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第8話
お腹を満たし、午後からの研修がはじまった。
研修といっても、各フロアの案内と説明、バックヤードの使い方に電話研修だ。
「それでは、フロアマップのプリントとメモ帳、ペンを持ってフロアに出ましょう」
「はい」
「説明しているときにメモしたいことがあればメモしていってください。それと、フロアを説明するときに、いる人だけにでも自己紹介をするので、名前くらいは言ってくださいね」
「わかりました」
今日から梶浦が入社してくることは朝礼でも伝わっているし、数日前からも軽く伝えてはいたので、だいたいみんな把握している。
ただ、社員、アルバイト含め人数が多い分、タイミング悪く伝わっていない人もいる。全員が全員、朝礼から参加しているわけではない。
それにシフト制なので午後出勤、夕方出勤の人もいる。その中で昼礼と夕礼もあるので、実際に挨拶できなくても、そこで名前だけでも伝わっている。
それは、休暇を取っている人にも同じことが言える。
まずは、どこから案内していこうか、担当するコミックスフロアは最後のほうがいいか――などと考えたりもしたが、三階という中途半端にあるコミックスフロアを最後にすると、行ったり来たりになってしまい疲れさせてしまう。
結局、一階から順番に説明していく考えに至り、行きはスタッフが使用する非常階段、戻るときはバックヤードにある搬入メインで使用しているエレベーターで一階へ戻ることにした。
「お客様対応は各フロアがするんですけど、いつどこで声がかかるかもわからないので、各フロアのジャンルがなんなのか、ざっくりでもいいので覚えてくれたら最高だと思います……とは言っても、早見表をあとで渡すので、無理に覚えなくてもいいですよ」
脅しているわけではない。
正社員、契約社員は当たり前のように覚えてないといけないが、アルバイトでも数年働いていれば嫌でも自然と覚えてしまう。ざっくりだった記憶力が、どのフロア、どの場所にある、というところまで把握してしまうのだ。
それに、今はスタッフに声をかけなくても検索機でフロアと棚の場所まで結果を出してくれる優秀なパソコンがある。それを印刷すれば、目的の本まで辿り着くことはできるが、それでもわからなかったり、迷ったりなどとあれば、声をかけてくる客は必ず出てくるのは当然の行動。
「最初は慣れないと思いますけど、いつの間にか覚えていくので焦らなくて大丈夫です。それに、わからなくても僕や他のスタッフに聞いてもらっていいですし」
「普段、漫画しか読まないので実際にこれだけ本のジャンルがあると驚きますね。少しずつ慣れて、覚えていきます」
「うん、それがいいです。無理せず、自分のペースで」
「はい」
一階に飾られてある店内のフロア案内を見ながら、高槻は説明していった。
それからは、レジカウンターにいるスタッフ以外で、邪魔にならないように軽く挨拶していきながら、棚の配置場所を案内していく。現在の配置図と見比べながら案内していくが、更に細かく分類されている部分はカット。
コミックスフロアで例えるならば、棚番号があり、この番号からこの番号までが少年漫画だけど、更にこの中で出版社別、作家順、シリーズ別になっているといった感じだ。
梶浦の担当はBLコーナーではあるが、コミックスフロア配属には変わりないので、別のフロアはいいが自分の配属先フロアくらいは配置場所やちょっとした細かい場所、分類はある程度覚えておいたほうがいい。
記憶力は個人差もあるので、慌てず、ゆっくり、といったところだ。
「一階は総合レジ、サービスカウンター、話題作に雑誌が置いてあります」
「種類豊富ですね」
「特に話題作は、一階に置いてあったほうが手に取ってもらいやすいということで置いています」
配属される三階のコミックスフロアでは、挨拶もそこそこにサービスカウンターにいる同僚たちが「高槻くんの教えどう? どう?」と、興味津々に梶浦へ質問攻めしてくる。
そんな同僚たちに、「優しく、丁寧に教えてくれます!」と、律儀に答えるものだから、高槻はこれ以上余計なことを言われる前に立ち去ろうと、梶浦の背中を無理矢理押してその場をあとにした。
