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バカ息子

「あら静磨、どっか行ってたの?」 「あ、ああ………おかえり」 「ん、ただいま」 健を送り自宅に帰ると、ちょうど同じタイミングでお袋も帰宅したところだった お袋のやけに重たいカバンを取り上げ家の扉を開けると、先にお袋を家の中に入れてから鍵とチェーンを閉める 居間の明かりだけが点けられたしんと静まり返った狭い部屋 寝室からは琴美の寝言が聞こえ、どうやらもうみんな眠りについているようだった 「歩美、ありがとな…………」 「歩美がしっかりしてくれてて助かるわね」 「ああ……………」 こういう時は長女の歩美がいつも下の子を寝かせてくれている 兄の勇磨の落ち着きがない分、歩美はお袋に似て真面目で面倒見のいい性格に育った そんな歩美の頭を優しく撫でると、にこりと微笑んで寝返りをうつ 「晩飯、作ってあるから」 「ん、ありがとね」 「そんでさ…………………」 「ん?」 寝室の扉をそっと閉めて台所で手を洗う 隣に並んで一緒に手を洗うお袋にそう言って机の上のお好み焼きを指差すと、歩美とよく似た目で優しく微笑む そんなお袋に、今日は話したいことがあった 「少し話してえこと、あって…………」 「………ん、着替えたら聞くね」 「……………ああ」 それなりに勇気を出して言った お袋は少しだけ不安そうな顔をしたが、すぐにいつものように優しい顔で笑って頷く 今まで自分からお袋に話をしようとしたことはほとんど無かった むしろお袋に都合の悪いことを聞かれたりするのが嫌で、自分から上手い具合に避けていた だが今日、色んな葛藤や不安から解放される勇気を貰った だから俺は言う ラフな部屋着に着替えたお袋が部屋から出て来る お袋に晩飯はと尋ねると、話を聞いてからでいいよとそう言う そして今、机を挟んだ状態でお袋と向き合い座っている 目の前のこの人は、仕事で疲れているはずなのにきちんと正座をして俺の話を待つ 「話って?」 「………………ああ、あのさ……」 「うん?」 そう尋ねられ、一度唇を噛んだ そしてふぅっと深呼吸をして、お袋の目を真っ直ぐに見つめた 「俺、学校行きてえ」 これを言葉にするのには、自分の中ですごく勇気が必要だった ずっと言いたいと思っていたかと言えば違うかもしれないが、今日を境にやっぱり普通でいたいと思えるようになった あと少し、普通の高校生活を健と共に過ごしたくなった だから 「あんた、喧嘩売ってるの?」 俯くお袋 その声は震え、怒りを帯びているようにも聞こえる 無理は承知だった 今まで俺の収入も含めて、やっと生活できていたのだからそれが減るのは危機的状況 お袋の考えも痛いほど分かる そう思って半ば諦めかけていた時だった 「お母さん、いつあんたに学校に行くなって言った?」 そう言って縛っていた長い髪をバサッと解く そしておもむろに正座を崩すと、机に肘を付いてはぁと深くため息を吐く 「高校生のくせに学校行かないで働くなんて生意気なことして、お母さんずっと怒ってるの知らなかった?」 「お、お袋…………」 「お母さん何度も言ったよね、学校行きなって」 「う…………」 「バイトも、3つも許した覚えないんだけど」 それからお袋は、俺の言葉も全て遮り箍が外れたように早口でそう語った その顔は俺でも抵抗できぬほどに威圧的で、それでいて優しかった そんなお袋の言葉を聞いて、目のあたりがじんわりと熱くなっていく ああ俺、お袋の元に生まれてよかった 「反抗期もいい加減にしなさいよ」 「……………っ………悪ぃ」 「髪の毛染めててもいい、ピアスしててもいいから、だからまだ高校生でいなさい」 俺の頬に、少しひんやりとした人肌のようなものが触れる それが俺の頬を優しくさすり、そして今度はぐにっと頬の肉を強くつままれる そう言えばお袋は、冷え性でいつも手が冷たかった記憶がある 「静磨はまだ若いんだから」 「っ………………ッ、ぅ……っ」 「っ……自分の好きなことして、いいのよ…っ」 じんじんと痛む頬 俺に降り掛かる優しい声は少し震えている そしてひんやりとしていて気持ちのいい、お袋の手 こんな風に撫でてもらったり抓られたりしたのは、俺がひとりっ子だった時以来だ 弟が出来て、妹が出来てから ずっと張り詰めていた糸がぷつんと切れる音がする 「悪ィ……………っ」 「謝るな、このっ、バカ息子…………っ」 机に出来た大きな水たまりを、隠すように袖で拭く そしてなぜだか滲む視界でお袋を見ると、お袋の前にも大きな水たまり そんな水たまりを眺めると、頭をごつんと拳で叩かれて俺と同じように袖でそれを拭った この日から、俺の新しい人生が始まった

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