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第3話

 深夜。帰宅した辰巳は自室のテーブルの上に箱がひとつ、ぽつんと置かれているのを発見した。  それは昨夜、辰巳がフレデリックに投げ渡した箱だ。  ――まあ、そうだよな。  単純に、そう思った。  自分を無理矢理犯した相手から渡されたものなど、普通は置いていくだろう。  後悔はしていなかったし、自分がした事を考えれば当然の結果である。  ――二度と会う事もねぇだろうな。  あの後、辰巳はフレデリックとは一言も会話をしていなかった。正確には、出来なかったのだが。  朝、廊下から掛かる声で起きた辰巳はそのまま急用で家を出ることになってしまった。その後何やかんやと仕事をしていたら、帰宅したのが今になったという訳だ。  あるいはフレデリックもその時に起きていたかもしれないが、今となってはどうでもいい。  一応、仕事で出掛ける旨をメールし、若い衆にフレデリックが起きたら横浜まで送るように言いつけて家を出たのだが、返信はない。  まあいいか。と、口の中で小さく呟いて、辰巳は風呂と遅い食事を済ませる為に部屋を出た。  自室へと戻ったのは、一時間ほど経ってからである。  定位置の座椅子に胡坐をかいて、ぐるりと部屋を見渡した。  見慣れた和室がやけに広く感じる気がする。 『正直、こんなに物がない部屋を見るのは初めてだよ』  昨夜、フレデリックが言った言葉を思い出す。  確かに、言われてみれば何もない。  それはまるで、自分の心の中と同じだと辰巳は思った。  何かが入り込もうとすれば、排除したくなる。  自分の近くにいても、面倒はあっても得する事は何もない。そう、分かっているからこそ他人を遠ざける。  ヤクザなどという家業をしていれば、大小あれどトラブルが起きる事など日常茶飯事だ。巻き込まれたいと思う人間もいまいと、そう思う。  それに、辰巳からしてみればそれは、弱点ともなり得る。  現に辰巳の母親は、ヤクザ同士の抗争に巻き込まれて命を落としていた。  どれだけ愛しているだの好きだの言ったところで、大事なものは奪われる世界なのだと、辰巳は思っている。  だったら、最初からそんなものを作らなければいい。  悲しむのも、面倒なのも、辰巳は嫌いだ。  そう思えば、フレデリックが離れていく事に何の不満もない。むしろこれで良かったのだと思うべきだった。  遠ざける方法は、些か乱暴だったとは思うが。  控えの若い衆に声をかけて酒を持ってこさせると、辰巳はひとり手酌で飲んだ。この部屋でひとり酒を飲むのはいつもと変わらないはずなのに、どこか寂しい気がする。  柄にもなく感傷にでも浸っているのかと、思わず苦笑が漏れた。傷付く事など何もないというのに。  視界の端に、箱が映る。  いつまでもそこに置いておくのも邪魔かと辰巳は手を伸ばした。  ――あ?  持ち上げて、中身がない事に気付く。てっきりフレデリックが置いて行ったと思っただけに、意外ではあった。  ゴミ箱に放り投げようとして、中でカサッと何かが音をたてるのに気付く。箱の中には、腕時計の代わりに小さなカードが一枚、入っていた。  辰巳の武骨な指がカードを摘み上げて開く。  そこには――。  『時計、ありがとう。』という日本語の下に、  『Je t'aime, Tatsumi. Frederic』と書かれていた。  いくら辰巳がフランス語を理解していなくとも、さすがにジュテームの意味くらいは分かる。  辰巳は思わず、ぐしゃりとカードを握り潰した。  ――あの馬鹿…。  思わず爆笑すれば、何事かと若い衆が駆けつけてきた。 「何事ですか若!」 「あぁん? 何でもねぇよ。