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五、お布団が大好き
柊さん……
柊さん…
「碧?」
「碧!」
ぐっと手が強く握られるのを感じて、僕は目を開けた。瞼がすごく重い。息が苦しい。
「おい、兄貴!」
ぼんやりとした視界の中に、確かに柊さんがいる。
柊さんが金髪を揺らしながら、後ろを振り返り焦ったように叫んだ。
「起きたか?」
息が苦しい。ゼイゼイと喉が鳴る。
知らない男の人が僕の目を覗き込みながら、何かを調べる様に冷たい指で僕の首や顔を撫でた。触れるたびに体が芯から冷えるようで鳥肌がざわりと立つ。
「今は苦しいがじき治る。柊もいるから安心してゆっくり寝とけ」
柊さんが僕を見つめながらコクコクとその横で何度も頷くのを見て、僕は重い瞼を支えきれずに目を瞑った。
あれはいつの事だったのだろう。
それからとても長い間寝ていた気がする。
意識が浮き上がるままに、僕は瞼を開いた。
息苦しさはほとんど感じなかったけれど、体が重怠い。起き上がる気力すらなかった。
消毒液の匂いが仄かに漂っているから、ここはきっと病院。何度かお世話になった事のある保健室とは景色が違う。
自分がどうして病院にいるのか分からず、ぼんやりとした頭で考えた。
そうだ、柊さんと髪を切りに行くんだ。今日は? 今はいつ?
やっと記憶が追い付いて、旧体育館倉庫に閉じ込められていたことを思い出した。
外を見れば既に太陽が高く上がっている。閉じ込められた日の次の日の昼ならまだ間に合う。けれどそうじゃないって何となく見当がついた。
どうしよう。
柊さんとの約束を破ってしまった。
柊さんに嫌われてしまう。
もう僕に会いに来てくれなくなる。
柊さんに謝りに行かないと。
いつもより何倍もの重力がかかっているような重い体をなんとか腕をベッドに突っ張って起こした。
すると、目の端に金髪が目に入る。その布団の上に広がる金髪をたどれば、ベッドに突っ伏して寝ている柊さんに行きついた。
「柊さん…?」
手を伸ばして、少し痛んだ毛先に触れてみる。
もしかして、夢だと思っていたのは現実で、柊さんがずっと手を握っていてくれたの?
寝ているのを起こすのは申し訳ない。でも柊さんの顔を見たい。僕の中では葛藤が起こっていた。
「お、起きたな」
病室の入り口から、白衣を着た男の人――多分お医者さんが足音を響かせながら突っ伏して寝る柊さんの頭をガシガシと撫でた。
「あっ、あの、起こさなくても…」
「ん? 柊からおまえさんが起きたら起こすように言われてるんだ。気を使わせて悪いな」
そんなことを言っている間も問答無用で柊さんを揺さぶっている。
「…ん…ぁ?」
「おい、柊。碧が起きてるぞ」
「…あ、碧!?」
僕の名前に反応して柊さんが勢いよく起き上がる。柊さんの俊敏な姿を見たことがなかったから、僕は驚いた。
その勢いとは裏腹に柊さんは僕の頬にそっと触れる。柊さんの指は少し冷たくて、気持ちよかった。
「大丈夫か?」
「…はい」
「そうか…」
「あの…柊さん。ごめんなさい。僕、約束守れなかった…」
「おまえが悪いわけじゃないだろ」
「…怒って、ない…?」
「怒るポイントがどこにある?」
「僕が約束を…」
「だから、碧のせいじゃないだろ」
「でも…僕、柊さんに嫌われて…」
「なんで嫌いになんだよ。おかしいだろ。嫌いになんかなってねーし、怒ってもねー」
「でも…」
「まだ言うか、こいつ。俺が嘘ついたことあるか?」
僕は首を振った。本当に柊さんは僕に嘘をつかないから。僕の目を見てしっかりと話してくれるから。
「髪切りに行くんだろ」
「……はい」
「だから、いっぱい食って、いっぱい寝て早く治せ」
柊さんの拳がコツリと僕のこめかみを叩き、優しく励まされる。柊さんはほんのすこし口元に笑みを浮かべていて、僕は胸がいっぱいになった。それはいつもと変わりない、柊さんの姿だったから。
「…はいッ」
僕が鼻声で返事をすれば、ベッドの端に座っていた柊さんが僕にずり寄って、背中に手を回して僕を引き寄せた。
「この泣き虫」
後頭部をてのひらで撫でられ、僕は柊さんに擦り寄った。心地よい体温、柊さんの香り、全部が僕を落ち着かせてくれる。
これは一体なんていう感覚なんだろう。心がほっこりと温かくて、ずっと引っ付いていたい。
「柊さんはまるでお布団みたい」
「……はぁ…?」
「太陽いっぱい浴びたお布団。あったかくて、気持ちよくて、離したくなくなるんです」
「なら布団でいい。だから、俺から離れるなよ」
「えっ…嬉しい。僕お布団大好きなんです」
柊さんの服にギュッと捕まれば、頭の上からため息が聞こえた。
見上げれば、ニヤニヤと笑いを浮かべた白衣の男性を柊さんが睨みつけている。けれど、特に喧嘩してるわけではないようで、僕が立ち入れないくらい二人の関係は親しそうに見えた。
「天然か?」
「天然っていうか、モノを知らないって言うか。どうやったらこんな風に育つんだか…」
「で、気になってしょうがねぇって? すっかりおまえも落ちてるんだな」
「うるせぇよ」
「はいはい。じゃ、俺はこれで失礼しますよ」
男の人は大袈裟に肩を竦めて見せて、ひらひらと手を振った。
「言っとくが、まだ大丈夫じゃないからな。安静にしてること。後2、3日は退院できないからそのつもりでいろよ」
「わーってる」
柊さんが面倒臭そうに答えると、じゃぁな、と一言発して男の人は去って行った。それを見届けた柊さんは、僕の頭を胸に押し付けるみたいに僕を抱き寄せた。柊さんの腕の中はとっても暖かくて、頭がフワフワとしてくる。どうしよう、苦しいくらいに胸がドキドキする。
「もう、碧に手出させねぇようにしたから、安心しろよ」
「…手?」
「学校での話。絶対痛い思いも怖い思いもさせないから」
「柊さん…」
見上げれば、柊さんの薄めで形のいい唇が降りてきて僕の唇に触れた。少しかさついていて柔らかい。目の前に柊さんの長い睫毛の並ぶ瞼がみえて、僕は瞬きした。
「目ぇ瞑れよ」
少し離れた柊さんが優しく僕に囁いた。僕が瞼を閉じるとまた唇に柔らかくて暖かいものが触れた。その幸せな、心がじんわりと温かくなる感覚に頭の中が融かされていくみたいだった。
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