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第10話
十八時に仕事を終わらせた高槻と梶浦は、従業員出入り口を出た外で待ち合わせをすることにした。
先に出た梶浦をあとに、どうしてこうなってしまったのだろうかと思いながら身支度を済ませる。
取って食いはしない、と言っても、そういう話ではない。
それに、決して梶浦のことをゲイだということを忘れていたわけでもない。
ただ、可愛いからと言って、冗談でも「俺と恋愛してみませんか」は、まずないだろう。
要するに、「恋人になりませんか」と、言っているも同然ではないか。
(おかしい……おかしすぎる……)
とんでもないほど話が飛躍しすぎて、実際まだ驚いている。
だいたい、梶浦と生きる世界が違う。どこにでもいるような腐男子かつ平凡な自分が、ゲイであろうとかっこいい梶浦に見合うはずがない。色々と高物件である梶浦の隣に、恋人として立つには見劣りするに違いない。
そういうことは、空想のBLだけで十分だ。
ゲイと腐男子。
契約社員とアルバイト。
それだけで十分ではないか。
それでも梶浦は引くことはなく、話をしませんか、と逃がすつもりはないようだ。
でも、それは決して強引ではなく、紳士に対応してくる。
いい人だとわかってはいても、逆にそれが怖いものである。
これから、どんな方向に転がるかもわからないのに、思わず寄りたいところがあるからと、のんきなことを言って梶浦を誘ってしまったことには、今となってはとても後悔している。
――ここは腹を括るしかない!
どうせ梶浦には、高槻がBLを好きなことはばれているのだ。
その手の店に足を運んでも、なんら問題はないだろう。
(にしても、さっきより心臓が煩い)
BLを読んでいるときに萌えを感じるような胸の高鳴りではなく、変な緊張感で心音が早鐘している感じだ。
「……って、待たせてるから早くしないと!」
荷物を持ち、慌てて従業員出入り口へと向かう。外へ出ると、携帯を弄って待っている梶浦の姿。高槻の存在に気づき携帯を仕舞うと、表情を綻ばせ近づいてきた。
まるで、ご主人様が帰ってくるのを大人しく待っていた犬みたいに――心の中でそんな風に思いながらも、「すみません、待たせてしまいました」と謝った。
「そんなに待っていませんよ。それじゃあ、先に高槻さんの用事から済ませますか」
「あ……本当に一緒に行きますか? 僕から言った手前、こんなこと言うのもあれですが」
「いいですよ。それに、高槻さんがどこでなにを買うのか興味があるので」
どこでなにを買うか。
これからBLを買いに行くんです、と嬉しそうに言うことはできない。そして、これから向かう先がアニメショップだなんて、もっと言えないでいた。
緊張と戦いながら他愛のない会話に相槌を打つも、正直頭に話の内容が入ってこない。その状態のまま、お世話になっているアニメショップへと辿り着いてしまう。
チラッと、隣に立っている梶浦を見上げれば、高い建物を見上げながら口が開きっぱなしになっている横顔が目に映った。
そんな間抜け面でさえ、不覚ながらかっこいいなと思ってしまったのは内緒だ。
「梶浦さん、こういう場所に来るのはじめてですか? 来たことも、お店の名前も聞いたことなかったりします?」
「あ、いえ。存在は知っていますし、店の前を通り過ぎたこともありますが、中に入るのははじめてです」
「梶浦さんがコミックスを買うときは、こういうアニメショップじゃなくて、僕たちが働いているような一般書店ですか?」
「俺、見た目がこんな感じなので、買うときはほとんど通販利用しちゃうんです。それに、少女漫画をよく読むので」
言われてみれば、初日の休憩時にそんなことを言っていたなと思い出した。
「実際買いに行けば変な目で見られそうで……堂々としていればいいんですけど、なんだか気まずくて。なので、通販を利用しているんです」
「そうなんですね」
失礼だとは思うが、なんだか意外だった。
購入する場所がほとんど行きつけのアニメショップな高槻だが、はじめの頃はフロアに行くのも購入するのも躊躇いがあった。
だが、一度買ってしまえば、それ以降はそんなことはなくなった。
「ここには少女漫画も沢山あるので、買うことはなくても眺めているだけでも楽しいと思いますよ。丁度、BLもありますし」
「ってことは、BL買いに来たんですね」
優しく笑われ、恥ずかしくなりながらも、高槻は梶浦を連れて店内へと消えていった。
「店内すごいですね……」
「コミックスの他にも、アニメやゲーム関連のグッズなど、色んなものを取り扱ってますからね」
「そうなんですか」
「せっかく来たんですし、最上階のフロアから順番に見て回りませんか? そのうち、通販だけではなく、実際に買いに来たくなるかもですよ」
――なんて、冗談なことを言いながら、高槻の提案に梶浦は「そうしましょう」と楽しそうに返事をした。
最上階から一階へ下りながら各フロアを見るのと同時に、そのとき一緒にBL書籍も回収することにした。
上から順番にフロアを見回り、梶浦は「こんなにも凄いお店だったんですね」と言いながら、目を輝かせている。商品を見れば「あ、これ知ってます!」と嬉しそうにはしゃぐ梶浦の姿は、高槻よりも年上だというのに新鮮で、微笑ましくもあった。
目当てであるBL書籍が置いてあるフロアに到着すれば、これまた梶浦は宝物を見つけた小さな子供のように目を輝かせる。
「俺たちのコミックスフロアもそれなりに大きいと思うんですけど、ここはここでまた別って感じですね。高槻さんがここで買いたくなるのもわかります」
「僕たちの書店にも特典はついたりしますが、このお店だと別の特典や店舗限定の特典もついたりして様々なんです。たまに、複製原画の展示もあったりして眼福ですよ。最近では、うちの一般書店でもBLコーナーで複製原画の展示もやっていますしね」
「へぇ……凄い……俺の知らないことばかりだ」
「ここは色んな人がいるので、梶浦さんも気兼ねなく買い物ができると思います。男の人でも買いに来る人見かけますし。その、梶浦さんみたいに、か、かっこいい人もいたりするので、だ、大丈夫ですよ!」
――一体、自分はなにを言っているのだろうか。
そんなことを今更思っても、もう口から出てしまった言葉は取り消すことはできない。恥ずかしくなり、その場で蹲りたいと思っても、自分のしでかしたことに高槻は逃げたくなった。
「ひとりだとそわそわしそうなので、行きたいなと思ったら高槻さんも一緒だと嬉しいです」
自然に誘うような口ぶりに、「よ、予定がなかったらそれくらい付き合いますよ」と、胸を高揚させながら答えた。
(……というか、そうだ)
梶浦は高槻に対して、それとなく気があるのを思い出した。
可愛いなどと言い、平気で「俺と恋愛してみませんか」と告白してくる人だ。
(すっかり忘れていたわけではないけど……僕のばか!)
