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第3話 出会い(九歳)その3
客室へと戻った俺は、今日見た少年の黒を思い出しながら、夜空を見上げていた。
(あの色は夜よりも深かったな)
食事会の途中でも、少年の事を思い出してしまい、注意力散漫になった俺を母上が訝し気に見ていたが、それでも深く追及はされなかった。
「どうせ、かわいい子の事なのでしょう?」
そうため息交じりに言われ、あながち間違っていないのが母親の女の感の怖い所だ。
遠くで顔立ちなど判別できていない。はっきりと分かるのは黒髪と、白い肌、幼い少年と言う部分だけ。他に分かっているのはアーリー家の子供である事だけである。
(この落ち着かない感じはなんだ? 胸がどきどきするし、わくわくもする)
子供らしい感情に俺は戸惑っていた。
いつも平坦だった心が乱れるのを感じるが、不思議とそれが心地よいのは何故なのか。
落ち着かずため息を吐いたり、部屋の中を歩きだした俺の、様子がおかしい事に気づいた、国から連れて来ていたメイドに、「どうされました?」と聞かれ、俺は珍しくも素直に心の中の気持ちを伝えた。
すると、メイドは驚いた様子で目を瞬かせ、その後優しく笑って言った。
「王子、それはきっと一目惚れです」と。
「おい」
黒髪の少年を見かけた次の日、俺はゼクスに声をかけた。
「……何の用だ」
普段、俺は徹底的にゼクスを避けているので、俺から声をかけるなど青天の霹靂とでも言いたいのだろう。面食らったような表情を浮かべ沈黙し、ややあって不機嫌そうな声が返ってきた。
俺だって、こいつに声などかけたくはなかったが、目的のためには手段は択ばない。
メイドとの会話で、自身の仄かな想いに気づいた俺は、昨日の少女の言葉をすぐに思い出したのだ。
アーリー家と、ゼクスが親しいと。
いくら俺が王子とはいえ、他国の王子である。
しかも、国家間で交流をはじめたとはいえ、まだ浅い交流しかないのだから、不用意な行動を取れば警戒されてしまう。
だから、ゼクスを通すことにしたのだ。
ゼクスはフィオーレの王子である。
加えて、元々アーリー家と親しいのであれば、多少あの少年と交流を持ったところでそれほど不自然ではないだろう。
「という訳だ」
「ふざけるな」
かいつまんで説明した俺の言葉に、ゼクスは被せる様に不快そうな声を出した。
俺を見る視線が、未だかつてなく冷たい。
「貴様をアレクに紹介するなんてお断りだ」
吐き捨てるような言い方が、ゼクスの心情を表している。
まぁ、それはそうだろう。
元々ゼクスと親しかったのであれば、俺の性格が多少歪んでいても、紹介するのを百歩譲って大目に見てくれたかもしれないが、俺とゼクスの仲ははっきり言って不仲である。俺の事を嫌いな上、俺の普段の他の子への態度に気づいているこいつからすれば、大切な民であり、おそらくは友人であるアーリー家の長子の弟を俺に紹介するなんて、あり得ない話だろうから。
「あの子はアレクと言うのか」
俺の嬉しそうな声に、ゼクスが顔を引きつらせた。
失言だったと、思ったのだろう。苦虫を噛み潰した様な表情で視線を逸らす。
俺がゼクスを嫌っていた理由は、単に気が合わない事、そこそこ美形なのが面白くない事、口うるさい事、と言うシンプルな理由だったが、ゼクスが俺に対して抱いている嫌悪感は、おそらくそういうものではない事は俺も分かっていた。
ゼクスは個として俺を嫌っているのではなく、国の王子として俺を警戒しているのだ。
友好国となったとはいえ、ミスターヴはまだこの国に認められているわけではない。
だが、俺が誰彼構わず口説くのは、さすがに不快には思っているだろうが、単純にそれだけならば、ゼクスは俺に関わろうとはしなかっただろう。
ゼクスの俺へのそれらの態度は、ある意味では俺を認めている結果とも言える。
――どうでもいい存在に、人は怒りを向けることは無いのだから。
「貴様は、王族としての自覚が足りすぎる。王族と言うのは、権力は持っていてもそれを普段振るってはならないのだ。それは、いかなる場合でもだ。貴様があの子に惚れる事を私が止める事はできないが、あの子やあの子の親が逆らえないような環境を作る事に、私は関与はしない」
真剣な表情で俺へと告げるゼクスの鋭い目は、俺は嫌いではない事にその時に気づいた。
ゼクスは首を中々縦には振ってくれなかったが、俺は諦めずにしつこく、ゼクスへと話しかけた。
アレクに会いたいと言う気持ちが殆どだったが、ゼクスとの交渉も日を追うごとに楽しくなっていた。
俺の変化に気づいた両親は、戸惑いながらも、その変化を喜んだ。
生き生きとしている、と。
俺はその日を境に、自身の行動を改めた。
誰彼構わず口説いていた行為を辞めて、ゼクスにくっついて回るようにした。
ゼクスは最初は、当然嫌そうな顔をしたが、俺の行動が模範的なものになるのを見て、徐々にではあるが態度を和らげていった。最近では、俺と話すときに視線を逸らすことは無くなったし、眉間の皺も大分消えたように思う。
先入観を捨てると、ゼクスと言う奴は、ある意味ではとても純真な奴だった。
