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七、気持ち良ければ好き
髪を切って服を着替えた後、眼科に行って眼鏡を辞めてコンタクトに変えた。それからは街をブラブラして、家族連れの多い公園の芝生広場でゆっくりと過ごす。視界が広がったせいか人の視線が気になるけれど、柊さんが僕の視界を隠すように座ってくれて、胸を撫で下ろした。
鞄の中から恐る恐るお菓子を入れた箱と紅茶の入った水筒を取り出すと、おしぼりで手を拭いた柊さんが早速お菓子に目を付けて、その中の一つを長い指でつまんだ。
「これ、食ったことない。マフィン?」
「…はい、それ、新しく作ったんです。オレンジの皮を入れてみました」
「ふーん」
一度は駄目にしてしまったけれど、もう一度作り直した。二回目だったから、前回よりもうまくできて、味も良くなっていると思う。
柊さんはいつものように一口サイズに割って口に放り込んだ。食べ方がお上品だ。食べてる姿だけを見れば、不良には見えない。
「んま」
口を閉じたまま言った柊さんの言葉に僕は胸を撫で下ろした。咀嚼を続ける柊さんを見守りながら湯気の立ち昇るコップを手渡すと、柊さんは微笑んだ。最近柊さんの目尻がどんどん下がってきている気がするのだ。ホッとするような笑顔を見せられて、胸のあたりがそわそわして仕方なくなる。
「紅茶にも合うな」
「よかった…」
「作るのどっかで習った?」
「え…あ…はい。母が、作るのが好きで、一緒に作ってたんです」
「へぇ、良いお母さんじゃん」
「はい。僕が小学生の時に亡くなってしまったんですけど」
「…マジか、わりぃ。…じゃあ、親父さんと二人?」
「父はほとんど家に帰ってこなくて、竜ちゃんの家にお世話になってたんです」
なるほどな、と柊さんは相槌を打ちながら、カップを口に運んだ。
「次は俺の世話になれよ」
「? どういうことですか?」
「そのまま。なんかあれば俺を頼れって言うこと」
「…は、はい…」
嬉しい。柊さんがいてくれれば、百人力だ。
「柊さんはどうしてそんなに優しいんですか?」
「あ?」
頬が緩んだまま僕が問えば、柊さんは眉を寄せた。いけないことを聞いたのかとひやりとして、一気に僕の緩んだ頬が緊張する。
「おまえが好きだからに決まってんだろ」
「え…僕のこと好きなんですか? …本当に? 僕、好きって言われたことなくて。それこそ竜ちゃんぐらい——」
「デート中に北條の名前出すんじゃねーよ」
「…す、すみません。でも…デート? 誰とデートしてるんですか?」
「………なぁ、碧。言っとくけど、今俺とおまえはデート中なのな?」
「…柊さんと僕がデート?」
「そ。で、そのデート中に好きって言ってんだから、その意味ぐらい分かれよ」
柊さんとデートしているなんて初めて聞いて、ぼくは首を傾げた。いつ恋人になったのだろう。デートは恋人同志がするものだと竜ちゃんが言っていた。
柊さんは僕のこと好きって言ってくれていて、僕も柊さんが好きだから両想いになるのかもしれない。両想いって言うことは、恋人同士だ。そうするとデートをするのもおかしくはない、と僕の中で結論が出た。
「柊さんと僕って恋人同士だったんですね」
恋人同士って幸せなんだ。いつも一緒にいて、楽しくお話しする。柊さんとそんな関係でいられるなんて嬉しい。どうしても頬が緩んでしまう。
柊さんはしばらく呆けた顔をしていたけれど、わしゃわしゃと自分の髪をかき混ぜ、「あーくそ」と苛立ったような声を上げた。
「……それは、おまえも俺が好きだって受取ってもいいんだよな?」
「はい。もちろん柊さんのことが好きです」
「じゃあ、なんで好き?」
「えっ…だって…二人でひとりエッチしたとき気持ちよくて…」
「…………」
僕が問いに答えたのに、柊さんは真顔になって無言のまま残りのマフィンを口に放り込むと、一気に紅茶も呷った。
お菓子の箱にも蓋をして、片付けを始めてしまう。柊さんの意図が分からないまま片づけを手伝って、お茶セットを鞄にしまった。
鞄を肩にかけて立ち上がれば、柊さんに腕を握られる。
「来いよ。ちゃんと事実を教えてやる」
見たこともないぐらい柊さんの目は鋭くて、怒っているように見えた。強く握られた手が痛かったけれど、声をかけることも憚られるほどに。
嫌われてしまったかもしれない。
そう思えば、僕の気分は奈落の底に落ちていくように沈んでいった。
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