さがっとけ」  手の中でくしゃくしゃに丸まったカードを広げ、もう一度皴の上に刻まれた文字を見る。  辰巳はカードを雑に折りたたむと、抜き出した財布の中に挟み込んだ。  空き箱を放り投げると、綺麗な弧を描いてゴミ箱の中へと吸い込まれていった。   ◇   ◆   ◇  月日が経つのは早いもので、辰巳もすでに三十路を目の前に控えていた。  二年前にうっかり告白されて、二度目の逢瀬で無理矢理組み敷くという酷く異常な始め方をしてしまったオトモダチとは、今もなおその交流が続いているから驚きだ。  元々フレデリックが日本にやってくるのは、稀に多くて月に一度、それ以外は三ヵ月に一度のペースである。  二年といっても、会った時間も回数もそう多くはないだろう。  そしてそろそろ前回フレデリックと会ってから三ヵ月が過ぎようとしている今、辰巳には一つだけ不安な事があった。  それは、同業者である岬組と、実家が今現在微妙な関係にあるという事だ。  岬組の若いのが辰巳のシマ内の店でキャストを独占した挙句に揉め事を起こし、乱闘になって辰巳の若い衆が刺された。  というのが簡単なあらましらしい。が、そんな事は辰巳にとってどうでもよかった。  辰巳はまだ跡目を継いだ訳ではないし、刺した刺されたなど日常茶飯事だ。今回の件も、父親の匡成(まさなり)が話し合いで納めると組内では決定している。  だが、岬組には岬龍一(みさきりゅういち)という若頭がいる。言うなれば辰巳と同じような立場にいる男だ。  ――本家に背いて大事にするとは思えねぇが…。  辰巳よりも幾つか年上の龍一は、事あるごとに辰巳に絡んでくる。  そして厄介なのは、その出世欲。跡目を早く継ぎたくて仕方がないのだろうが、何かと絡まれるのが同じような立場の辰巳なのである。  ――めんどくせぇ。  このところシマ内で岬の若いのがよくうろついているという話も辰巳の耳に入っていた。  辰巳に定期的に会っている相手がいるという情報は、これといって隠してはいない。恐らく、龍一の耳にも入っているだろう。  だからといって、そう大事になる事もないかと、どこかしら辰巳は楽観していた。  何より、フレデリックと酒を飲む時間が、心地良いのもある。  結局、僅かな不安を残しつつも、辰巳はフレデリックの来日に合わせて時間を空けたのである。   ◇   ◆   ◇  辰巳の知り合いが経営しているという個室の店は、今では二人で酒を飲むのに行きつけとなっていた。辰巳は、フレデリックを目立つと言う。フレデリックからしてみれば、たいして変わりはないと思うのだが。  そもそも、本国とは違い日本では自分も辰巳も大柄な部類だ。小柄な日本人の中にあっては、目立ってしまうのは仕方がない。  フレデリックは、何気なく隣に座る辰巳を見た。  手に握る小さなお猪口に辰巳の視線が注がれているのは、言わずもがなの事だった。  フレデリックは、冷酒が苦手だ。けれど、同じ日本酒でも熱燗は飲めるし、好きだ。 「ホントお前、物好きだよなぁ」 「そういう辰巳こそ、そろそろ考えてくれてもいいと思うんだけどな」 「そうじゃねぇよ、阿呆」  物好きだと言う辰巳の言葉が、フレデリックの持っているお猪口を指しているのは理解している。けれど、素直に答えるのも面白くないのでフレデリックは敢えて辰巳を煽るような言葉を選んだ。  案の定渋い顔をする辰巳に、フレデリックは惚けてみせる。 「え?」 「俺が言ってんのは日本酒だっつーの」 「ああこれ? アツカンだよね。美味しいね」  辰巳の口から馬鹿だの阿呆だの罵りの言葉を向けられるのは、正直嫌いじゃない。  別にマゾヒストという訳ではない。素直な気持ちを裏表なく真っ直ぐ向けてくる辰巳が、フレデリックは好きなのだ。もちろん、顔も躰も好みではあるのだが。  