最上階にある五階のフロアまで時間をかけて説明すれば、そのままバックヤードへと移動する。
「バックヤードの使い方ですが、簡単に言えば在庫置き場です。あとは、フロアで作業できないことをここでやったりですね」
「へー……そうなんですね」
「コミックスフロアなんて、新刊発売が集中すると店着日にこのバックヤードが大変なことになります。ちなみに、書籍はそこにあるエレベーターを使って、一階から各フロアへと搬入します」
色んな書籍を取り扱っているこの書店では、毎日なにかしら入荷されてくるのが当たり前。怒涛の発売ラッシュになると、店着日といって一気に新刊が入荷されてくる。
すでに店頭に並べたいのは山々だが、書籍関連はだいたいが決められている発売日に店頭へ並べていることが多い。
ただ、例外もあり、発売日前に店頭に並ぶケースもある。
他に新刊以外でも、人気のある書籍だと新刊入荷時にある程度発注はかけておいても完売してしまうことが多々ある。そんなときは追加発注するため、常になにかしら入荷があるのだ。
「バックヤードは、実際使うときになったら説明しますね。今のことは、ざっくりとだけ覚えてくれればいいので」
「わかりました」
バックヤードにあるエレベーターを使い、一階へと戻る。一階のバックヤードに到着すれば、そのまま事務室へと向かった。
時間を確認すると、時計の針は十五時近くを差していた。
フロアを一階ずつ説明するとなると、時間はあっという間だ。
高槻の拙い説明に、梶浦は少しでも理解してくれただろうかと少なからず不安は出てくる。
これだから人になにかを教えるのは苦手なのだ。言い回しも下手であれば、言葉を選ぶのも苦手。頭の中で考えながら言うものだから、話が前後してしまうこともある。言い終わったあと、思い出したかのように付け足すことも――いや、それは別にいいのだ。
こうすればよかった、ああすればよかった、なんて、今後、嫌でも沢山出てくる。
それは、現に今でもそうだから。
しかし、説明の仕方云々より、きちんと相手に伝わっていなければ駄目なのだ。
「えっと、今度は十五時から電話研修をするので、その間、休憩にします。一階から五階まで疲れましたよね。リフレッシュしましょう」
「はい! 高槻さんもお疲れさまです」
梶浦はエプロンを外して机の上に置くと、事務室を出ていった。煙草は吸わないと言っていたので、恐らくトイレだろう。
高槻は隣の更衣室兼休憩室へ行き、冷蔵庫からペットボトルを取り出し、風呂あがりのように腰に手を当て、一気に喉へと流し込んだ。
はぁ、と口からペットボトルが離れると共に、吐息が漏れる。
(今日が終わったら、自分へのご褒美にBL本を買って帰ろう)
慣れない新人教育をいっぱい、いっぱいになりながら奮闘している。とはいえ、まだ今日が終わったわけではないので、奮闘したもなにも早すぎる。
「高槻さーん、ここですか?」
事務室と更衣室兼休憩室を繋ぐドアが、ノックと同時に開いた。
開いた隙間から顔を覗かせ、高槻の姿を確認するや否や、梶浦の表情が柔らかくなった。
(年齢のわりに大きな子供……いや、大きな犬、みたい。人懐っこいラブラドールレトリバー、みたいな……)
そう考えると、高槻より三つ年上で、爽やかでかっこいい梶浦が可愛く見えてしまう。わんこ属性が垣間見える、と勝手な妄想を膨らませながら、高槻は梶浦に声をかけた。
「十五時まであと五分くらいなので、まだゆっくりしていて大丈夫ですよ」
「それなら、俺もこっちで一緒に休憩してもいいですか?」
「いいですかもなにも、今日からスタッフの一員なんですから、気楽にしてもらっていいんですよ」
「でも、正直なところ、初日って変に構えちゃうんですよね」
困った笑みを浮かべる梶浦の意外な一面に、高槻は目を丸くした。
「梶浦さんでも、そんなこと思うんですね」
いくらコミュニケーション能力が高く、社交性があるといっても、梶浦も普通の人間なのだ。
なんだか安心した。
(でも、こういうところも卑怯だよなあ……)
そつなくこなしそうだと見せかけて、意外な一面を見せられると、驚くのと同時に好印象が更に増す。
「梶浦さんなら、すぐに場の雰囲気に慣れますよ」
「そうですか?」
「はい。それに、梶浦さん人懐っこいので誰とでも打ち解けそうじゃないですか。……なんて、僕の勝手な想像なんですけどね。現に初対面の僕にもぐいぐい来たわけですし」
