんねぇとって思ってしまう
無意識のうちに翔に触れたいと手が伸びてしまう
結局我慢出来ずに翔を襲ったのはオレだけど……
しばらく待っても翔は来なかった
仕方なくひとりで電車に乗り込み、壁にもたれかかる
昨日までオレのこの腕の中には翔がいたんだよな……
小さく縮こまって、たまにチラチラと上目遣いで様子を伺ったりしてきて
だけどそんなのも、オレのせいで全部台無しだ
翔、ごめんな……
翔の気持ちを分かってやれなくて
自分のことばっかり考えて
結局今日1日翔は来なかった
昨日みたいに遅れて来るとも思ったが、来なかった
翔はどうしたんだろう
翔は今何をしてるだろう
何を考えて、何を思っているだろう
やっぱりオレと顔を合わせるのが嫌で来なかったんだろうか
翔の頭の中に、オレは1ミリでも存在しているだろうか
終礼中も翔のことが気になって仕方がなかった
すると担任の海老名先生が、翔にプリントを届けて欲しいと終礼で提案した
これはチャンスだと思った
きっとこれが、オレに与えられた千載一遇のチャンスだ
他の誰かが手を挙げる前に、オレは真っ直ぐ手を挙げた
またひとりで電車に乗り込む
カバンの中の封筒には、翔への預かりもののプリントと授業中に書いたノートをルーズリーフに書き写したもの
そして、翔への手紙
カバンを握る手にぎゅっと力が入る
心臓がばくばくと鼓動を速めていくのが分かる
緊張するけど、この機会を逃すわけにいかないから
だからオレは翔のもとへと行く
電車を降りて自転車置き場へ向かおうとした
だがオレは自転車置き場をスルーし、そのまま先生から貰った地図を頼りに歩いて翔の家へ向かった
住所のメモを見ながら歩くと、住宅街に入った
少しずつ日が暮れていく
閑静な住宅街と、こちらを照らす夕日の光が絶妙に美しくてまるで翔みたいだなんて思った
しばらく住宅街を歩くと、白い一軒家に高村と書かれた表札を見つける
ここだ、翔の家…………
ドキドキと心臓が鳴り響く
恐る恐るインターホンに手を伸ばし、ボタンを押そうとしたその時
「押さなくていいよ」
どこからか聞き覚えのない女の人の声が聞こえた
驚いて顔を上げると玄関の扉の前に金髪の女の人が腕を組んで立っていた
その女の人は不機嫌そうに眉間にしわを寄せてオレをじっと見つめている
その瞳がどこか翔に似ているように感じる
「あんた、輝くん?」
「そうです、けど…」
するとその女の人は知らないはずのオレの名前を呼んで尋ねる
オレは鞄の持ち手をぐっと握りしめて身構える
「うちの弟に何か用?」
そう言うと女の人は組んでいた腕を解き、オレの方に近づいて来た
この人の言っている意味が理解できなくて一瞬固まってしまう
だがすぐにピンときた
この顔
しっかりとメイクは施されているものの
一目見ただけで印象に残る目力の強い大きな猫目
ふっくらとした小さめの唇に筋の通った小さい鼻
この顔の特徴はまさに、翔と同じだ
「弟って」
「高村翔って言うんだけど」
無愛想にそう言って、翔そっくりな瞳でこちらを警戒するように見つめる
翔にお姉さんがいるなんて知らなかった
しかもこんなにそっくりだなんて
だがそれを知ると同時にオレの緊張はますます大きくなった
この人はオレのことを知っている
そしてこの様子を見る限り、昨日オレと翔に起こった出来事も把握しているのだろう
もちろん翔の口が軽いだなんてこれっぽっちも思わない
涙で腫らした目で家に帰れば、普通の家族ならきっと事情を聞いたはずだ
だが目を逸らすわけにはいかなくて、オレもじっと翔と同じ色の瞳を見つめ返す
翔より強気そうな瞳からは、オレに対する怒りが感じられる
でもここで引くわけにはいかないんだ
翔に気持ちを伝えたい
たとえ突き放されても、嫌われても構わない
はじめて人を好きになって分かった
自分の気持ちを伝えたい、この想いを言葉にしたい
それから自分の過ちも、全部翔に伝えて改めて謝りたい
オレには翔に伝えたいことがたくさんあるんだ
意思を固め、オレは小さく息を吐くと翔のお姉さんへ向かって言葉を放った
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