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恋人の役目

そして現在に至る 俺たちのことを元より知っていた先生は、恐らく俺たちと“静ちゃん”との間で板挟みになっていることだろう いや、俺たちと言うよりはアキだ 俺は全くの部外者で、多分この場で余計なのは俺の存在なのだから 「あなたね、ヒロちゃんに何も話してなかったの?」 「…………」 「幼馴染でしょ?ずっと何も言わなかったの?」 「…………別にいいだろ」 その板挟み状態の先生がこの膠着状態を破るべく、彼にそう話しかける だが彼はその問いかけにもまともに答えようとせず、ひたすらそっぽを向いている そんな彼を前にアキはずっと俯いたまま、ただひたすら黙り込んでいた その頃俺は彼の“六条静磨”というどこかで聞いたことのある名前を、自分の記憶の中で捜索していた 「勉強しねえなら帰るぞ」 すると凍りついた場の空気を砕くように、赤毛の彼が立ち上がった そして左手にカバンを持つと足早に窓へ近付きがらりと窓を開ける 「静磨!」 「ちょっと!」 ずっと黙りだったアキが彼の名前を呼ぶ それとほぼ同時に先生も窓枠に足をかける彼を引き止めようとするが、彼がそれに応じることはない や、やばい………… 俺たちのせいだ………………… 勉強しないなら、そう言った彼の言葉に一気に罪悪感が湧き出してくる 勉強するためにここに来ていたとしたら、それを邪魔しちゃった俺たちが悪いに決まってる 「あっ、あのっ…………!」 「…………あ?」 気付くと俺は、とっさに彼を呼び止めていた 恐らく聞き慣れないであろう俺の声にピクリと反応し、ほんの少しだけ顔をこちらに向ける彼 アキも先生も固まったまま、俺の方をじっと見つめる 「べ、勉強するなら、教室に来たらどうかな……なんて」 「……………」 「たっ、健も寂しがってたんだ……!だからさ…」 「っ…………」 そんな緊張状態の中、俺はだらだらと汗を流しながらそう言った 確実に余計なお世話だろうが、勉強するなら教室に来たらいいのにと思ったのは本心だ ほんの一瞬だけ、健の名前を出した時に彼の表情が動いた気がした 「……お前には関係ねえよ」 だが俺のお節介な説得も虚しく、彼はくるりと背を向けて窓の外に飛び出して行った ちらりと睨まれた鋭い眼光に思わず体が震えた 彼が出て行ってはじめて“六条静磨”が学年トップの“静ちゃん”であることに気付いた 先生が追いかけてくる、とそう慌てて保健室を飛び出し、ここには最初のように俺とアキだけが残される 「ア、アキ……?」 途端に静かになった保健室に取り残された俺たち アキは棒立ちのまま俯いて何も言わない 「ねぇ、アキ……」 アキの様子がおかしいことにはずっと気付いていた ここでやっと、アキを気遣うことができると思い俺は椅子から立ち上がってアキの目の前に向かう そして俯いた顔を覗き込むと、アキはぐっと悔しさを噛み締めたような、でもどことなく寂しそうな顔をしていた 「アキ……そんな顔するなよ………」 思わずアキにぎゅっと抱きつく 俺以外に向けられたそんな顔ははじめて見た だけど、そのくらいアキにとって六条くんが大きな存在なのだと感じる 「…………………オレ、最低だよな」 噛み締められた唇からぐっと振り絞るように声が漏れる だがその声はいつもの明るくて元気で優しい声などではなく、絞り出したような低い声で 「オレ、静磨の家が大変なの分かってんだ」 「うん」 「でも何で相談してくんなかったんだとか、オレじゃ頼りないのかとか、怒りみたいな感情が浮かんで来てさ」 「うん」 「もっとちゃんと手を差し伸べてやればよかったのに」 「………うん」 「何で力になってやれねぇのかな………」 「…………………」 そう絞り出した声はどこか涙を含んでいるように感じた それにひとつひとつ丁寧に相槌を打つが、だんだんそれすらも辛くなってくる アキが俺のシャツの裾をきゅっと掴む そして俺の背中に太い腕を回していつものようにぎゅっと抱きしめ返す だけど何となく、いつもとは違うようなものを感じた 「何であいつに優しくしてやれねぇのかな…」 「……アキは優しいよ」 「優しくない」 「優しいよ、絶対」 こんなに気弱なアキははじめてだった アキの震える声を俺は強く否定し、ぎゅっと腕に力を込める すると俺の首筋に顔を埋めるアキもぎゅっと俺を強く抱く アキはきっと、幼馴染であり親友である六条くんの力になってやれない自分が情けなくてたまらないんだと思う 何も知らなかった自分が情けなく感じているんだと思う アキは優しいから、だからそれが更に辛いんだと思う 「翔、ごめんな………」 「………なんで謝んの」 「こんなカッコ悪いとこ見せちまって」 「………いつもカッコいいから、このくらいカッコ悪いとこ見れて嬉しいけど」 「………ばか、そこは否定するとこだろ」 アキを笑わせるつもりで冗談を言った 本当は今だって、カッコ悪いなんてこれっぽっちも思っちゃいない 弱ったアキだって大事なアキだ 俺の言葉にアキは少しだけくすりと笑った気がする それに少し安堵して、俺はぎゅっと目を閉じアキの体に自分の体をぎゅっと寄せた するとアキがもっと強く俺を抱きしめてくれる 大切な人のこんな状況を変えてやることのできない俺だって、心底情けない男だ 今の俺にできるのはきっとアキを隣で支えることだけだ 恋人の俺にできることは、それくらいしかない だから俺は恋人の役目を全うしようと アキの体をぎゅっと強く抱きしめた

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