「あれは……」
「……あれは? あ、話の途中ですけど、そろそろ時間ですね。隣の事務室に戻りましょう」
言いかけた梶浦の言葉が気になりつつも、時間のこともあり途中で会話を止めてしまった。
――あれは……。
一体、梶浦はなにを言いたかったのだろうか。
そんなことを頭の片隅で思いながら、高槻は次の電話研修の準備をしながら考えていた。
電話研修を終えて時間を確認すれば、まだ十七時手前。
電話研修はフロー通りに流れを説明し、簡単にロープレをしただけ。実際には明日からだが、実践する前に再度ロープレを含めた復習は行う予定だ。
先に電話研修をしておけば、各フロアへの取り次ぎをすることで、ジャンルなども覚えやすい。
それに、万が一、高槻が不在のときのことも考え、BL関連で対応できるようにと考えた結果が電話研修なのだ。
棚作りなどの業務はあとから覚えても遅くはない。
「時間が余ってしまったので、十八時までに質問タイムにしましょうか。トイレは大丈夫ですか?」
「平気です」
「それなら、このまま続けますね。途中で行きたくなったら、遠慮せず言ってください」
「わかりました」
そこから空いた時間を有効に使い、質問タイムがはじまった。
研修を受けただけで、フロアに出て実際に業務という業務をしてきていない梶浦は、「やっぱり実際にやってみないとわからないですね」と、高槻が予想していた通りの回答を告げた。
それもそうだ。まだなにもしていないのに、不明な点が出てくるほうが難しい。
質問タイムの時間を取ったのはよかったものの、あまり意味をなさない時間になってしまった。
電話研修に対しても、基本的な流れやよくある問い合わせの例題を教えただけ。いくら基本的な流れのものが多くても、電話対応にも色んなパターンがある。
必ずしも、ワンパターンというわけではない。
「確かに……実際やってみないとって感じですよね」
「頭では理解できるんですけど、実際にやるのとでは印象が違うと思うんですよね。高槻さんはどうでした?」
「あー……僕も、梶浦さんと同じですね。実際にやってみないと結びつかないというかなんというか……」
そうなると質問タイムもすぐに終わってしまう。どうしたものかと思考を巡らせた高槻は、質問タイムを切り上げ、自身が入社したときのことを話しだした。
「話は変わるんですけど、僕は人と話すことに少し苦手意識があります。仕事だから、と割り切ってはいますが、人見知りのせいからきているのもありますね」
「高槻さんが人見知りなのって違いますよ! 人見知りって言うわりには、よく話してくれますし!」
「今は、ですよね。だって、初対面したときの数時間前を思い出してください。あんなに固まって、どもって……」
今思い返すと、恥ずかしくなってくる。
あんな姿を同僚たちが見れば、全員が高槻を弄ってくるに違いない。普段、適度にあしらっても自然と構ってくる同僚のことだ。
すると、梶浦も数時間前のことを思い出したのか、小さく笑いだした。すみません、と言いつつ、まだ笑う梶浦に、ますます高槻は恥ずかしくなった。
「あのときの高槻さん、今にも食べられそうっていう表情してましたね。俺の身長が高いせいで」
「うっ……」
「でも、俺を見上げてくる姿、可愛らしかったですよ」
「か、可愛くなんてないです! ……悲しくなるのであまり言いたくはないですけど、僕は成人男性の平均身長よりも低いんです。家族の中でも一番低いですし……」
男のプライドなんてぼろぼろだ。
「うーん……俺は、小動物みたいで可愛いと思いますけど」
可愛い――と、二度も言われてしまった。
もし高槻自身が女性であれば、一発で惚れてしまっただろう。
さらりと言いのけてくる梶浦が羨ましいと思う反面、これでも「ゲイ」なのだから勿体ない気がした。
(いや、勿体なくはないか……ゲイ界隈でも人気者なのは間違いなさそうだし、むしろ取り合いになりそう……ひえっ)
想像しただけで身震いしそうだ。
BL作品を読んで雰囲気は掴めているが、実際における同性愛事情は予想がつかない。BL作品と似たようなことがあるかもしれない。真逆も然り。
だが、それも人それぞれ。
その人たちの恋愛にもよるだろう。
(……じゃなくて! 僕は! 今、研修中!)