その点に於いて、フレデリックの直感は当たっていた。  暗い路地の入口で初めて見た瞬間に、この男は信じられると思った。そして、そのすべてが欲しい、と。 「お前の好みがわかんねぇわ」 「僕の好み? 辰巳みたいな男だよ」 「そうじゃねえって言ってんだろぅが。本気で殴るぞお前」  少し、揶揄いすぎてしまったらしい。低められる辰巳の声にフレデリックは内心でぺろりと舌を出した。 「フレッドよ」 「うん?」 「いい加減そういう受け答えは止めねぇか? お前、それわざとだろ」  どうやら、辰巳にはすべてお見通しだったらしい。  仕方がないので白状するかと、フレデリックが口を開いた瞬間、辰巳の上着の中で携帯電話が鳴動した。 「悪ぃ」  辰巳の大きな手が上着を掴み、携帯電話を探りながら個室を出て行ってしまった。  こういう事は、まあよくある。  辰巳の仕事を考えれば仕方のない事だし、そんな事をいちいち気にするほどフレデリックも若くない。  空になったお猪口に手酌で酒を注いで飲んでいると、暫くして辰巳が戻ってきた。その表情は、酷く渋い。 「どうしたんだい? そんな怖い顔をして」 「あー、いや、ちょっと今立て込んでる案件があってな。悪いが今回はこれでお開きだ」 「そっか。仕事じゃあ仕方がないね」  埋め合わせはまた今度すると言いながら伝票を手に出ていく辰巳の背中を、フレデリックは笑顔で見送った。  ひらひらと振っていた手を、ぽとりと落とす。  ――さて、どうしようかな…。  まだ、そんなに酒を飲んでいる訳ではない。もう少し、ここで酒を飲んでいてもいいかと、フレデリックは追加の熱燗を注文した。  届けられた熱燗を注いでいると、ふと右腕に嵌めた時計が目に留まる。  辰巳が、フレデリックにくれた時計だ。  GPSの機能も備えているこの時計を、フレデリックは日本にいる時のみならず、いつでも使っていた。それはきっと、辰巳も知らないだろう。  何もなければ絶対に使わないと約束する辺りが、辰巳らしいと思う。  辰巳は、いつでも真っ直ぐだ。  初めてこの時計を受け取った時と同じように、フレデリックはその文字盤を愛おし気に撫でた。思わず、くすりと笑みが零れる。 『まあ、お前が初めてのオトモダチってこった』  あの晩、辰巳が言った言葉。  友人など無縁だと言い放ったその口で、そんな事を言われて舞い上がらない訳がない。  少しばかりおイタが過ぎたせいでその後辰巳に抱かれることになってしまったが、それはそれで面白いと思った。  さすがに、無理矢理されての流血沙汰は二度と御免ではあるが…。  フレデリックが男に躰をひらいたのは、当然ながら辰巳が初めてだった。  むしろフレデリックを抱くなどと言ってきたのも、辰巳が初めてだ。  口調も然ることながら、辰巳の荒々しさは性生活にも反映されているようだった。  ただの性欲処理だときっぱり言い切った辰巳との躰の関係は、あの後も数度ある。  こちらが従順にしていればそれなりに優しかったし、抵抗すればするだけ押さえつけるように荒々しく組み敷かれた。  だが、性欲処理という言葉の通り、甘さを感じるような行為を辰巳は一切しなかった。  潔いと、表現していいのかは分からない。けれど、優しいとは思う。  辰巳の行為は、相手に変な勘違いをさせる事がない。  辰巳は、嘘を吐く事がない。それは時として自分勝手な振る舞いだったり、言動に現れる事もあるけれど、フレデリックはそのすべてが欲しいのだ。  いつの間にか空になってしまった酒に、フレデリックは追加をしようとしてその手を止めた。  文字盤を見れば、結構な時間が過ぎている。  飲み過ぎという程ではないが、そろそろ夜風に当たるのも悪くない。  ――ひとりで飲むのは、つまらないしね。  