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不器用兄貴の心の中

居心地の悪い保健室の窓から飛び出す 今日は週に一度の登校だったが致し方ない 輝には何も事情を説明しないまま避け続けていたし、あの状況じゃずっとあそこにいる方がやりにくい 輝に事情を説明しなかったのは、あいつが優しすぎるからだ あいつに今の家計の苦しい状況やお袋のことを相談しちまったら、何が何でも力になろうとする おそらく仲の悪い親父さんに無理して頭下げて家の財力うごかして、無理矢理にでも俺を助けようとしてくれるはずだ あいつは昔からそういう奴だったから だから頼りたくなかった 頼れなかった それでも少しくらいは事情を説明するべきだったのではないか、と今でも思うことがある だが俺にそれを上手く伝える術がなかった 元より何かを口に出すことも感情を表に出すことも人よりずっと苦手だった だから仕方なかったんだ 保健室の窓から飛び降り着地すると、日の当たらないいつもの暗い校舎沿い だがそんな暗い場所で普段は感じない人の気配を感じる それに反応しくるりと振り返ると、腕に何かがぶつかってしまう 「うわっ……!」 ぶつかった相手の顔は見えないが恐らく女子か、または小柄な男だろう そいつの腕を倒れる間一髪で掴み、転倒するのをギリギリで防ぐ だがその腕を掴んだ瞬間、俺は懐かしい何かを感じ取った どこか懐かしい匂い 甘い砂糖菓子のような、花のような匂い 目に飛び込んだシルエットは小柄で、驚いたような声にも聞き覚えがある やばい 俺の中の何かが直感した だがそれももう遅く 眩しい木漏れ日が俺の顔を照らした 「静ちゃん…………………?」 俺が掴んだ腕を離すより前に聞こえた声 その声は男にしては高く、まだ少し幼げな印象のある声 呼び慣れたように俺を“静ちゃん”と呼ぶ人物は、この世で2人しかいない 「静ちゃん、だよね………………?」 うるうるとした瞳を驚いたように見開かせ、パチパチとハッキリした瞬きをしながら俺を見上げる 長い睫毛に張り付いた小さな雫が瞬きと同時に弾ける 「………………………ああ」 健の問いかけに、俺は少し遅れて頷いた 健とは中学の頃から一緒だった 1年の時に偶然虐められているところに遭遇した、それを止めたのを覚えている それから少しずつ健のことを気に掛けているうちにいつの間にか一緒に行動するようになった 健はなぜか俺のことを慕ってくれてるみたいで、毎日のように静ちゃん静ちゃんと俺の周りをチョロチョロして回った あまり人と馴れ合うのは得意じゃなかったが、なぜだか健と関わるのは苦じゃなかったし思ってるよりも楽しかった 「おい…っ、何してんだ」 急に俺の手をぐっと強く握られる 同性の俺と比べてもかなり小さいその手にぐっと力を込めて、強く それを振り解こうとするが、無理矢理強く引き剥がすことは俺にはできない 「おい、離せ」 「やだよ、またどっかに行っちゃうんでしょ?」 「いいから、離せって」 強く握られた手は温かい はじめて握ったその時から変わらぬ子供体温 懐かしい 健とは俺が1年の頃学校に行かなくなった時から会っていない その頃と何も変わらぬ姿に懐かしさを感じる それに比べて俺はその頃とは全く違う そんな、何もかも変わってしまった俺の胸に健の言葉が痛いくらいに突き刺さる そんな俺に健は立て続けに問いかける 何で急にいなくなったりした? 親友だと思ってたのに おれじゃ頼りないのか? そう尋ねられるも、全てに対して答えを吐き出せない 目の前で今にも泣き出しそうな顔をして俺を見上げる幼げな顔 そんな瞳で見つめられると、目の前がゆらゆらと揺れる 俺だってどっか行きたくて行ったんじゃねえよ けど、こうでもしねえと俺ん家はやっていけない 弟も妹も、お袋だって苦しむことになっちまう 俺だって、お前と離れたくなかったよ 好きなやつと離れたいやつなんていねえよ 中学の時のことは、はっきり覚えてる 健が虐められていたのを止めたことも それからずっと一緒に過ごしてきたことも コイツに対してどんな感情が芽生えていたかも 俺よりもずっと小せえ健は、俺の持っていないものをたくさん持っていた 俺は健のように無邪気に笑えない 健みたいに明るくもなければ愛嬌もない 俺なんかよりずっと無垢で純粋な健にずっとどこかで憧れていた それと同時に健とずっと一緒にいたいと思うようになった この笑顔を俺だけに向けて欲しいと思った こんなのおかしいって分かってた 必死にこの感情を押し殺した こんな穢れのない健に、普通とは言えない感情を抱いている自分に怒りさえおぼえた それに俺は兄貴なんだ 兄貴の俺が、恋愛だ何だと現を抜かしている暇なんてねえんだ 悪ィな健、俺はお前が思ってるような人間じゃねぇよ お前に対していけない感情を抱いちまったんだよ お前を思い出すと、今でも苦しくなるんだよ だから頼む、俺を突き放してくれ お前が突き放さないなら俺が突き放す 俺にはそれしかできねえから だから頼む、もう俺を苦しくさせないでくれ

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