3 / 5
第2話 出会い(九歳)その2
城の中庭は、美しい薔薇園になっている。
元庭師だった王妃の趣味らしいが、色とりどりの薔薇たちは壮観だ。
「あの王妃には興味はないが、趣味は悪くはないんだよな」
好みのご面相とは言い難いが、あの王妃の心遣いに関しては素晴らしいとは思っていた。(この国に入国した時も、色々と面倒を見てくれたしな)
正直、オメガなのが勿体ない、とは少しだけ思った。
容姿も、アルファと言っていい体躯だったし、顔立ちも決して悪くなかった。
精悍な面差しは、優しそうな雰囲気と良い具合に混ざり合って、相手に好印象を与える。
気遣いも抜群であれば、さぞかし重宝されてだろうに。
オメガを卑下する気は無いが、現実問題として、オメガの地位は低い事が多い。
フィオーレでのオメガはかなり日蔭の存在らしく、街を歩いていて、すれ違うオメガたちを見ると、皆どこか影があるように見えた。
ミスターヴではあまりバース性で差別を受けることがないが、やはりヒートによって長期間仕事を休まなければならない事もあり、責任のある仕事には就きにくいのが現実だ。
(多分、一番自由なのはベータだろうな)
アルファは、得るものも多いが、得られない事も多い。
アルファと言う立場から、望んだ相手との婚姻が難しい場合もある。
ベータであれば、子供が一人しかおらず、絶対にその子供が跡継ぎを作らなければいけない場合を除き、特にバース性で反対されることは少ない。男のベータ同士であったとしても、女のベータ同士だったとしても、ある程度の自由は許される。
だが、アルファは違う。
オメガにも言える事だが、アルファもオメガも、子を成すことが重要だとされている。
それゆえ、子を成せない組み合わせは忌避される事が多く、多くの者がどれだけ相手を愛していても、諦めたり、良くて愛人にするしかない場合ばかりだ。そして、その歪んだ幸せなは長くは続かない。それはそうだろう。王族や貴族であれば、複数との婚姻は少なくはないし、まだあり得るだろうが、平民にとっては複数との婚姻などという価値観は存在しない。のだから。しかも、今は貴族階級も一対一を望む傾向があるくらいだ。
(そういえば、フィオーレ王の后はあの方だけだな)
「セオドリック様、ごきげんよう」
薔薇の花に手を伸ばし眺めていると、一人の少女が声をかけてきた。
「ああ、君か」
そう笑顔で応えながら、顔を見て、俺は少女の名前を思い出そうとするが、全く持って思い出せない。
おそらくは自身から声をかけたのだろうその少女は、濃紺のドレスに身を包んでいる。
俺より2、3歳上に見える体躯は、既に丸みを帯びており、女性らしいラインをしていた。顔立ちはまぁ、美しい。金色の巻き毛が美しく、白皙の肌は嫌いではないが、かといって絶対に口説きたい、と言う気持ちにはならない程度だ。
(そんな魅力的な奴は、今までいないが、な)
「今日はおひとりですのね。お父上たちは?」
「父上たちは、フィオーレ王たちとのお話中さ」
俺の内心など知らず、少女はニコニコと機嫌良さそうに俺に身を寄せてきた。
まだ子供なのに、香水をつけているのだろう。花の香りが強く香った。
「では、今日はわたくしと遊んでくださいまし」
色々な子を口説く弊害として、飽き易いのが挙げられる。有象無象がいくら集まっても、意味がある者にはならないため、執着もしなければ、一時の興味以外はすくに失うのである。
周囲の大人は、俺のそんな冷淡な態度を感じ取っているのだろう。できる限り、自身の子を近づけたがらないのだが、幼い子で俺の裏を感じ取れる奴は少ない。
俺も猫を被っているし、子供から見れば、俺は可愛い子が好きなだけの男の子、という認識なのだろう。子供、特に女の子に対する時は、出来る限り道化を演じるに限る。少しくらい馬鹿っぽいほうが、幼い子供には受けが良いらしく、すぐに寄ってきてくれる。
子供で俺の性根がひん曲がっている事に気づいたのは、ゼクスくらいだろう。
とはいえ、親連中も、俺が王子である為に強くは出てこないので、結局は目に見える形では子供を止められないのだが。
「ああ、構わないよ」
断る理由は特にない。
戻ったところで、あの鬱陶しいゼクスと、王や貴族しかいないのだから。
腕を組んでくる少女を振り払う事なく、俺は彼女に身を任せる。
年は少女の方が上だが、俺は結構背が高いため、身長差は殆どない。僅かに彼女が高いくらいだ。
薔薇のアーチを潜りながら、いつも貴族の子たちがお茶会を開いている場所へと歩く。
勿論、普段は城が貴族に解放されているわけではない。今回の俺たちの訪問に合わせて、王族、貴族、名のある商人などが出入りできるように特別になっているだけだ。俺たちが帰れば、この城へ出入りできるものは再び制限されるだろう。
王族と深い交流があるのであれば、訪れる事も出来るだろうが、下級貴族などにとっては、この中庭に入る事さえ、稀有な出来事だった。
少女の横顔を見ながら、そういえば男爵の娘だったな、と思い出して、苦く笑った。
(ああ、俺は本当に性格が悪い)
はしゃぐ少女を見ても、俺の心は冷めるばかりだ。
特にここ数日代わり映えのない風景。少女に薦められるままに席へとつきながら、ふと視線をやると遠くに見慣れない色を見かけた。
(黒色……?)
