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第4話

 二人で築きあげてきたBLコーナーは、高槻ひとりで盛りあげているのが現状だ。  仕事の先輩、相方でもあった彼女がこの書店を退職したのは半年前。あっという間に半年が経ち、新しい年も迎えた。  時間の流れは早いものだ。  フェアやイベントがあるときはひとりでやるにも限界があるので、店長が手伝ってくれたり、同じコミックスフロア担当でも別ジャンルのスタッフをヘルプで手を借りることもあった。  忙しくも、仕事に対してやりがいは毎日感じていた。  特に明日は新刊もなく、残業するような仕事もないので閉店までいることもなく定時で退社することができた。  新刊やフェアなどのイベントがあるときは、ある程度ラスト――閉店までいることにしているが、毎日がイベント、新刊ラッシュというわけでもないので、定時で退社できるときは退社するようにしている。  それに、BLコーナーのメイン担当はあくまで高槻だが、他のスタッフでも対応できる部分はある。在庫検索や問い合わせは各フロア同じ。担当がいれば更に詳しいこともわかるので、そのときは代わることもあるが、基本的なことはみんな一緒。  定時に退社した高槻は、このあとアニメショップに寄って帰ろうと考えながら帰る支度をしていた。  すると、更衣室兼休憩室となっているドアがノックされる。  ドアが開き、姿を現したのは店長だった。 「もしかしなくても、帰ろうとしているところだよね」 「え? そうでしたが……なにかありましたか?」 「うーん、相談があってね。十五分くらい大丈夫かな?」  時計を見れば十八時。アニメショップは職場であるこの書店からそう遠くもなければ、夜二十時まで営業しているため時間には余裕で間に合う。  それに、商品は逃げやしない。  店長に「いいですよ」と伝え、更衣室兼休憩室に続く隣の事務室に移動した。事務処理で使うデスク近くに椅子を移動させて座って待機する。  なにやら見せたい書類があるそうだ。  もしかすると、正社員の話があるのだろうかと予想するも、契約社員での勤務期間はこの春で二年を迎える。入社する会社にもよるのだろうが、この書店での契約社員期間は三年なので正社員の話はまだ先の話のはずだ。  だとしたら、他になにがあるのだろうかと不思議に思う。 「ところで、どんな相談ですか?」 「春に向けて、新しく人を数名増やそうと思っていてね。それに、高槻くんもずっとひとりなのは大変でしょ」 「田中さんの抜けた穴は僕にとって大きかったですけど、今はそれにも慣れてきましたし……」 「うん、そうだね。だけど、ずっとこのままなのもいけないし、正社員を目指しているのであれば次のステップに移ってもいいのかなと思うんだよね」  優しい笑みを浮かべる店長に、次のステップか、と高槻は不安になった。  今までは、彼女が色んなことを高槻に教えてくれた。  教育係として彼女がいない今、果たしてそれを今度は自分にできるのだろうかと悩みはじめる。彼女の代わりに、店長がその場で定期的に面倒を見てくれていたりすることはあった。  ただ、次のステップに移るとしても、どんなことをすればいいのかがわからない。  正直不安はある。けれども、先に決めつけるより、とりあえず話を聞くことにしようと思い、店長の言葉を待った。 「それでね、高槻くんが田中さんに教えてもらったように、今度は高槻くんが新しい子に教える番かなと考えててね」 「僕が新しい子を……」 「うん。言うなれば、新人教育だね。サポートは僕もするし、同じコミックス担当のスタッフも協力してくれるように頼む予定だよ」  店長はデスクの引き出しからファイルを取り出し、挟んである用紙を取り出した。 「採用しようと思っている子なんだけど、高槻くんと一緒にどうかなって考えているんだ。ただ、高槻くんより年上だから、その辺どうだろう? それを踏まえた上で、意見が聞きたいな」  渡された履歴書をまじまじと見つめながら、店長の話に耳を傾ける。  店長の言う通り、年齢は高槻より年上で、三つ違いだ。  証明写真を見る限りでは、アッシュブランで髪を染めてあるのにも関わらず、爽やかな印象が窺えた。 「――正直、僕は人になにかを教えるのが苦手です。説明ベタなのもありますが……でも、今の状態に甘えているのも駄目だと思っています。それでも、……やっぱり不安です」 「そのために、店長の僕やみんながいるでしょ」 「……僕にできるでしょうか」 「できるかできないかは、やってみないとわからないよね」 「そう、ですよね」  正論を述べられ、先程まで先に決めつけるのは――と自分で思っていたはずなのに、自然と決めつけてしまっている。  悪い癖だ。  人に教えることが苦手でも、一緒にやっていくことで原点に戻り、再び得るものがあるのではないだろうかと、別の観点から考えを改める。 「教える」というより、一緒に「学ぶ」ということ。  そうすれば、「新人教育」という枠から外れるのではないだろうか。名目上「新人教育」だが、「一緒に仕事を学ぶ仲間」と考えれば、心なしか気が楽になってくる。 「教えるのが下手なのに、更に年上の人となると余計に心配ですけど、……でも、やってみようかなと思います」 「本当かい?」 「ここで断っても、店長のことですから次考えていますよね」  苦笑しながら言えば、店長は「そうだね」と同じように苦笑した。 「不安はありますが、新しい人と一緒に僕も頑張ります」 「遅かれ早かれ、田中さんがいてもいなくても、いずれはステップアップする。それが、高槻くんにとって今なんだ」 「店長、うまいこと言いますね」 「褒めても、なにもご褒美はないよ」 「あはは」  ふ、と微笑み合いながら、新人教育スケジュールを後日打ち合わせすることにし、その日の話は終了した。  