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ぶどう味

そして夏休み前日 みんないよいよかと言わんばかりに浮き足立っており、学校全体の空気も心なしかハッピーだ 「いい?帰りが遅くなる日は親御さんに連絡すること!」 「はぁ〜い」 「それから不純異性交遊はだめだからね!」 「はぁ〜い」 ホームルームでは夏休みの注意事項をしっかりと言い聞かせられ、不純異性交遊などもってのほかだと担任の海老名先生が俺たち生徒に厳しく説いており、クラスメイトたちは逐一力の抜けた返事をしている そんな言葉を聞かないようにしらけた顔で窓の外を眺め、異性じゃないもんと心の中でだけ軽く言い訳 だけどそんな俺の心も、待ちに待った夏休みを控えてハッピーだった とでも言うと思ったか 「翔、さっきから不機嫌そうにどうしたの?」 「別にぃ」 「ほら、おやつ分けてあげるから」 「ん…………」 むしろ俺の機嫌はハッピーどころかアンハッピー 今朝からとある理由で、意思に反して機嫌が悪くなっているのだ 1限と2限の間の中休み 俺の不機嫌を察した健が慰めるように横からポッキーを差し出してくる それをぱくんと1本口に咥え、俺はもにょもにょと無意味に口を動かす そんな俺の視線の先には、身長185センチの筋肉質な肉体に国宝級の整った顔面をお持ちの男がひとり 爽やかな笑みを浮かべるそいつは、一回り以上も小さい女子に見上げられている 「あのっ、輝先輩っ………!」 「ん、どうした?」 「つ、付き合ってください…………っ!」 さらりとしたボブヘアをぶんっと振り下げて、1年生らしき小柄な女子がアキに向かって大胆告白 アキはそんな告白を聞くと、あぁと言った様子で頭を掻いている ふん、この万年モテ男め………… そりゃアキがその子の告白を受け入れることはないと、そう分かっていながらも何故だか俺の心は大きな恋人に対して悪態をついている 教室に背を向けているその男にいーっと歯を剥き出しにしてみる それに気付きもしない男は、小柄な女子に向かい俺たちに聞こえないくらいの声で何かを言った 「去年もね、この時期すごかったんだ」 「ん?何が?」 「ヒロくんの告白」 「え、そうなの?」 すると隣に座った健が、新しいお菓子の袋を開けながらそう言った それを無言で奪い取りセロテープで口を閉じる俺は、大人しく健の話に耳を傾ける あぁ…と少し悲しそうな顔をする健 仕方なく元々開けていたポッキーを再び口に含みなら、気を取り直して語り出した 「毎年ね、夏休み前になるとヒロくんモテモテなの」 「な、何で夏休み前に?」 「夏休み前にヒロくんと付き合えたら、学校のない夏休みでもヒロくんに会えるでしょ?」 「なるほど………」 健が話してくれたことに、俺は心底納得してしまう 確かに健の言うとおりだ 夏休み前にアキに告白して付き合うことができれば、学校のない夏休み期間中もアキに会うことができる その上1ヶ月以上ある休みを、アキとのデートに使うことだってできるんだ よく考えたものだ、とそう納得しうんうん頷く俺 だが心のどこかで、その権利を独り占めしてしまっていることに優越感を抱いている自分もいる なぜならアキは、俺の恋人だからである だがしかし、だからと言って俺の機嫌が治ったわけではない 「輝くん、あたしと付き合わない?」 「あっ、えっと…………」 「ね、あたしなら何でもしてあげるよ?」 「いや……その……………」 今度は3年生らしき美人の先輩 さっきの1年生とは違いどこか妖艶な雰囲気を纏ったその人は、身長が高くてスタイルも良い はい、その人で本日の告白8人目 依然むすっとした表情のまま、教室のドアの前で行われるそれをじっと眺める むしろ次々女子が来るので、何だか工場のベルトコンベアを見ている気分だ 「ふんっ」 「あ、翔拗ねてるぅ」 「すっ、拗ねてなんかないし…!」 「嘘だあ、ほら、おやつどうぞ」 何だか相手が美人だと妙に不満で、俺はプイッとそっぽを向いた 隣の健は俺をからかい、そしてまた細いチョコレート菓子を俺の口に運ぶ するとそんな俺の視界を、ぬっと現れた大きな壁が暗くする 「しょーうっ」 「げ」 「あれ、ご機嫌ななめ?」 「そう、翔ってば今拗ねてるの」 「すっ、拗ねてないってば……!」 不機嫌な俺に対し、至って穏やかな態度のアキ その余裕そうな感じがまたムカついて、俺は健の言葉を否定すると再びプイッとそっぽを向く するとそんな俺の手を、ぎゅっと大きな何がが握る それは温かくてゴツゴツしていて、少しだけぺたりと汗ばんでいるような感触 それがアキの手だと悟るのに時間は掛からず、むしろ触れられた瞬間にアキだと分かってしまう自分が憎い 「こ、断ったのかよ………」 「当たり前だろ!オレには翔がいるんだから」 「ちょっ、声でかいって…!」 「な、機嫌直して?な?」 「う…………」 じろりとアキを睨みつける俺 だがアキはそんな俺を見下ろさないよう、またいつものようにぐっとしゃがんで俺にツンツンとちょっかいを掛ける するとどこからともなく出てくる、俺の好きなぶどう味のグミ アキはこれで機嫌直して、と言って拗ねた俺にぶどう味のグミを献上する 意思に反して右手がグミへと伸びていく 俺は今ご機嫌ななめなはずなのに、それなのにアキが差し出すグミへと手が伸びてしまう 「…………ゆるす」 結局勝負は俺の負け 俺の右手は見事ぶどう味のグミをゲットし、アキは俺のお許しをゲットする 試合では勝ったが勝負で負けたような気分だ だがそれでも、アキが美人でスタイル抜群な女子の誘いを断って俺を選んでくれたことは嬉しかった むしろ本当に機嫌が直った理由はグミなどではなく、アキの口からそれを聞いたから アキのせいでさっきまでアンハッピーだった俺も、結局アキのおかげでハッピーになった だけどこの時のハッピーな気持ちは、その日の放課後すぐに消え去ってしまうことになる

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