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悩めるサイボーグ

今日は朝からアルバイト 琴美と慶磨の保育園への送り迎えは今日はお袋に頼み、夕方まで働く 「はぁ………………」 いつもなら気合を入れる開店30分前のこの時間 だが俺は柄にもなく落ち込んでいた 「なに、ため息なんて珍しいじゃん静坊」 「いや……ちょっと……………」 「あんたサイボーグだと思ってたのに、悩んだりもするのね」 「…………………うるさいっす」 椅子に腰掛けモップを持ったまま下を向き吐き出されるため息 隣で気怠そうにテーブルを拭く梓さんにからかわれ、ますます気分が下がる 昨日、健の手を払ってしまった パチン、と高く響いた音と放り出された細い手 その感触と光景がまだヒリヒリと俺の中に残って、昨日はなかなか寝付けなかった 目を瞑っても健の泣きそうになった顔が浮かんできて、心に居場所が無かった それにわざわざ俺が終わるのを待ってくれていたのに、追いかけもしなかったことに今更後悔している 話ぐらいは聞くべきだったと、今になって思う でもこれでいい、と決めたはずなのに そう割り切ってもう忘れてしまおうなんて、頭では格好付けたはずだったのに それなのに俺の心と体は意外にも素直なようで 「今日予約ないから、適度に力抜きながらやりなよ」 「すんません…………」 「いいって、お兄ちゃんも疲れるよね」 「あ……その…………………はい…」 本当は兄貴していることを悩んでいたわけではないが、優しい笑顔を向けてくれる店長の気持ちを無駄にしないよう大人しく頷く それでもやはり仕事はしなければ、と思い立ち上がる そして掛け終わっていたモップを棚に仕舞い、今度は外掃除用のほうきを取り出す 「外、掃除してきます」 「はーい」 うだうだ悩んでるなんて俺らしくねえ それに店長や梓さんにまで迷惑かけちまって、こんな情けない姿いつまでも見せるわけにいかねえよな 切り替えろ、俺 そう思って無理矢理にでも気合を入れるよう、自分の両頬をバチンと強めに叩いて外に出た 外に出ると、仕事に向かう人や朝のコーヒーブレイクを楽しむ大人の姿 それに疲れたように足を引きずる二日酔いのサラリーマンやホステスの女性 そんな見慣れた光景に、少しだけ安堵する これからも俺の日常は変わらない 弟と妹の世話をして バイトして 晩飯の買い物やクリーニング屋に行って 水曜は隠れて学校に行って 夜はみんなで食卓を囲む これからもずっと、俺の日々は変わらない はずだった 「し、静ちゃん…………っ」 「…………………健……?」 だけど俺のそんな日常を壊す存在 忘れたくても忘れられない奴の顔が、今俺の目の前にある 赤いパーカーを着て昨日と同じ電柱の裏から姿を表す、男にしては小柄な影 髪はやっぱり柔らかそうで、瞳は俺と違って丸くキラキラ輝いている 嘘だと思った これは俺の都合の良い幻覚だ いよいよ頭がおかしくなって、幻覚や幻聴まで始まっちまったんだと、そう思った 「お、おれ、静ちゃんに話したいことがあって」 だけど違った 目の前のこいつは本物だった この声もこの姿も、風に乗ってほんのり香る太陽のような柔軟剤の香りも 全部全部、幻なんかじゃない 「お、おれ……おれっ……………」 「は…………っ、お、おい…」 「う、お、おれっ………おれね………ッ」 「ちょ、おい、何泣いてんだ………っ」 だが俺が幻じゃないと認めた途端に、実体である目の前の健は瞳に涙を溜め出す そして今にも泣き出しそうな顔をして、必死に声を紡ごうとしている そんな健を慌てて宥めようとするが、弟たちのように上手く接することが出来ない 「う、うわぁああん………っ!」 「お、おい、泣くなって…………っ」 「やぁだあああああ!行っちゃやだあああっ…!」 「ちょ、こら、ンなとこで泣くな……っ」 とうとう健はその場に座り込み、まるで駄々を捏ねる子供のように大声を上げて泣き出した あまりの非日常に戸惑ってしまい、上手くあやすことも宥めることも出来ず柄にもなくあたふたと狼狽してしまう 俺は、どうしたらいい 目の前で惚れたやつが俺の名前を呼んでいる どうするのが正しい 少しでも間違えば俺の理性はぶっ飛んじまう 今すぐにでも抱きしめて、こいつを俺のものにしてしまいたくなっちまう どう選択すれば、こいつを穢さない 頭の中でぐるぐるとたくさんの選択肢が巡って、俺にどれかひとつを選ばせようと急かす だがどの選択をするのが正しいのか、今の俺には到底判断することが出来ない とりあえず泣き止ませねえと…… そう思って健に近寄り座り込んだ健と視線を合わせるようにしゃがみこんだ この距離にいるだけで、夢のような気分になる すると、不意に体がふわっと温かいものに包まれた 「は……………」 「しずちゃ、ひっく……いかな、でっ……」 「………………っ」 「おれっ、やだよぉ…ッ、うっ、やだよぉおっ」 思考が固まって、自分の身に何が起こったのか理解が追い付かない だけど人肌のような温かさ 頬に触れるふんわりとした髪 そして太陽のような優しい香り しばらく固まって、やっとのことで健の腕が俺の首にぎゅっと抱きついていることを理解した ああ、だめだ、そんなことされたら……… 「分かったから、もう泣くな」 気付いた時には健をぎゅっと抱き抱え店の扉を乱暴に開けた そしてキョトンと固まる2人を無視して、俺は健を抱えたまま裏の控え室へと連れ込んだ

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