すっかり辰巳の連れとして認識されているフレデリックが財布を出せば、その分も含めて辰巳が支払いをしていったと告げられる。  フレデリックは小さく微笑んで店を後にした。  店を出て十分程度経った頃、フレデリックの胸元で携帯が振動した。  液晶が発信者の名前を映し出す。『Kazuoki.T』見間違えるはずもないその文字に、フレデリックは迷わず通話ボタンを押した。 「もしもし」 『あー、フレッドか。今どこにいる。まだ店か?』 「いや、もう出たよ」 『マジかよ。お前、時計持ってるか』  時計という、辰巳の言葉でフレデリックは良くない事が起きているのを理解した。 「持ってる」 『今から店に戻るとしてどれくらい掛かる』 「戻るのは5分もあれば…。何かあったのかい?」 『詳しく話してる時間がない。悪いが今すぐ店に戻ってくれ。迎えに行く』 「わかった」  フレデリックは、すぐさま踵を返した。  怖いとは思わない。ただ、辰巳の負担になりたくないとは思う。もと来た道を店に向って歩いていると、再び携帯が着信を告げた。 「どうしたんだい?」 『何度も悪ぃな。訳あって俺が迎えに出向けねぇんだ。組のモン遣るから、それでこっちへ来てくれないか?』  思ったよりも深刻そうな辰巳の声音は、若干苛立ちを含んでいるようだった。 「トラブル、かな?」 『ああ。巻き込んで悪ぃな…』 「構わないよ。もう店に着くと……」  もう店に着くところだと、そう言おうとしてフレデリックは言葉を切る。ゴリッと自分の腰に当たるものが何であるのかを、フレデリックは即座に理解していた。  ――銃…? 日本は平和だと思ってたんだけどなぁ…。  突然の沈黙に名前を呼ぶ辰巳の声が聞こえたが、フレデリックはそのまま携帯を後ろに立つ人物に見える位置で切ってみせた。  叫び声をあげる程、動揺はしていない。それどころか、一瞬にして思考がクリアになる。  耳元で、楽しそうな声が囁く。 「よく、分かってるじゃねぇか。そのまま大人しく車に乗れ」  腰に銃口を突き付けられたままフレデリックが頷けば、ぐいっと押し出される。  そちらには一台の車が停車していた。十中八九、辰巳の同業者だろう。  車に乗り込んだところで、腰に突きつけられていたものが間違いなく銃口だったことを確認して、フレデリックは小さく安堵の息を吐いた。  勘違いで連れ去られるなど、あってはならない。  外から車内が見えないように濃い色のシールが貼られているワンボックスカーの中で、フレデリックは後ろ手に縛り上げられた。  どうやら銃の扱いは素人でも、縄は使えるようだ。腕を動かしてみてもミシッと音をたてるだけで、抜けられそうにはない。  向けられたままのリボルバーは、撃鉄が起きていなかった。それを確認して、相手が人殺し専門の人間でない事にフレデリックは安心する。  辰巳の言っていた立て込んでいる案件とやらに、どうやら自分は巻き込まれたようだった。  フレデリックがどれだけ日本語を理解できるかを把握していないのか、彼らは情報を隠すという事を知らないらしい。あるいは、ただの馬鹿なのかもしれないが。  目の前で通話する男の言葉で、首謀者がミサキリュウイチという名前であることは分かった。  ただし、首謀者が分かったところでフレデリックがそれを辰巳に伝える手段はないのだが。  フレデリックは意識して周囲の情報を頭に入れるようにしていた。その方が、何も考えずにいるより恐怖を感じなくて済む事を知っているからだ。  ――参ったなぁ…。逃げ出す隙はなさそうだし、これは辰巳に怒られるかな?  相手がどこまで自分の事を把握しているのか分からない以上、フレデリックは沈黙を貫き通すことにした。  別に銃口を突き付けられる事は、そう怖くはない。今は。  