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静磨の日常
お袋と一対一で話したあの日はお袋を避けるようにして眠りにつき、朝早くに出て行くお袋を背中で見送った
次の日、いつものように勇磨と歩美を送り出し、琴美と慶磨を連れて保育園に向かう
機嫌のいい琴美が隣でマジレンジャーの歌を口ずさんでいた
今日は朝からカフェのバイトが入っている
そこは、いつもの商店街の端にある洋風のカフェ
夜はバーになるその店の名前の由来は何かフランス語だったかイタリア語だったかで“運命”という意味らしい
「あ、六条くん、おはよう!」
「っす」
「今日もイケてるねえ」
「なんすかいつも……………」
ドアを開けて店の中に入ると、コーヒーの香ばしい匂いやパンケーキの甘い匂いを感じる
愛想のいい店長に軽く会釈をし、俺はカウンターの裏に回り準備室に入った
店長はとても優しい男性
コーヒーを淹れるのがとても上手な人だ
学生時代は暴走族だったなんて噂もあるが、そんな面影は微塵も感じさせないほど柔らかい雰囲気を纏っている
ロッカーを開け、中から制服とあまり変わらないような真っ白のワイシャツを取り出す
それを羽織ってボタンを上から2番目まで留める
袖を肘あたりまで織り、腰から下にかけて足元まであるクロスを腰にぎゅっと巻く
「今日は12時から予約入ってるからね」
「そっすか」
「女子だから、六条くんまた対応お願いね」
「はい」
仕上げに前髪をカチューシャで完璧なオールバックスタイルにして準備室から出ると、店長が柔らかい口調で言う
なんでも店長は若い女子の扱い方がよく分からないらしく、そういった類の対応はいつも俺任せだ
まあ、俺も女の扱い方なんて分からねえけど
だが仕事だと割り切り素直に返事をして開店準備を始める
「静磨くん、女の子に人気だもんね」
「ねー、顔怖いのにね」
「逆にそこがイイんじゃないの?」
どこからともなく現れた同じアルバイトの梓さんが横から野次を飛ばしてくる
梓さんは俺より5つほど年上の、元会社員の女性だ
背の高いスラッとした人だが一々俺をイジっては笑っている少し怖いタイプの人
「その赤い髪がイケてるんだよね」
「顔もイケメンだもんね、静坊くん」
「はぁ……………」
「ま、あたしの彼氏には及ばないけど」
右と左からそう口々に言われるが、いつまで経ってもこのやり取りに慣れる気がしない
家じゃ俺が1番上
でもここじゃ、俺は1番下だ
厄介な女よりあんたらの方がずっと扱いにくいよ、と思いながら末っ子の俺は黙って仕事に没頭した
「いらっしゃいませ」
「え、店員さんイケメンじゃん!」
「前来たときはいなかったよ!?」
時間は12時を回り、店長の言っていた若い女性客が数人で来店した
恐らく大学生くらいであろうその人たちは、静かな喫茶店に相応しくない大きな声で話す
客の雑談には耳を貸さないようにし、俺は淡々とした態度で席へ案内した
「ねえ、お兄さんいくつ?」
「……17です」
「えー若ぁい!年下じゃん!」
「名前なんてーの?」
注文を取りに来たはいいが、全然注文をしてくれないその人にたちに若干戸惑いながら対応をする
渋々年齢を答えると一々オーバーにリアクションを取り、名前を聞かれると俺が答える前に名札付けてるじゃんと言って勝手に盛り上がる
ああうるせえ、頭痛くなってきた…………
助けを求めるように店長と梓さんに顔を向けると、さっと顔を背けられる
「ねぇ、お手洗いどこ?」
「こっちです」
「あーちょっとー」
茶髪にパーマをかけた長い髪のひとりに尋ねられ、俺は逃げるように店の奥の方にある化粧室へと案内する
俺の抜けた穴をフォローするように横から出てきた梓さんに会釈をする
「ごめんねー、うるさくて」
「いえ」
「あの子らテンション高くてね」
「そうですか」
適当に相槌を打ちながら店の奥へと案内する
本当、こんな奥に化粧室作った店長には今のところ恨みしかない
「ねえ、待って」
約1分掛かってその人を化粧室の前まで案内し立ち去ろうとすると、急に腕を掴まれる
そしてあっという間に引き寄せられ、まるでその狭い通路で俺が迫っているかのような体勢にさせられる
香水の匂いが気持ち悪ィ……………
「ちょっ…離してもらっていいすか」
「ね、ちょっとだけ」
「いや意味分かんねえんで」
「私、君のこといいなって思っちゃった♡」
細い通路、お互いのすぐ後ろはオブジェや額縁が飾られた黒い壁
そんな場所で見事にしてやられた俺の首にするりと腕を回したかと思うと、ギリギリまで顔を近付けられてそう迫られる
こういったことは、はじめてじゃない
この見た目のせいで軽そうにでも見えるのか、妙に絡まれやすい
もちろんこういった状況を誘発するためにしてる格好なんかじゃ決してないが
「私、結構スタイル良いって言われるんだけど…」
「っ…………」
「ね、バイト何時に終わるの…?」
すると腕を強く掴まれ、俺の手を自身の胸にぎゅっと押し付ける
触り慣れない柔らかい感触が手に伝わって、ゾッと体中の血の気が引く音がする
気持ち悪ィ
手に伝わる感触も
きつい香水の匂いも
俺を誘惑するような態度も全部
あいつは、そんなことしない
あんたみたいに穢れてない
もっと純粋で無垢で真っ白で
あいつは、
俺の好きな奴は………………
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