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脳内会議
「ううぅ〜〜………」
「ほらコーヒー、冷たいわよ」
「……ミルク………」
「はいはい」
保健室の網走に手を引かれ、俺は今保健室の中
コーヒーの芳ばしい香りが漂うそんな空間で、べたりと机に頬をくっ付けて唸っている
先生がアイスコーヒーを出してくれる
苦いものが苦手な俺が甘えるようにミルクを要求すると、先生ははいはいと言って牛乳を注いでくれる
あぁ俺、また情けない顔してるだろうな………
そう思いながら俺の前に腰掛ける先生をじっと見つめると、目の前の美しい顔は少し困ったように眉を下げながら俺の髪をふわふわと撫でる
気付くと保健室に足が向かっていた
さっきは何も考えないままひたすら走ったつもりだったが、自然とここを目指していた気がする
先生に、唯一頼れる大人に、甘えたかったんだと思う
「それで?今日はどうしたの?」
「……アキが………………」
「ん?ヒロちゃんが?」
「……………女子とチューしてた」
そんな頼れる大人に、俺は先程目にした光景をどもりながらも告げた
小さく開けられた俺の口から発せられる言葉に、先生はあらと目を丸くする
「浮気?」
「ちがう……多分だけど、強引にされてて……」
「それが嫌だったの?」
「ちがうぅ…………」
先生がくれたミルク入りのコーヒーには手を付けず、俺は依然ぺたりと机に萎れたままグラスから滴る水滴を眺めている
そして先生から尋ねられる言葉に首を振り、うわああと頭を抱えた
俺はアキが誰かとキスをしたことが嫌だったんじゃない
いや、正確に言えばそれも嫌だったけど
でも俺が嫌だったのは、いつもいつもそんなことで嫉妬して悩んでしまう自分だ
自分の小さい器が、何より嫌だった
もちろんアキが姫野さんにキスをされたことも、お似合いの言葉に同意したことも深く傷付いたことに変わりはない
だけどそれでも大きな器で受け止めて、アキを許してやれる心を俺はまだ持っていなかった
恋愛初心者の俺には、難易度が高すぎたんだ
「それで逃げて来たの?」
「うぅ…………」
「ほらちょっと、鼻水垂らさないの!」
「ティッシュ…………」
色々な感情に押し潰されてしまいそうな俺は机にたらりと鼻水を垂らし、慌てた先生がそれを拭く
俺は側に置いてあったティッシュを1枚取ると、ゆっくりと体を起こしてちーんと鼻をかむ
そしておもむろに鞄からぶどうグミを取り出すと、袋を開けてひとつ口に含む
「本当、いつも何かしらあるわね、あなたたちは」
「だって…………」
「許せない自分がそんなに嫌?」
「……………うん…」
ずびび、と鼻水を啜りながら先生にグミを一粒差し出す
それを大人しく受け取った先生はもにゅもにゅとそれを指で押し潰して遊びながら、俺の瞳をじっと見つめて問い掛けてくる
そんなまっすぐに向けられた瞳と質問に、俺はばつが悪くなって再び背中を曲げると机に頬をくっ付けた
そうだ
アキが悪いわけではない
そんなこと、ちゃんと分かっているつもりだ
だけどそれでも許せない自分の心の狭さが嫌い
はいはい、で片付けられずに涙を流してしまう自分が嫌い
いつもいつも嫉妬ばかりの醜い俺の心が嫌いだ
だけど本当に、それだけか?
俺が辛い理由は、本当にそれだけ?
本当はアキが自分以外の人間とキスしたのが気に食わなかったんじゃないのか?
それでもアキを悪者にしたくなくて、あの光景を認めたくなくて自分の心を自分で傷付けているんじゃないのか?
なんて、俺の頭の中の小さな俺たちがお互いに意見をぶつけ合っている
外面の良い俺に、心の核心を突くタイプの俺
色々な俺が脳内で言い争いのような脳内会議を始めて、ますます訳が分からなくなってくる
「ううぅ…………アキのばかぁ………」
いつの間にか瞳いっぱいに溜まった涙
俺はそんな涙を放ったらかしにして、机の上に広げたティッシュペーパーの上にぶどうグミを並べていく
まっすぐに整列させているつもりの紫色のグミたちは、寝そべる俺のせいでぐにゃぐにゃだ
先生が真ん中の方のグミを一粒取って食べると、俺はその空いた穴を次の粒で埋めていく
鼻を啜りながらアキの名前を口にするだけで、またぐにゃりとグミの列が更に乱れていく
そして最後の一粒が列の一番後ろに並べられた瞬間、ガラガラッと勢いよく保健室の扉が開いた
「はぁ………はぁっ…………やっぱりここにいた…っ」
扉が開く音に反応して、俺は倒していた体を起こしその方角に視線を向けた
そこにははぁはぁと息を切らせる俺の恋人、広崎輝の姿
がたいの良い体で精一杯呼吸を整えているのを見ると、きっとここまで走って来たのだろう
「ほら翔ちゃん、お迎えが来たわよ」
「…………」
「翔……………」
「……………………」
網走先生が煽るようにそう言うが、何だかこの情けない顔を見せるのも嫌で俺は再び机に頬をくっ付けプイッとそっぽを向く
そして机の上に並べられたグミを2つ同時に掴むと口の中に入れてむしゃむしゃ食べる
そっぽを向いた俺の背中に、アキの切ない声
その切ない声は小さく俺の名前を呼び、そしてゆっくりと足音を近付けていく
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