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第2話

 どんな棚作りをしていくか、今月の新刊はなにがあるのか、フェアや特集コーナーを月ごとに考えて普段読まないカップリング、内容に興味を持ってもらうにはどうだろうか――などと、仕事中に話し合いの時間を設けて思案してみる。 「結構、色々と出てきますね」  新刊やレーベルによってのフェアはいいとして、他のやりたいことへの提案に関しては、時間も必要であれば事前準備も当然必要だ。なので、これやりたいから今からやりましょう、というわけにはいかない。そのあたりは、ゆくゆく時間を見つけて実行できたらいいなと、二人の意見でまとまった。 「さて、棚作り覚えていかなくちゃね!」  彼女から基本的な棚作りのノウハウを教えてもらい、逆に高槻は彼女に初心者にも優しく、王道でライトな作品から少しばかり過激でハードルの高そうな作品を数点持ち出して、恥ずかしながらもBLのことについて自分なりに説明していった。  もともと少女漫画を担当していた彼女だったが、高槻の担当ジャンルがBLになったお陰で、彼女自身も担当ジャンルが少女漫画からBLに。  それなのに、彼女は毎日とても楽しそうに仕事をしている。 「そういえば、田中さんはBLに抵抗ないんですか?」  今更な感じもするが、同じ棚を弄る以上、訊いておきたかった。 「私、実は少女漫画よりBLが大好きなんだよね」 「……へ?」  意外な回答が返ってきた。  だからだろうか。以前、高槻がBLについて説明しているときに、彼女の表情が緩んでいたのは。  そう考えると、顔の緩みと今の質問の答えが結びつく。 「担当決めるとき、周りにばれないようにしなきゃと思って、BL隠してたんだよね」 「自分がそうだからって、僕にはばらさせようとするなんて酷いです……!」 「鬼だ、鬼!」と彼女に向かって言いながらも、それは本心ではなかった。彼女に至っては、腹を抱えて笑っている。 「けど、これで下手に隠さなくていいでしょ? それに、好きなBLにも触れるんだから一石二鳥じゃん。私だって、毎日が更に楽しくなっちゃう!」 「自分が楽しいからって……もう、田中さんったら……」  困った笑みを浮かべる高槻だが、別に悪い気はしなかった。  むしろ、打ち明けてくれたことで、高槻も彼女と同じように毎日が楽しくなりそうで仕方がないのだ。  同じ趣向を持った人だとわかれば、BLコーナーの棚作りが盛り上がるだろう。 (これからが楽しみだ)  この日を境に、高槻の中で彼女に対する気持ちが少しずつ変化していった。  彼女と大好きなBLの話ができることに嬉しいと日々感じていた高槻。はじめは仕事場で腐仲間という同士を見つけて嬉しい気持ちが勝っていたが、それは少しずつではあるが、密かに気になる女性へと変化してきた。  彼女は腐男子だからといって馬鹿にはせず、むしろ身近に腐男子がいるということに興味を持ってくれた。  ばれてしまってからは、一体どんな属性が好きなのか、好きな受けと攻めはどういうものか、好きなシチュエーションなど――様々な質問が飛び交った。  腐男子というものは普段隠しているもので、昔に比べれば表立ってBLを好きだという男性は少なからず増えてきていると感じている。  それほど時代は進んだのだ。  時代の流れというのは恐るべし、と言ったところか。  もともと地元で友達と呼べる人はいなかった。上京すればますます友達はおらず、腐仲間も地元にいた頃と変わらず近くにいない。  だから、一番近くにいる彼女の腐仲間としての存在が、高槻にとっては大きかったのだ。仕事のときだけといっても、一緒にいる時間が増えれば増えるほど、色んな気持ち、感情が生まれてくる。  高槻にとって彼女が気になる存在になるのは、そう時間もかからなかった。 「そういえば、――出版のフェアがそろそろはじまりますよね」 「そうなのよ! 対象の本をかき集めておかなきゃだし、その分の棚も作らなきゃだからレイアウトも考えたいし……あ、出版社からポップや告知のポスター届いていると思うから、それもあとで確認しなくちゃね」 「それなら、お昼が終わってから荷物確認してみますね。