俺からすれば綺麗事だと思っていた事も、ゼクスにとってはそうではなかったのが今では分かる。
食事の席でその事を父上に話すと、「お前たちはまだ子供なのだから当然だろう」と呆れた声が返ってきた。世間の九歳児は、俺みたいな考え方は普通ならしないらしい。
ちなみに、ゼクスのような九歳児もいないと、俺は言ったのだが、母上が、「ゼクス殿はまだ可愛げがあります」と言ってきた。俺が「俺には可愛げがないと言うのですか」と言うと、両親は声をぴたりと揃えて「ない」と断言してきたのが正直不満だったが、覆す言葉が出てこなかったのは、きっとその通りなのだろう、と納得することにした。
そうして過ごす内、アーリー家の長子である、ラインハルトとも、半ば強引に面識を持つことにも成功し、アレクの話を聞くことが出来るようになった時は、俺は嬉しくて生まれて初めて満面の笑みをと言うのを浮かべた。
滞在から3週間。
気づけば俺とゼクス、ラインハルトは常に行動を共にするようになっていた。
「友人と言うのは良いものだな」
俺がそう呟くと、二人は面食らったように顔を見合わせていた。
何が切欠になるか本当に分からないものだが、今や二人は俺の友と呼べるだろう。
そして、ついに。
「お前、可愛いな、名前は?」
アレクを前に、俺はそう尋ねていた。
名前は既に知っているが、アレクから聞きたくて、俺ははやる気持ちを抑えて勤めて冷静に言った。
「アレク」
舌ったらずな声で、アレクがぼそりと呟くのを見て、俺は思わずにやりと笑みを浮かべた。
勿論、その愛らしさにだ。
アレクは、左程美形ではない。
不器量ではないが、所謂どこにでもいるような顔立ちだった。黒と言う色は珍しいが、華やかさはない。ただ、何というのか、心が安らぐような柔らかく上品な雰囲気を纏っているのだ。そして、俺は、アレクの瞳が黒な事にも驚いた。
目まで黒いのは、本当に珍しいからだ。所謂、双黒と言う存在は、異世界からの来訪者には多くいるが、レヴァリアース出身者には数えるほどしかいない。
「お前、気に入った。俺の后にしてやる!」
思わず、俺の口はそう動いていた。
こんなに珍しい色合いのアレクが、万が一にでも誘拐などされては大変だ。今のうちに、保護するべきだ、と思ったからだ。
「きしゃき?」
アレクは、俺の言葉の意味が理解できないのだろう、可愛らしく首を傾げた。
その可愛さに、俺の顔は思わずにやけてしまうが、情けない顔をアレクに見られるのが嫌で、凛々しい表情を作る。アレクの足元に片膝をつくと、アレクの手を取り口づけた。
アレクはどうしたらいいのか分からないと言った様子で、激しく視線を彷徨わせていた。
「俺は、この国の人間じゃないから今は傍にいられないが、大人になったらお前を必ず迎えに行く」
ずっと傍に居たいが、王族であり次期王として、今は傍にいる事はできない。
それに、今の俺には何の力もないのだ。
他の子供より優れているとは言え、それはあくまで子供の中でだけだ。
王族として生まれた以上、逃げることの出来ない事がある。たとえ、逃げようとしても、周囲は決して俺は逃がしはしないだろう。
ゼクスたちと親しくなる中で、俺は自身を改めて客観的に考えてみるようになっていた。
あれだけ今まで手当たり次第だった俺だったが、アレクと出会って、自身の今までの軽薄な行為が恥ずかしくなった。だから、両親にアレクの事を話して、これからはアレク一筋にすると、俺は断言したのだが、両親から返ってきた言葉は少し俺の心を傷つけるものだった。
――アレク、それは難しい話だわ。貴方は将来、国を背負う王となる。貴方は子孫を残さなくてはならない。あの子がオメガなら、それは可能でしょう。けれど、アーリーの一族は今まで生まれた子すべてがアルファ。全く可能性がないという訳ではないけれど、もしもあの子がアルファやベータだったら、貴方は他にも后を迎えなければならないの。だから、貴方があの子だけにその身を捧げる事はできません。私は王妃として、貴方にその愚かな行動を取らせるわけにはいきません。
母上は、諭すように俺に言った。
母親としては応援してあげたいけれどと、悲しそうに微笑むのを見て、俺は、巷であるような、純愛の物語の登場人物にはなれない事を理解した。
「だから、お前がひと時の恋を誰かにするのは許すが、俺が迎えに行くまで誰のものにならないでほしい。夫は俺だけだ。性欲的に俺もお前を迎えるまでは、お前以外と関係を持つだろうが、お前を迎えたらお前だけにする」
自分で言っていて、正直な所苦しい口説き文句ではあるのは自覚していた。
幼いアレクは意味が理解できないだろうが、ある程度大きな相手であれば、絶対に引くし顔を顰めるだろう。実際、アレクの後ろに控えていた使用人の少女が、顔を引きつらせていたのを見て、悲しいような情けないような複雑な気分になった。
けれど、アレクはそんな俺をじっと見つめてくれる。潤んだ瞳が泣きそうだ、と言うのは俺の都合の良い妄想だろう。
俺は、そっとアレクを抱き寄せて、頬へと口づける。
「俺の名前は、セオドリックだ。よろしく、アレク」
これが、俺とアレクの最初の出会いだった。
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