梶浦のことは恋愛とは別に考えれば嫌いではないので、こういった買い物の付き合いがあるのはいいことだろう。
それに、身近にBLを理解してくれる男性がいると嬉しい。
今まで理解してくれる友人も仲間もいなかったのだから。
だが、あくまでも恋愛は別だ。
「今日はどんな本を買うんですか?」
「あ、えっと……」
「俺と高槻さんの仲じゃないですか。SNSで見かけてから高槻さんが腐男子なの知っているので、なにが来ても俺は驚きませんよ」
それを言われてしまうと、なにも言えなくなる。
高槻のBL好きは、個人情報は伏せているとしていても、いつの間にかSNSの一部に広まり、現に梶浦にも知られている。大きな拡散というより、腐経由での小さな拡散でしかないので、高槻のこと、書店のことは、本当に一部の人間にしか知られていないそうだ。
このことを梶浦に聞いたときは、本当に驚いた。
「か、梶浦さん、少女漫画でも見てきたらどうですか?」
「俺、高槻さんがどんなBLを買うか興味津々です!」
「べ、別にそんな普通の……」
――と、言う前に、先に梶浦が新刊コーナーに向かい、一冊の本を手にした。少し肌色部分が多い表紙ではあるが、正直購入リストにあるうちの一冊だったりする。
「俺、いつかは高槻さんとこういう風になりたいです」
「や、その、だから、それはっ……!」
「あ、話はカフェで、でしたね。高槻さんと一緒に買い物へ来るのはじめてだったので、俺とても舞い上がってます」
フロアに客とスタッフがいるにも関わらず、意味深な発言を残しながら梶浦は店内を見回りはじめた。
(なに言い残して、ひとりで店内ふらついてんの!?)
この梶浦の意味深な発言のせいで、近くでこっそり聞き耳を立てていた女性二人組、仕事をしていた女性スタッフが過剰に反応していたことは、梶浦も高槻も気づかないまま。
普段は恥ずかしがることもないはずなのに、いざ梶浦の前でBL本を買うとなると調子が狂ってしまい、恥ずかしさが勝る。梶浦が店内を見回っていることをいいことに、高槻は平積みされてある新刊を数冊手にすると、素早くレジに持っていき、会計を済ませた。
会計を済ませれば、少女漫画エリアにいるだろうと思っていた梶浦はおらず、少し見回ればBLエリアのほうにいた。
「梶浦さん」
「あ、高槻さん。買い物はもう終わったんですか?」
「はい。新刊買えたので家で読むのが楽しみです」
「BLのこともいいですけど、このあと俺とお話するの忘れてないですよね」
「えっと……」
忘れているわけではないが、改めて言われてしまうと梶浦の発言が蘇ってくる。
「BLを好きな高槻さんを見るのは楽しいのでいいですけど、俺のこともBLと同じように考えてくれると嬉しいですね」
こんな感じに、と梶浦が手にしているものは、二人の男子学生がお互いの頬を包みこんで額をくっつけている表紙。二人とも微笑みあってはいるが、ひとりは嬉し涙を流している。
心の中で、青春だな、と思いながら、高槻はその表紙を見つめた。
(……これ、読んだことないから、忘れないうちにあとで携帯にタイトルメモしておかないと)
まさか、高槻がそんなことを考えているなんて、梶浦は思いもしないだろう。
「……俺、高槻さんを困らせてばかりですね。一気に深い関係になるより、こんな感じで笑い合いたいです。この二人みたいに、青春紛いなことを、高槻さんとやりたいです。もちろん、さっき見たアダルトっぽい表紙なのもいいですけど」
「……っ」
「勝手なことばかり言ってすみません。でも、高槻さんが可愛いのは俺の中で変わりはないので、とりあえずカフェで話しをさせてください」
苦笑を浮かべる梶浦は、手にしている本を棚に戻して、次に行きましょうか、と促した。梶浦の後ろを歩きながら罪悪感に駆られる高槻だったが、恋愛のこととなると教育係であった彼女のことを思い出す。
今まで誰かと付き合い、誰かを本気で好きになるということを無縁で生きてきた高槻。
恋というものを真剣に考えるのは難しいなと感じた。
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