フレデリックが車から降ろされたのは、大きな倉庫の前だった。場所は、分からない。  例え車の中から外が見えていたとしても、土地勘のないフレデリックには場所など把握できなかっただろうけれど。  だがきっと、辰巳にはこの場所がどこであるか分かっている。それだけは確実な事だった。 「オラ、さっさと歩けッ」  腰を押されて倉庫の中に入ると、椅子に座るように指示される。  フレデリックは大人しくその指示に従った。 「ふぅん? 随分綺麗な顔した兄さんだなぁ。アンタ、名前は?」  フレデリックが応えずにいると、いきなり顔を数回殴られた。結構、気が短いようだ。  運悪く切れた唇に鉄臭い味が口の中に広がって、フレデリックは顔を顰めた。 「名前はって聞いてんだよ、あぁ? 日本語、喋れんだろぅが」 「フレデリック」 「はぁん。フレデリックねぇ…」  顔を覗き込むようにしてくるこの男が、ミサキリュウイチだろう。 「アンタ、辰巳の若とはどんな関係だ?」 「知人だよ、ただの」 「ただの知人ねぇ。じゃあ、辰巳の野郎にも確かめてみるか。おい、コイツの携帯出せ」  車に乗せられるときに奪われたフレデリックの携帯電話が、岬の手に渡った。  岬が、フレデリックの前で話し始める。  正直、会話の内容には興味がない。どちらにせよ、辰巳は絶対にここへ来るだろう。  GPSなど持たせておいて、あの男が来ないはずがない。そう思えば、フレデリックは結構この状況も悪くないと思えた。  ――さながら捕らわれのお姫様ってところかな?  辰巳は、どんな顔をして助けに来てくれるだろうか。  そう考えるだけで浮足立ってしまいそうなほど楽しい。  辰巳の方から通話を切られたのか、イラついた声をあげて岬はフレデリックの携帯電話を床へ叩きつけた。  無残に飛び散る破片に、フレデリックは内心で溜め息を吐く。  それから数分後。微かな物音が外から聞こえたような気がして、フレデリックは俯いて耳を澄ませる。  けれど、お喋りな連中のせいで倉庫内に声が反響して、それ以上は何も聞き取れなかった。  だが、微かに聞こえた物音が、空耳でなかったことはすぐに証明される事となった。  隠そうともしない足音が響く。 「よう、岬よ。来てやったぞ」 「ハッ、マジで一人で来たのか?本当にテメェは馬鹿だな」 「そうかよ」  聞きなれた辰巳の声にフレデリックが顔をあげれば、一瞬だけ辰巳は目を見開いて真顔に戻る。 「フレッド。大丈夫か?」 「僕は大丈夫だよ」  フレデリックがこくりと頷けば、辰巳の目が安堵したように僅かに眇められた。  自分と辰巳の他に、倉庫内にいるのは岬を含めて四人。先ほど見回りに出た二人が戻ってこないところを見ると、外で辰巳が片付けてきたのだろう。  辰巳はゆっくりとこちらに歩み寄ると、ちょうど中央辺りでその足を止めた。  ナイフを持った男を眺めて、辰巳がせせら笑うように吐き捨てる。 「ったく。たかだか俺一人相手に刃物まで出して、ありがてぇこったな」 「刃物だけだと思うか?」 「さぁな。別に飛び道具だろうが何だろうが知ったこっちゃないが、カタギ人質にした上にそんなもんまで出したとあっちゃ、岬のモンは気が小せぇって事だけは確かだろうよ」 「テメェは本当に減らず口を叩きやがんな」  辰巳の口から発せられる明らかな挑発。それが自分の為であることはすぐに分かった。  フレデリックから、気を逸らそうとしてくれている。  ――男前すぎて惚れ直しそうだよ。 「さて、せっかく来てやったんだ。少し遊んでくれや」 「そんなに遊びたけりゃ、遊んでもらえよ」  言いながらすぐ横に移動してきた岬の手が腰の辺りに伸びて、フレデリックは真顔になった。  辰巳には、三人の男が対峙している。  ――ちょっと、拙いかなぁ。  