98 / 234

おれのヒーロー

「静ちゃん、だよね………………?」 目の前の赤毛で長身の男に、もう一度そう問いかける するとおれの腕を掴んだ手をぱっと離す ひどく呼び慣れた名前 中学時代から毎日のようにその背中を追いかけて、何度も名前を呼んではくっ付いていた だけどもうしばらく、この名前を本人に向けていなかった おれには分かる いくら髪色が変わっていようが、今目の前にいるこの人物がおれの憧れの人物本人であることが 「………………………ああ」 おれの問いかけに、少し遅れてそう返事をした その瞬間、一度乾いた涙がまたじんわりと滲んできて、今にも溢れてしまいそうになる やっぱり…………静ちゃんだ ずっと会いたかった ずっと会えなくて、寂しかった 目の前にいる憧れの男が本物であると確信すると、ますます気持ちが大きくなる だが喜ぶべき再会で上手く喜べないのはなぜだろう 数ヶ月ぶりの再会に、おれの瞳からぽろりと大粒の涙が流れて頬を伝う この涙が何の涙なのか、おれには分からなかった 中学1年の頃、おれはいじめに遭っていた 理由はチビだからとか、顔が女子みたいだからとか そんな些細で自分ではどうすることもできないような理由だった トイレに連れ込まれてバケツいっぱいの水を浴びせられたり叩かれたり蹴られたりした ひどい時は体操服や制服を破られたりした でもそのいじめからおれを救ってくれたのが、静ちゃんだった それまでクラスも違った 話したことも、一度だってなかった 学校1の人気者の広崎くんと一緒に歩いているところを廊下で見かけたことしかなかった それなのに 「くだらねえことすんのやめろ」 「そんなだからお前らいつまで経ってもガキなんだよ」 そう言っておれを殴ろうとするやつの手をパッと掴んで言った おれを殴ろうとしていた主犯の男子の顔はひどく引きつり、今までに見たことのないような屈辱を受けた顔だった そのまま悔しそうに手を振り払うと、そいつらはバタバタと出て行った 「おい、大丈夫か?」 「う、うん…………あ、りがと…………」 「痛かったろ、保健室連れてくぞ」 「あっ、う、うん…………」 そう言って顔中傷だらけのおれに手を差し伸べた 中学生になったばかりなのにその手は大きくて、おれの小さい手とは比べものにならないくらい大人だった それからというもの、よっぽど静ちゃんの言葉が刺さったのかおれを虐めていたやつらは一切絡んで来なくなった おれはこの日、いじめという地獄から救われた この日からおれは、静ちゃんに憧れを抱くようになった 2年生に進級すると、静ちゃんと同じクラスになった いつも一緒にいる人気者が静ちゃんの幼馴染だということを、2年生になってはじめて知った それからの人生は、1年前とは180度ひっくり返ったように楽しかった クラスにもたくさんの友達ができて素でいられる仲間ができて、静ちゃんとヒロくんとずっと一緒にいられた それだけで幸せだった おれたちが3年生と時、静ちゃんのお母さんのお腹に赤ちゃんがいるのを教えてくれた いつもは無表情でぶっきらぼうな静ちゃんが、その時はすごく笑顔で語ってくれた 幸せそうに笑う貴重な笑顔を、おれは密かに目に焼き付けた でも3年生の秋、静ちゃんの生活が一変した 静ちゃんのお父さんが事故で亡くなった その日に弟の慶磨くんが生まれたらしかった 静ちゃんは泣きもせず、笑いもしなかった その時から静ちゃんは時々学校を休むようになり、高校に進学して1年経たない頃、静ちゃんはぱたりと学校に来なくなった もう二度と会えないかと思っていた だけど今、静ちゃんが目の前にいる 連絡すら取れなかった静ちゃんが、今目の前に 「おい…っ、何してんだ」 気付くとその大きな手を捕まえて、両手でぎゅっと強く握りしめていた 精一杯の力を振り絞って、もうどこかに行ってしまわないように 「おい、離せ」 「やだよ、またどっかに行っちゃうんでしょ?」 「いいから、離せって」 久しぶりに触れた手の感触 はじめて触れたあの時よりもずっと大きくなったその手はカサついていて皮膚が硬かった 何を言われてもブンブンを首を横に振る 静ちゃんの顔を見ると困ったように眉をひそめ唇を噛み締めている 「何で急にいなくなったりしたの?」 「…………」 「おれは、静ちゃんのこと親友だって思ってた」 「…………」 「こんなおれじゃ頼りないかな?」 「…………っ」 おれが問いかけるたびに少しずつ表情を曇らせていく 掴んだ静ちゃんの拳にきゅっと力がこもる だけど離れたくなくて、おれは必死にその大きく温かい手をぎゅっと握る 「お前にカッコ悪ィとこ見せられっかよ」 「……………静ちゃん」 「…………頼むから、離してくれ」 紡ぎ出された声はどこか苦しそうで辛そうで、そんな静ちゃんを思うとぐっと力を込めていた手を緩めてしまう その隙に静ちゃんの腕がするっと抜け、何も言わずにおれに背を向けて歩き出す 追いかけようとすると足が震え、その場から一歩すら踏み出すことができない だんだんと遠くなっていく背中に、また涙が溢れる 嫌だ また会えなくなるの? そんなの嫌だ 事情があるならおれ、力になるから だから、 「静ちゃん!おれ、絶対静ちゃんのこと助けるから!!」 「おれっ、ずっと静ちゃんの親友だから……っ!!」 「だから絶対、戻ってきてね………っ!!!」 出せる声を精一杯の張り上げ、静ちゃんの背中に向かって叫ぶ 静ちゃんは振り返らずにそのまま歩いていった おれの瞳からぽたりと一粒、涙が落ちた 静ちゃん 今度はおれが、静ちゃんを助けるから おれ、全力で静ちゃんの力になるから 静ちゃんはおれの憧れで カッコよくて、ちょっと無愛想だけど優しくて そんなおれのヒーローで親友 ずっと静ちゃんみたいになりたくて、静ちゃんの背中を追いかけた 高校生になった今なら、追いつけるかな おれ、もう静ちゃんみたいに大人かな

ともだちにシェアしよう!