――夜の闇よりも暗い色を纏った幼い少年が、そこに居た。
全く見かけないわけではないが、黒髪と言うのは珍しい。
その少年の色は、その中でもかなり暗い色をしているように遠目からでも見えた。
思わず、俺はじっとそちらを見てしまった。
遠すぎて顔は見えないが、色白でかなり小さい子供だ。少年と呼ぶにはまだ幼いかもしれない。
「セオドリック様? どうなさったの?」
俺の分のお茶を出しながら、少女が不思議そうに俺の顔を覗いている事に気づき、俺はびくりと身体を震わせた。大分凝視してしまっていたらしい。
「ああ、すまない。その、見かけない少年が居たものだから」
俺が笑顔を浮かべると、少女は仄かに頬を染めて俺の視線の先を見たが、少しの沈黙の後、眉を寄せ、ああ、と少女らしからぬ低い声を出した。
「あれ、ですか。セオドリック様が気になさる相手ではありませんわ。あのような成金の平民の子など」
その声音から、少女があの少年を、正確にはあの少年の一族に対して強い侮蔑の感情を抱いているのだと分かる。
「成金?」
言葉選びから、おそらくは商人なのだろうと推測はできるが、確認のために俺はそう尋ねた。
「あの子供は、アーリー家の次男ですの。セオドリック様もご存知でしょう? 武器商人の一族ですわ。人を殺す道具で成り上がった、恥ずべき一族です」
「ああ、なるほど」
ぎり、と唇を噛み締める様を見て、俺は内心では少女を嘲笑う。
(何もできない甘えた貴族の子供が考える事だな)
争いを美徳だとは思わないが、魔人と戦うのに武器は必須な存在だ。
勿論、人と戦う時にも使用されるが、俺は必要悪であると思っている。世界に平和を、と言うのは大昔からの大願ではあるが、たとえ魔人が駆逐されたとしても、俺はその願いが完全に叶う日が来るとは思えない。
突き詰めれば、守るためには武器が必要なのだ。
この世から争いと言う概念自体が失われない限りは。
「本当は城の中には入ってほしくないのだけれど、忌々しい事にあの一族は陛下に媚びを売っているのですわ。ゼクス様とも上の息子が仲が良いし」
それを聞いて、俺は父上の話を思い出していた。
アーリー商会。
先王の親友であった男が作った、現在では有数の商会として知られており、父上からは懇意にするように、と言われていたのだ。
(なるほどあれがその子供か)
フィオーレではどうか知らないが、ミスターヴでは、所謂成り上がりが好まれる傾向にあった。騎士の国とは言うが、ミスターヴはかなりの実力至上主義者の集まりゆえに、そういう逞しい輩は尊敬される場合が多い。
交流のほとんどなかったフィオーレの民は、おそらくそういう事情は知らないのだろう。この少女も、きっと俺が同意する事を想定していたのだろうが、俺ははぐらかすように笑っただけに留めた。
その後、少女の話を聞きながらも、俺は遠くに見える黒から意識を逸らすことが出来なかった。
ともだちにシェアしよう!