ありとあらゆる考えのお陰で、現実逃避してしまった。
己にツッコミを入れて、高槻は現実に戻ってくる。
梶浦といるとどうもリズムが崩れてしまう、と人のせいにしてはいけないが、実際に崩れているのは事実。
脳を研修モードに戻して、今日のことを振り返りはじめた。
「初日なので、特別なにかを感じたことはないかもしれないんですけど、感想というか思ったことはありませんか?」
「そうですね……」
今日のことを振り返りながら考えているのだろう。
考えた次には、口を開いて話してくれた。
客として何度か来たこのとある書店で働くということは、今まで考えもしなかったと言う。きっかけを作ってくれたと言っても過言ではない、SNSの呟き。これを目にしなかったら、今この書店には入社していなかっただろうと梶浦は話す。
梶浦にとっては、小さなきっかけだったかもしれない。
そんな大袈裟な、と高槻は思っても、梶浦には絶好の転機だったのだ。
「それに、こんなにも可愛らしい小動物みたいな高槻さんとも出会えましたし」
「なっ……!」
ふんわりと優しい笑みを零しながら、照れくさくなるようなことを平気で言葉にしてくる。
しかも、「可愛い」の次に「小動物」まで、二度も言われてしまった。
常日頃、日常会話でも出てこないような言葉に、そういうことを言われ慣れていない言葉に、むしろそのような言葉には縁もないだけに、高槻は唇をわなわなとさせて動揺した。
これが計算なのか、天然なのかはわからない。
だが、自然と言葉にしてくる梶浦の様子からして、これが素なのだろう。
(なんだろう……梶浦さんって、色んな属性が隠されてそうで怖いんだけど!)
思うべきところはそこではない。
再び現実逃避するところではあるが、これはもう梶浦が妄想の餌すぎて困る。
このまま、彼のペースに持っていかれないよう、なんとか退社する十八時まで高槻は持ち堪えた。
初日は早番の時間帯に合わせているため、梶浦の退社時間は十八時までだ。片づけと着替えが終わるのを事務室で待っていた高槻は、明日以降のシフトを聞きそびれたのを思い出した。
スタートの時点でインパクトがありすぎた。
のちに冷静になれたものの、梶浦への妄想だったり、梶浦による爆弾投下だったりと、今日だけで色々と情報過多だ。
だからといえ、そのせいにしてはいけないが、とても重要なことを忘れるところであった。
今後の働き方に関わることであり、これから一緒にBLコーナーを盛りあげていく相方なのだ。
更衣室兼休憩室から出てきた梶浦に、高槻は声をかけた。
「梶浦さん、今日はお疲れさまでした。ところで、大変申し訳ないんですが、僕、シフトのことすっかり忘れていて……もう少し、時間大丈夫ですか?」
「あ、そういえばシフトの話、一切出てきませんでしたね」
「ご、ごめんなさい。すっぽり抜けていました……」
「高槻さんでもそういうことあるんですね」
しっかりしてそうなのに、と言う梶浦に、高槻は頭を軽く振って「ドジばかりですよ」と、困った笑みを浮かべた。
すると、それでも高槻さんらしいです、と返してくる梶浦に高槻は目を丸くした。
(高槻さんらしいってなに? まだ初日で、初対面で……僕のなにを感じたんだろう)
今日の研修で、梶浦が高槻に対してなにを感じたのか不明だが、言われるたび頬に熱が集まるのは、梶浦のストレートな発言のせいだろう。
やはり、梶浦のペースに呑まれつつある。
そんなことを思いながら、高槻は話を続けた。
「こ、これからの勤務のことですが、一ヶ月ごとのシフトを提出してもらいます。なので、今月でこの曜日、日にちで出勤できない日はありますか?」
「ん~……今のところ特にないので、高槻さんの出勤に合わせたら駄目ですか?」
「え? あ、か、梶浦さんがそれでいいのであれば、シフト組みますけど……本当にそれでいいんですか?」
「はい。それに、そのほうが色々と覚えやすいですし、知ることもできるので。もし、急な用事が出てしまったときは事前に相談させてください」