十五分くらいの話が一時間近くとなり、荷物を持って従業員出入り口を出た高槻は、予定通りアニメショップへと向かった。  購入していない新刊をチェックして、それを手にしてレジへと向かう。今となっては、きわどい表紙だろうと躊躇うこともなく、レジへ堂々と持っていける。恥じらいもなくなった。購入している場所がアニメショップという、強い味方だからなのもある。  はじめて一般書店で購入しようとしたとき、欲しいのに手にするのも周囲が気になり買うのを躊躇ってしまった。  だが、最近では一般書店でも特典やフェアをやっているので、逆に買いやすいようになっているのではないだろうか。  現に、高槻が働いている書店でもそうだ。  しかし、アニメショップで購入することが安心できてしまう。  そんなことを思いながらレジを済ませ、買い逃しがないか、もう一度新刊がある平台を覗きこむ。レジへ持っていく前に確認はしていても、ふと忘れていることがあった。なので、もし買い忘れが発覚したら、次に新刊を買うとき一緒に購入しようと、携帯のスケジュールアプリに登録している。  購入したあと、またレジに並ぶという勇気がないからだ。  例え、大好きなBLだろうと、恥ずかしすぎて死ぬ。  堂々と買い忘れたとレジへ持っていけばいいのだが、スタッフに「どんだけ好きなんだろう」と思われ、店内を去ったあとに噂までされていたらどうしようと考えると、更に持っていけない。  被害妄想までしてしまうくらいには、どうかしている自覚はある。  でもそれは、高槻が気にしているほど、意外に周囲は気にしていないことのほうが多い。その場限りのことで思われることはあったとしても、長く続くことはなく、その件は終了してしまうだろう。  高槻は楽しみにしていた戦利品を抱え、アニメショップをあとにした。帰宅したら風呂もご飯も済ませ、家事をしてから就寝前に購入した新刊を読む予定だ。  一日の締めに、大好きなBLを読むのが高槻の中では日課となっている。  新刊でなくてもいい。既刊だろうと、そのとき、これが読みたいと思えば本棚から取り出して読む。特に好きな作品ほど、何度も読み返したくなるが、読み返す回数が少なくても心に突き刺さった作品が恋しくなって読み返すこともある。  そのとき、改めて作品の凄さに感服してしまう。 「……うん。この作品、好きだな。紆余曲折あってこそのハッピーエンド万歳……」  購入した新刊を読みながら、幸福のため息を吐き出す。  コミックスも小説も、あとがきまで隅から隅まで読み込む。特に、コミックスはカバー下にもお楽しみが隠れていたりするので見逃せない。 「小説は休みの日にまとめて読むとして……」  小説は、読みはじめると最後まで一気に読みたくなる。  時間の関係でキリのいいところで読むのを止めてしまっても、続きが気になって仕方がない。  それに、どうしても物語に集中してしまうので、気づけば時間が――ということを何度も経験済みだ。  一度だけあらすじと帯に煽られて、どうしても気になってしまい読み進めたことがあった。  そうしたらどうだ。読み終わった頃には夜が明けていたのだ。読んでいる途中で眠気すらこなかった。  さすがに、その日の仕事は見事ぼろぼろ。  当時、教育係であった彼女に「夜更かしするほど、ナニかあったのかな?」と、ニヤニヤしながら尋問されたほど。 (……田中さんとの会話が懐かしいな)  そんな彼女はもういない。  やっとのことで連絡先を交換したのもあり、現在は近況報告のやり取りをしながら、さり気なくBLに絡めてくる。  真実を告げてくれたときみたいに、忘れた頃に再び冗談で「腐男子なのにノンケなんてもったいないから、ホモになーれ」と、地味に魔法をかけられる。  彼女は、どれだけ魔法をかけるのが好きな人なのだろうか。  思わず口許が綻ぶ。  そんな魔法をかけられて、はいそうですか、と簡単になるわけにもいかない。逆に、その界隈の人に「なに簡単に言ってんだゴルァ」とフルボッコにされそうだ。  ――いや、予想外なところで歓迎されたらどうしよう。 (……って、早まるな僕。だいたい、田中さんが忘れた頃に魔法をかけてくるから悪いんだ)  軽く悪態をつくが、それでも彼女とやり取りするのは楽しい。  本当は、店長に相談された「新人教育」の件で、なにかアドバイスをもらおうかと思ったが、打ちかけていた文章を消した。  彼女のことだ。「自分の思う通りにやればいいのよ」と、言われることが目に見えている。  それに、彼女はそろそろ大事な時期が迫ってきている。  ここで高槻が相談すれば、優しい彼女は一緒に考えて、なにかアドバイスをくれるだろう。ただ、それが無意識にストレスとなり、母胎に影響を与えてしまうようであれば、それは駄目だ。  ストレスと不安要素は与えられない。 「僕は、僕なりに……」  彼女が高槻に教えたように、やり方は違うかもしれないが、一からまた復習するかのように一緒に学んでいきたい。自分の失敗談を交えたり、覚えられないときのアドバイスをしてあげたり、書店の仕事はこんなにも楽しんだよ、と思えるように。  雇用形態関係なく、長く働いてほしい。  履歴書を見る限り、高槻の中では好印象だ。あとは、直接対面してみないとわからない。  相手が高槻より年上だからというより、それ以前に教育係とはいえ、人見知りなところがあるのではじめは挙動不審になりそうだ。  相手に変な人だと思われないかが、逆に心配である。  だが――。 「……まあ、なんとかなるよね」  最終的にはそうなるのだ。  今更考えても、どうあがいても、最初からうまくいくわけはないのだから、慌てず、ゆっくり進めばいい。  一日の締めでもあるBLを読み終えた高槻は、携帯で時間を確認すると、そろそろ就寝する準備をはじめた。

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