内容確認してからのほうが、レイアウト考えやすいかもしれませんし」 「それもそうよね。お願いしちゃってもいいかしら」 「はい」 「それに、先にレイアウト考えても、ポップを変なところに付けなきゃいけないってなったら結局やり直しだし、できれば目立つようにしたいよね」 「そうですね」  色んな書店が都内にある中、本店でもあるこの大型書店はBLコーナーもそれなりに充実している。  全国にある、とあるアニメショップと同じくらいには。  時折、サイン会やフェア、連動キャンペーンも開催される。  コミックスフロア奥の一角に、BLコーナーのエリアはひっそりと存在している。腐女子、腐男子の人には手に取りやすいし、特に若い学生よりも、年齢層は大人のほうが多い感じが見られる。  それに、BLコーナーの隣には、近頃は男性でも読む人が増えてきている少女漫画コーナー。なので、別に人の目をこそこそ気にせずとも、奥の一角とはいえど通いやすいのではないだろうか。  ちなみに、BLの新刊だけはコミックス全体の新刊コーナーには置かず、ワンスパン分のBL新刊をレイアウトしてある。 「よっし! 先に腹ごしらえをしますか。腹が減っては戦ができぬ、ってね!」  時計を見れば、タイミングよくお昼の時間をさしていた。 「今日はなに食べるの?」と他愛のない会話をしながら、バックヤードへと二人は向かった。  昼食を摂った二人は、再び作業へと取り掛かる。  彼女は先にフロアに出て、どのスパンを使ってフェアを盛りあげていこうか、BLコーナーの棚を観察している。高槻は、約束通り荷物が届いていないか確認をしていた。  出版社からは事前にフェア用の荷物をお送りしますね、と連絡をもらっていたため、恐らく届いているはずだ。  荷物をひとつ、ひとつ確認しながら中に該当の出版社デザインのロゴが入った封筒と筒を見つけた。宛名を確認すれば、コミックス担当宛だったのと、彼女と高槻の名前が印字されてあったので間違いないだろう。  他にもラノベ担当や各コミックス担当に届いている荷物を持っていってあげようと、バックヤードからフロアへと出た。  それぞれの担当に荷物を届け、最後にBLコーナーへと向かう。  作業台に届いた荷物を置けば、棚の前で唸っている彼女の姿がそこにはあった。 一生懸命考えている姿に、自然と笑みが零れてしまう。  隠すことなく、下手に取り繕うこともなく、好きなことを好きな者同士で触れることができるのは、仕事している中で嬉しいことのひとつだ。 「お疲れさまです。荷物確認したら、届いてましたよ」 「そっか。そしたら、まずは中身確認してから決めようかな」  そう言って、二人で作業台にある荷物の中身を確認した。  フェアとして告知ポスター、ポップが入っているか、後日追加でフェア用の特典と再度ポップを持って書店に伺う旨が手紙と一緒に添えられてあった。 「今回のフェア特典、楽しみにしてるんだよね!」 「あ、やっぱりそうですか? 小冊子ですもんね」 「そうそう! この小冊子のために既刊本買う予定だもの。持っているものばかりだけど、布教本として腐仲間に回そうかなって」 「僕はまだ持っていない既刊本があるので、今回のフェアはタイミングよかったです。田中さんみたいに、布教できる仲間がいないので羨ましいです」  手を動かしながらも、口から出てくる会話は今回開催されるフェアの件。お互い、楽しみにしているとわかれば会話も弾む。 「フェアはじまったら、すぐ買いに行くでしょ?」 「ばれましたか?」 「だって、今回の中身がこれまた……――」  特典内容の話に花を咲かせながら、仕事の時間がBLを補給している次に楽しいなと感じた。  これだから、趣味が合うと嬉しい、楽しい。  好きな人も、趣味が合う人だと一番気楽だ。 (――……好きな、人……)  好き、なのだろうか。彼女を。  だから、心が常にドキドキして舞い上がっているのだろうか。  恋人にするなら、彼女のようにBLの話をしながら楽しい時間を過ごしたいなと思う。 「――……くん、高槻くん!」 「……! ああ、すみませんっ」 「なんだ。てっきり、手にしている告知ポスターに見惚れているかと思ったわよ」 「あ、ああ! 実はそうなんですよ、ははっ……」  胸中で考えていることを、彼女を目の前にして言えないなと、冷や汗をかいた。  