「わかりました。僕、しばらく早番なので早番で組みますね。月末には来月のシフト提出をお願いします。そのときになったらまた声をかけますね」
「お願いします」
「それと、よっぽどのことがない限り残業はありませんが、もしかしたら新刊発売が集中したときにお願いすることがあるかもしれないです。そのときは協力できる範囲でいいので、お願いします」
「わかりました」
シフトのことを話していると、欠勤遅刻の連絡先すらも教えていないことを思い出した。
本当に、この先大丈夫だろうかと、今日の反省をする前に不安になってきた。
人間誰しも間違いはつきものだ。
完璧な人間なんていない。
「……なんか、本当しっかりしてなくてごめんなさい。えっと、今から教えるので登録してもらってもいいですか? それともメモに書いて渡しますのでっ……!」
「あ、すぐに登録するので口頭で言ってくれて大丈夫ですよ」
次から次へと教えていないことが出てくると、変に焦ってしまう。
これでは、初対面で会ったときに戻ったみたいだ。
慌てなくていいですよ、と優しく声をかける梶浦に涙ぐみそうになる。
ここまで弱い人間じゃないはずなのに、冷静になったと見せかけて本当はまだ緊張していたのだろう。
身体が勝手に焦っていると思うと、恥ずかしい。
初めてやる新人研修がうまくいくなんて思ってはいない。
それは、高槻自身もわかりきっていたこと。なんとかなる精神で、ゆっくり自分なりに進めばいいと思っていたはずなのに。
結局、緊張して焦って――これでは、なんだか情けなさすぎて悔しい。
「高槻さん」
「は、はい!」
「俺は、高槻さんのペースでいいと思いますよ。慌てず、焦らず、ゆっくり……高槻さんの百面相は見ていて微笑ましいですけど」
言い終わるのと同時に、梶浦の大きな手が高槻の上に乗せられた。
ゆっくり頭を撫でられ、梶浦は言葉を続ける。
「俺にも言ってくれたじゃないですか。フロア説明のときに。無理せず自分のペースでって……それと同じですよ」
「……梶浦さん」
「それに高槻さん、俺と一緒になって、初心に戻ったつもりで学んでいくとも言ってたじゃないですか。失敗して学ぶこともあります。俺を研修する立場だから、そう言った手前でも、肩に力が入ってしまっただけですよ」
優しい手つきで撫でられ、優しい言葉をかけられ、涙が零れそうになる。自分ができないからといって、人前で泣くなんて同情を誘っているようなものじゃないかと思っても、こんなに優しくされてしまっては決壊してしまう。
「俺の前でなら、失敗してもいいんです。あ、いえ、本当は高槻さん自身、失敗は駄目と思っているかと思いますけど……でも、人に教えるのが苦手だと言っていた高槻さんは頑張っています。俺に丁寧に教えてくれる。偉そうに自信を持ってください、とは言えませんけど、失敗しても高槻さんには仲間がいます。俺も、そのうちのひとりになりたいです。……だから、俺と一緒に頑張りましょう」
「……っ」
「大丈夫ですよ。悔しがってでも、頑張ろうともがいている高槻さん、俺は素敵だなと思います」
くしゃ、と髪の毛を乱すように、ひと撫でし、手が離れていく。
撫でられた梶浦の手は温かく、励ましの言葉を投げかけてくれた声色さえも優しくて、高槻はしばらく顔を俯かせることしかできなかった。
肩が震えていることに気づいた梶浦は、なにも言わず、離した手を再び高槻の頭に乗せて、優しく撫でた。
「……高槻さんは、頑張り屋さんですね」
泣いていることに、梶浦はなにも言わない。
なにも言わず、そっと頭を撫でているだけ。
正直、初日でこんなことになるとは思いもしなかった。
無意識なのかもしれないが、予想以上に肩に力が入り、己を追い込んでいたことに関してなにも言えない気持ちになった。
そんな高槻を、嫌な気持ちも持たずに優しく接してくれた梶浦。
ここは梶浦の優しさに甘えて、明日から気持ちを切り替えて、肩の力を抜いて、梶浦と一緒に頑張っていきたいと胸の内で感じた。
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