フレデリックは至極冷静に周りの動きを観察した。  一応、椅子ごとではあるが立ち上がる事は出来る。いざとなれば一発くらいなら躱せるかも知れない。そんな事を考えていると、不意に辰巳が動いた。  ナイフを持った男をひとり足でなぎ倒し、そのままフレデリックに背を向けるようにして立つ男に肘を入れる。吹き飛んだ男が、フレデリックの横をすり抜けて床に倒れた。  ――危ないなぁ、もう。手荒すぎて巻き込まれそうだ。  飛んできた男から視線を戻した時にはもう、もうひとりを背後から辰巳が締め落としていた。鮮やかなものである。  思わず綻びそうになる口許を、フレデリックは凍り付かせた。  視界の端で、岬の手に握られたリボルバーを捉える。後ろに倒れ込もうと腹筋に力を入れたその時だった。  凄まじい破裂音が倉庫内に反響して、すぐ横に鉄の塊が落ちる。その上に滴り落ちる血液に、フレデリックはゆっくりと辰巳を見た。 「これで終いだな」  だらりと降ろされた辰巳の手に握られたオートマチックを見て、フレデリックは小さな溜息を吐いた。  出来る事なら、あまり見たくなかった光景ではある。 「済まなかったな。巻き込んで」  拾い上げたナイフで、躰を抱え込むようにして縄を解かれる。  まるで抱き締められるような体制に、フレデリックは思わず微笑んだ。 「辰巳に助けてもらうのは二度目だね」 「ばぁか。今回は助けたって言わねぇだろ。巻き込んだのは、俺だ」  真顔で言われてしまっては、フレデリックに返す言葉はない。  ようやく動けるようになったフレデリックが立ち上がると、辰巳はすぐ横に蹲っている岬へと視線を向けた。 「このケジメはきっちり着けてもらうぞ。岬」 「バァカ。まだ終わっちゃいねぇんだよカスがッ」  不意に、岬の視線がフレデリックの背後へと向かう。それに気づいたのは、フレデリックと辰巳、同時だった。  振り返ろうとしたフレデリックの躰を、辰巳の腕が抱き込んだかと思うと、そのまま位置を入れ替えられる。  ドンッと、辰巳の躰を通して振動が伝わった。 「ッ―――!!」  辰巳の吐息が、首筋にかかる。次の瞬間、フレデリックの躰を支点にして辰巳の長い脚が男を蹴り倒した。ゴツリと鈍い音がして男が動かなくなると同時に、辰巳の足元に血に濡れたナイフが転がり落ちる。 「辰巳ッ、今止血を…っ」  辰巳の右腰を、両手で思い切り押さえつける。  それでもじわじわとあふれ出る生温かい体液が手を伝い、フレデリックは全身から血の気が引くのを感じた。  辰巳の手が持ち上がり、胸のポケットから携帯電話を取り出す。それを、フレデリックは奪い取った。べったりと辰巳の血で濡れた手が、携帯電話を紅く染める。 「救急車を!」 「駄目だ。わかってんだろ?」 「でも…っ!」  辰巳の大きな手が、フレデリックの手をやんわりと押さえる。  腕の中で、辰巳がいつものように嗤った。 「大丈夫だって。こんくらいで死にゃしねぇよ」  フレデリックはぐっと腹に力を入れると、辰巳に何かあった時に掛けろと言われていた番号をプッシュした。  すぐさま聞こえてくるエンジン音に、フレデリックはすぐ横に落ちているリボルバーを拾い上げて無造作に背中に差し込んだ。  辰巳の躰を持ち上げると、目の前に停車した車に運び込む。  ドアが閉まる間も惜しむように、車は滑り出した。その後部座席で、フレデリックは辰巳の腰を押さえていることしか出来ない。  その無力さが、呪わしかった。  岬の視線がフレデリックの背後に向った時、辰巳の死角を作ったのは誰でもない自分だ。どれ程この身を呪っても呪い足りない。  フレデリックは、ミシッと音をたてて奥歯を噛み締めた。

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