慌てながら止めていた手を動かしていく。 「ポスターは、この棚の側面に貼るとして……」 「ポップを飾るのは、レイアウトが決まってからでもいいと思いますよ。あとで追加分も納品すると、手紙にそう書いてありますし」 「それもそうね」 「とりあえず、先に明日発売される新刊のスペースを確保しておかないといけないので、それをやり終えてから再度レイアウト考えるのはどうですか?」  フェアまでにはまだ時間もある。先にやるべきことから片付けようと提案すれば、彼女に苦笑された。どうしたのだろうかと不思議そうな表情を見せれば、彼女は更に困惑した表情を浮かべる。 「……頭の中がフェアのことでいっぱいで……」  ――なるほど。  苦笑するのもわかるし、好きなことのために一生懸命になれるのは楽しい。  それは、高槻自身もよくわかっていることだ。 「別に、誰も責めていないですよ。それだけ、フェアが楽しみってことですよね。仕事としても、個人としても」 「もう、どうして高槻くんは……!」  理解してくれたことが嬉しかったのか、高槻の頭をわしわしと撫でてくる。僕は犬か、と心の中でツッコミを入れつつも、彼女との会話が楽しかった。  こうやって、少しずつ彼女の一面を、仕事を通じて知ることができるのは嬉しい。彼女との繋がりは、ほとんどが仕事でしかないのだから。 「それじゃあ、新刊入荷準備でもしよっか!」 「はい」 「明日ってなに入荷するんだっけ? コミックスよりも小説が多い日だったかな……」 「ええっと、ちょっと待ってください。……あ、そうです。明日は小説のタイトルが多めですね」  発売スケジュールを見ながら、新刊コーナーの棚の前で脚を止める。ワンスパン分の新刊コーナーはコミックスと小説がバランスよく並べてある。 「うーん。準新刊は面展潰して、明日発売される新刊を面展にするかな。数はどのくらい?」 「コミックスが三タイトルに、小説が六タイトルですね。でも、翌日も連続で新刊発売されますけど、恐らく最後の便で明日の新刊と一緒に届くと思いますよ」 「あー、店着日がそれってことは、あのレーベルね」 「さすがです」 「高槻くんだって、本当はわかってたくせに」 「……まあ、ばれますよね。毎月、そのレーベル買ってたら」 「そうそう!」  フロアに響かないよう、小さく笑い合いながら、各タイトルの搬入数を確認。それに応じて場所を空けていく。  昔に比べれば、今ではレーベルは増え、BLを生み出す作家も増えている。もちろん、新刊冊数もそれに比例して増えていく。  また、同人作家が商業デビューするということも増えてきた。 (とはいえ、読み手側だから、その辺の詳しいことはよくわからないけれど)  変わっていないように思えて、変わってきている。  作り手側も、読み手側も。 「年にひとつずつは、新しいレーベルが増えている気がします」 「そうね。それに、電子書籍も増えたりで、ハッピーBL散財よ」  そうなのだ。電子書籍での配信も増え、紙媒体を買わなくても、いつでもどこでも読めるようになった、このご時世。 最近は、紙媒体の新刊と同時に電子書籍の配信もはじまったり、先行で電子配信がはじまるということもある。  高槻自身、どちらかといえば、電子書籍よりも紙媒体が好きだ。  電子書籍は気軽に、いつでも読めるので楽かもしれない。中には、電子書籍でしか読めない神作品もあるだろう。  それに、売り上げや人気作品によっては紙媒体に繋がる可能性もある。周囲よりも遅れることになるが、読めるのであれば待つのも苦ではない。  ただ、データだと、いつ破損するかが不安だ。  電子書籍のサイトによっては、購入した電子書籍は無期限でいつでも読めるタイプもあれば、期限つきの――所謂レンタルタイプもある。端末本体にダウンロードして、仮に端末が故障したとしても、別の端末でサイトにログインすれば今まで購入していた電子書籍を再ダウンロード、閲覧することもできる。  サイトによっては無料会員登録すればマイ本棚、オンライン版トランクルームなどもあるので、本棚をわざわざ購入しなくても便利な世の中になったというものだ。  逆に、紙媒体はデータではないので、手放さない限り手元に残る。好きな本はいつでも読めるように、手の届くところに置いておきたい。  