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歯磨き

「翔…………」 「…………」 「ほら翔ちゃん、来てくれるの待ってたんでしょ?」 「…………」 ふぅ、と息を整えたアキが俺のすぐ側まで来ていることに気配で気付く だが俺は上げてしまいたい顔を必死に我慢してプイッとそっぽを向き机に萎れたまま アキの顔を見るとますます辛くなって当たり散らしてしまいそうで、それを必死に抑えているところ 「翔、ごめん…………」 「…………」 「ごめん……………」 「………………やだ」 寂しそうな声で何度も謝るアキ だが俺は依然遠くを見つめたままアキの方を見ることはない それでもアキが今どんな表情をしているかなんて、手に取るように分かるけど そう思っていた矢先、無意識に出た“嫌だ”の本音 本当は“別に”って言うつもりだった あっちいけ、って言ってしばらく放っておいて心が落ち着いたら自然と仲直りできると思っていた だけどやっぱり俺の心は、アキが他の誰かとキスをしたことに対する不満を抱えていたようだ 「……恭ちゃん」 「ん?」 「歯ブラシある?新しいやつ」 「あ、あるけど…………」 「ごめん、それちょうだい、今度買って返すから」 するとアキが突然そんなことを言い出した 先生は一瞬驚いたように言葉に詰まるが、すぐに何かを察して棚から新しい歯ブラシを取り出しアキに渡しているようだった さすがに状況が気になった俺は背中を曲げたままこっそりとアキの方に顔を向ける するとぴたりと、視線が重なる 「ごめんな翔、少し待ってて」 「う…………」 目が合ってしまい俺は咄嗟に顔を背けようとするが、机に頬を付けているせいで素早く動けなかった 結局俺の顔はアキの方を向いたまま、視線だけを泳がせてアキから必死に目を背ける そんな俺の頭にちょこんと指先で触れたアキは、そう言って手に持った白い歯ブラシを水に濡らして咥えた 「あらあら、律儀な子ね」 「あはひはへはほ」 「こら、歯ブラシ咥えたまま喋らないの」 そして水道の方を向きガシガシとえらく激しい音を立てて歯を磨くアキ 普段はわりかし丁寧に磨くタイプの奴だが、なぜだか今日は強く乱暴に磨いているような印象を受ける そんなアキを、じっと見つめる俺 アキが背中を向けている隙に机の上のぶどうグミを一粒口に入れ咀嚼すると、濃厚なぶどうの香りが口いっぱいに広がった アキが歯ブラシを口に咥えてから約5分 普段は2分ほどの歯磨きがこうも長く続くとは思っていなかったが、ともかくアキがうがいをして歯ブラシを鏡の前に置いた 「翔、近くに行ってもいいか?」 「…………ん……」 「…ありがと」 そして再び優しく切ない声で、俺にそう問い掛ける 何だかさっきの歯磨きも俺のためにしてくれたのだと思い、強く拒否できない いや、本当は拒否なんかしたくない だけど素直に側に来て欲しかったと認めるのも恥ずかしくて俺はあくまでアキからの要望を受け入れたかのように振る舞う 「翔…ごめんな…………」 「…………」 「嫌だった?」 「…………………ん」 俺の承諾を得たアキが椅子に腰掛け今だ萎れたままの俺のすぐ側へ寄る そしてしゃがんで床に膝をつくと、俺と視線を合わせるようにじっと見つめて再び謝る アキの問い掛けに躊躇いながら小さく頷くとアキはそっか、と呟き一度だけ俯く 俺はそんなアキの唇が、摩擦か何かで擦れて鬱血しているのに気付いた 「口………切れてる…………」 「あ、あぁ、強く擦ったからかな」 「そんなに強く擦らなくても…」 「ううん、オレは翔がオレ以外の人と間接キスするのも嫌だからさ」 そう言って膝の上に置いていた俺の手を取り、ちゅっとまるで王子様のように手の甲にキスをする アキのそんな独占欲とも取れる歯磨きにほんの少し頬を染めながらそれでもムスっとしていると、目の前の王子様は俺の手をにぎにぎしながらまた子犬のように眉を垂らす 「それなのにオレ、翔が嫌なことした」 「…………でも、アキからじゃないし…」 「うん、オレからじゃないよ、だけどごめん」 「…………………」 アキの素直すぎる謝罪に、次第に荒れていた心が落ち着いていく ひねくれ者の俺と違って素直にごめんと言えるアキを、内心はすごく尊敬している いつの間にか煩い脳内会議も終わっていて、審議の結果はやっぱりアキと仲直りをすること だからやっぱり、俺もそんなアキを許そう 「……俺も、ごめん」 「なんで翔が謝るんだよ」 「分かんないけど、なんか俺自分が思ってるよりも心狭くて、すぐ拗ねちゃって………」 「いいんだよ、翔はそれで」 体を起こして俺の隣に膝をつくアキを見つめて俺からも小さく謝罪の言葉を述べた それでもアキは俺の謝罪をいつものように否定するが、俺だって男のくせにすぐに拗ねていつもアキを困らせている自覚がなかったとは言い切れない それに小さい頃から姉ちゃんに喧嘩は2人がちゃんとごめんなさいをしないと終わらないよ、とそう教えられて来た 「ありがとな、嫉妬してくれて」 「………なんでありがとうなんだよ」 「だって嬉しいもん、翔がやきもち焼いてくれて」 「や、やきもちじゃないし………」 そう言ってさっきまで悲しそうな色をしていた瞳を輝かせ目を細める 近くで見るとますます笑った時の笑い皺が可愛くて、思わずワンちゃんのようにヨシヨシと撫でてしまいたくなる そんな気持ちを抑えアキの顔をちらちらと覗き見ると、ぱちりと目が合って優しく微笑み返される そこからはもうアキのペースだった アキのペースに飲み込まれた俺はあっさりとアキを許し、アキの向き合って少し照れながら話をした

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