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運命
「え………………?」
「……寂しい時、どうしたらいい…?」
健の口から出た悩み事
それはあまりにも意外なもので、オレも翔も目を丸くして固まってしまう
寂しい時は、どうしたらいい
健から尋ねられたその質問に、オレは答えを見出せずにいた
そもそも今まで“寂しい”と思ったことはない
家族と離れて暮らしても、むしろオレは無駄な干渉を受けず自由に過ごすことが出来ているし
ひとりでいることに寂しさを感じるたちじゃない
いや、でも最近は翔を家まで送り届けると、もう少し一緒にいたいなと思うことは増えた
「健……寂しいの……………?」
すると隣に座る翔の口から、ぽろりとこぼれ落ちるように出た一言
翔の顔を見ると、なぜか泣きそうな顔をして唇を震わせている
膝の上にきっちりと置かれた拳も小さく震え、ぎゅっと握りしめるような音が聞こえて来そうだ
「あっ、い、いやっ、あの、おれいつも家に帰ったらひとりだからさ……その…」
「え…………」
「ち、ちょっと寂しいなーって……?」
翔からの質問に取り繕うような態度を取る健
慌てるように手をパタパタと顔の前で振って、無理に引き攣った笑顔を作っている
そんな健を見て、翔が泣きそうになった気持ちが分かった
知らなかった
あの明るく騒がしい健が家でひとりきりだなんて
寂しさを抱えているなんて微塵も感じられなかった
いや、感じさせなかったんだ、健が
「家族は?仕事忙しいの?」
「うん、ママもパパもアメリカにいてそれで…」
「い……いつから家にひとりなんだ……?」
「えっと……中学生の頃からかな………」
オレの問いかけに少し躊躇しながらも素直に答える健の言葉ひとつひとつに、オレも翔もひどく顔を歪めた
嘘だろ
知らなかった
オレたち中学からずっと一緒にいるんだぞ?
それなのに、オレは何ひとつ知らなかったって言うのか?
健の口から“寂しい”だなんて、一度たりとも聞いたことはない
「な、何で今まで言わなかったんだよ…」
「あ………その、心配かけちゃだめかなって…」
「はぁ!?全然だめなことなんてないだろ!」
「ア、アキ……声おっきいよ………」
もじもじと下を向いて指を絡ませ、小さな声で途切れ度切れにそう応えた健
それにオレは思わず感情的になって立ち上がる
教室中の視線が一気にオレに集まるが、そんなこと気にもならない
焦った様子の翔にくいくいと手を引っ張られ、ハッと我に帰る
どいつもこいつも
何でみんな弱音を吐かない!?
健だって、静磨だって
何で長年一緒にいて何も言ってくれない!?
「アキ……落ち着いてよ…………」
「………………っごめん、ごめん健」
「う、ううん……おれもごめん………」
翔に宥められてやっと頭が冷えてくる
勝手に入ってしまう拳の力は、翔が密かに手を握ってくれたおかげですっと抜けていく
そんな心配そうに見つめる翔の顔を見ると、そう言えばオレも人のことを言えないのかもしれないと思い改める
オレも、言えなかった
“辛い”って言えなかったよな
翔に救ってもらうまで、ずっと沼みたいな地獄に付き纏われて意思も自由も友達も奪われて
オレが救われたのは、翔がいたからだ
救ってくれる人がいたから
この2人には、健と静磨には
本気で助けを求められる相手がいなかったんだよな
「健………静磨のバイト先、教えるよ」
「え………………」
何かを考えたわけでなく、衝動的にぽろりと口からそう溢れた
口に出してはじめて、オレの頭の中で静磨と健の存在や想いがぴったりと繋がる
ポケットからくしゃくしゃに折れ曲がった昨日のレシートを取り出すと、それにボールペンで強く字を刻む
「ここ、1回だけ行ったことあるんだ」
「れ…………そぉ、と……」
「“ソール”って名前の店だったと思う」
「そーる…………」
恐らく辞めていなければ今も静磨のバイト先のひとつであろう店の名前を書いたくしゃくしゃの紙を健に渡す
読めずにいた健に読み方を教え、その丸い目を真っ直ぐに見つめる
“le sort”
フランス語で“運命”
健の運命はオレじゃない
静磨の運命も、オレじゃない
きっとお互いを救い合える運命で結ばれているのは、お前らだけだ
健の気持ちは分からない
もしかしたら“恋”なんて知らないかもしれない
逆に静磨は、健に会うことによってその気持ちが大きくなってしまうのを恐れているはずだ
だけど悪いな、静磨
オレは健の味方するぜ
その日の夜11時
オレは今週分のインスタント食品や生活用品がなくなっていることに気付き自宅の近くのコンビニに、ランニングも兼ねて走った
ある程度出来合いの食品を買い集め、コンビニを出てまっすぐ自宅へ帰ろうとした
するとコンビニの前でふらふらとした足取りで歩く女の人とすれ違う
その女の人は長い黒髪をなびかせて、下を向いて歩いている
「っ………!」
「大丈夫ですかっ!?」
するとその女の人が何かに躓き、手に持っていたバッグを落としてしまい、オレは慌ててその人に駆け寄る
その女の人は艶のある長い髪を掻き分けてカバンを探している
それを先に拾って手渡すと、ごめんなさいねと気さくな態度で頭を下げられた
だがその女性に、オレは見覚えがあった
「あれ………輝くん!?」
「明美ちゃん………!?」
ほぼ同時に同じような声色でお互いを指差すオレたち
目の前にいる黒髪の女性は、六条家の母
オレは昔から親しみを込めて“明美ちゃん”と呼んでいる
「あらー!また逞しくなって!」
「明美ちゃんこそ、相変わらず美人だな!」
「やだあ輝くんったら!」
あのぶっきらぼうな秀才とは似ても似つかぬ明るいテンション
とても17歳の子供がいるとは思えないほどに若々しいその人は、にっこりと目を細めてオレの肩をバシバシと叩いて喜ぶ
だがその細めた瞳の下には、黒いくま
笑ってはいるものの、所々疲れたような様子が伺える
その日はもう夜も遅かったしそこで明美ちゃんとは手を振って別れた
オレはその背中が見えなくなるまで、明美ちゃんを見送る
そしておもむろにスマホを取り出し、いつぶりか分からないあの人に通話を繋げた
「………あーお袋………悪い、こんな時間に」
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