紙媒体の楽しみは中身もそうだが、カバーなどの装丁も楽しみのひとつである。電子書籍では触れることができない、紙媒体での楽しみ。紙の肌触り、質感、デザイン性を手で直接触れることによって楽しむことができるのだ。  ただ難点なのが、紙媒体だとどうしても嵩張ってしまうこと。  下手すれば本棚もすぐに埋まってしまい、新しい本棚を増やすか、整理するか、山のように積み上げるか、最悪部屋の中が本屋敷になる可能性も否めない。  それに、保存の仕方では本が日焼けしてしまうことも、もうひとつの難点な部分でもある。 「その口ぶりだと、田中さん、電子書籍にも手を出してる感じですよね」 「あ、うーん……そんな感じかな。で、でも、頻繁にってわけじゃないよ!」 「そんなに慌てなくてもいいじゃないですか」  くすっと微笑めば、彼女は照れくさそうに頬を染めた。 (ああ、いいな……こういうの)  心をほっこりさせながら、高槻は彼女と明日の準備を済ませたが、これで終わりというわけではない。  閉店後に一時間程度、新刊の準備をするのだ。  印刷会社、出版業者にもよるが、シュリンクされている書籍とされていない書籍が様々だ。シュリンクがされていなければ、当然その作業が必要になる。開店前の空いている時間にもその作業をするが、入荷数によっては閉店後の時間を使って、前もって作業をすることがある。  最近は、メッセージペーパーなどの特典がつく場合もある。  新刊を購入したさい「こちら特典です」と、レジで渡す書店もあれば、新刊と一緒にシュリンクして店頭に並べる書店もある。  書店により特典の付け方は様々だ。 「さ! ある程度空けたし、残りは閉店後だね」 「そうですね」 「それじゃあ、フェアのレイアウト考えましょうか!」  空けたスペースは明日発売の新刊が埋まる。だが、空けたままの状態だと見栄えが悪い。  なので、準新刊で仮面展を作っておく。 「さてさて高槻くん」 「はい?」 「やりますぞー!」 「……田中さん、気合が凄いです」 「そりゃそうよ! フェアのため、BLのため、好きなものにはとことん気合を入れちゃうわよ!」  背景に炎のオーラが見える。  炎というより、むしろ燃えている。  彼女には悪いなと思いつつも、楽しくて口許が緩む。フロアに出ているのもあり、大声で笑えないのが惜しい。  作業台に戻り、フェアの内容を改めて確認する。 「えっと……」  今回のフェアは、対象の新刊と既刊を購入して、その場で番外編が収録されている小冊子をもらおう、というものだ。  棚には元からレーベルごとにまとめられているが、フェアをやるからには華やかにさせたい。目立つようにして、まだ手にしたことのない作品に目を向けてもらい、新しい扉を拓いてもらいたいものだ。  それに、せっかくフェア用のポスターやポップももらったのだ。存分に使ってアピールしたい。  本を並べるだけでも楽しくて好きだが、こうやってフェアや書店ならではのイベントごとも楽しくて好きだ。 「高槻くん」 「はい?」 「だいたいのレイアウトって考えてたりする?」 「まあ、だいたいは。もらったポップの作品は面展にして表紙を見せたいなと思っているので、なるべく目線の高さに合わせてこの辺に……あとでポップが追加されるので、それまで空いている分は他の本で埋めるしかないですけど」 「そうね。四段あるうち中央二段を使ったら丁度よさそうね」 「中央を挟み込むように、上下にはポップ作品を含めたレーベル作品を並べたらいいかなって。それなりに在庫は確保してますし、棚からなくなればストッカーから補充していく形で……」 「うん。それで様子見てみようか。ポスターは棚の側面に飾るし、新刊がある棚なら誰しも通る道だから目に入りやすいでしょ」 「とは言っても、新刊コーナーの隣にあるから、誰でも目にしますよ」 「それもそうね」  フェア楽しみだね、と言う彼女は、本当に嬉しそうで喜びに満ち溢れていた。  それが、表情に出ているからわかりやすい。  お陰で、こちらまで楽しくなってくる。 「早くフェアの開催期間がくるといいですね」  そう言って、高槻は彼女に微笑んだ。

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