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虫除け
「行ってくるね」
「行ってらっしゃい、夜ご飯いらないのよね?」
「ん、食べてくるからいい」
「そ、分かったわ、気を付けてね」
7月後半
天気は快晴
気温は30度を超えている
そんな本日、俺は母さんに見送られ水着やサンダルなど必要なものをぎゅうぎゅうに詰め込んだリュックを背負って足速に出掛けた
本日の目的地は海
クラスの数名が計画してくれた海水浴に誘ってもらった俺は本日海に行くのである
海にはバスで向かう
俺はアキと事前に待ち合わせ時間を決め、いつものように駅へ行く
そして駅から電車でいつもとは反対方向へ進みそこからバスに乗るのだ
どうやらバス一本で向かうことも出来るそうだが、それだと時間が掛かりすぎてしまうとアキが事前に調べておいてくれた
「おっ!翔!おはよ!」
「おはよ」
「天気良くてよかったな!」
「ん!」
いつもとは反対向きの登り行きのホーム
階段を降りると私服姿のアキが立っており、俺の姿に気付くなり顔を輝かせた
細身の黒いパンツにピチッとしたネイビーのTシャツ
服の上からでも大分逞しいことが伺え、俺は少しだけやきもちを焼きそうになる
海に行ったら脱ぐんだもんな………
アキの裸、見られちゃうのか……………
っていやいや!
男の裸なんて普通だ普通!
そんなことでやきもち焼くなんて、ダサいぞ俺!
べちべちと両頬を叩き、俺は自身に芽生える女々しい思考を無理矢理吹き飛ばす
そんな俺をアキは不思議そうに眺めているが、特に詮索されることはなかった
「んふ、寝癖」
「えっ嘘!どこ!?」
「ここ、ふふ、翔可愛い」
「もう、可愛くないってば」
すると不意にアキの右手が俺の横髪に触れ、んふふと気持ち悪く笑って目を細めた
どうやら俺の横髪には小さな寝癖が立っているようで、アキはその寝癖を伸ばすように俺の髪を撫で小さく笑っている
アキの“可愛い”はもはや口癖のようなものだと思っているので適当に否定だけしておき、寝癖を直してくれたアキにお礼を言う
するとふとした瞬間、アキの首筋に薄く残る小さな赤い痕が目に入った
「あ………これ………………」
「ん、この間翔が付けてくれたやつかな」
「ご、ごめん………消えなかったんだ」
「何で?消えなくていいよ」
それはどうやら一昨日俺が付けた下手くそなキスマークの残骸のよう
海で服を脱ぐのに消えない痕を付けてしまったと後悔して素直に謝ると、アキは不思議そうに首を傾げて首筋をすっと撫でた
「でもさ…………」
「いーの、軽い虫除けだって、な?」
「虫ってお前」
「恋人いますよって証明だからいいの」
いつもと違う色の電車が到着し、俺たちは会話をしながら揃って電車に乗り込む
夏休みと言えども夏休みなのは俺たち学生のみ、周りにはスーツを着たサラリーマンの人も大勢いる
そんな人混みの中でもアキは恥ずかしげもなく首筋の痕を晒し、俺を諭すように説きながらいつもの体勢を取った
いつものように壁側へ行き、アキの腕の中にすっぽりと収まる
そしてアキの背中にきゅっと控えめに腕を回し頬を寄せると、アキも俺の体を抱いて守ってくれる
だがそんないつもの状況下、アキの整った顔がぐっと俺の耳元に近付いた
「……それにオレは、翔にもっと重い虫除け付けるから」
「ひッ……………!」
するとその瞬間、ぐっと腰を強く引き寄せられ鎖骨のあたりにはチクッとした痛み
思わず小さな悲鳴をあげてしまう
なっ、なに……………!?
思いもよらぬ妙な感覚に俺は戸惑い、よく状況を理解しないままアキの腕をバシバシと叩く
「あっ…………ちょ、っ……ひ………ッ」
「これ全部、虫除けだから」
「なっ、なに………っ、あッ……!」
「翔に変な虫が付かないように、な」
だが俺の無意識の否定にアキが答えることはなく、むしろそのチクリとした痛みを何度も何度も俺に与えた
そしてそれがキスマークを付けられていると気付いた時にはもう遅く、キスマークに加えて噛み跡まで付けられている最中だった
揺れる電車で一通り思うがままにキスマークを付けたアキは満足そうに俺の首筋から唇を離す
俺は痛気持ちいい感覚と戦い疲れ、既にはぁはぁと小さく息切れをしている
「お、お前…………っ!」
「ふーん」
一昨日付けられたキスマークもほとんど消えてまっさらな状態に戻っていた俺の体は再びアキのキャンバスに
アキを問い詰めようと小声で睨みを効かせるも、まるで知らんぷりなその男前はよそ見をして誤魔化していた
はじめての東京での夏休み
本日が波乱の幕開けになることを
俺もアキもまだ知らない
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